OSSの生活史 第一集 第一篇 漫画が描けないから、自作OSって形で表現してる 語り手=大神祐真(へにゃぺんて) 聞き手=大川貴久 2026-07-15 57分39秒 ──まず最初に、ソフトウェアとかっていうのを触るようになったきっかけとか、そういうところって、最初どういったきっかけがあったかとかって、覚えてらっしゃいますか。  そうですね。ソフトウェアを触るきっかけは。ソフトウェアっていうと、なんて言うんですかね、ゲームハードというのか、パソコンで言うのかっていうところはありますけど。やっぱり今につながっていることで言えば、パソコンになると思うんですけど。パソコンがうちに来たのが、Windows Me っていうのが出ていた、二〇〇〇年ぐらいの時の話で。その時、私は小学生だったんですけど。それで、うちにパソコンが来たりしたのが、初めてだと思います。  それか、学校の技術学習みたいな、技術家庭科だったかな、そういう授業とかで、学校にあるパソコンを触ったりとかもあったかもしれないですけど。それで言うと、ソフトウェアっていうものとの初めての関わりは、うちに初めて。一家に一台パソコンみたいな時代だったんで、一人一台じゃなくて。なので、そこで。  ソフトウェアというよりかは、インターネットにそこで初めて触れた、っていう体験の方が大きい感じがしますね。それで、パソコンを開く動機はやっぱりインターネット。Internet Explorer とか、当時、今は Edge ですけど。自分にとってのパソコンのソフトウェア、パソコン、OS を立ち上げて、ひも解いていったら、主にブラウザで。そうですね、パソコンといえばインターネットとの窓口みたいな、そういうところから。 ──ありがとうございます。やっぱりその当時だと、インターネットがちょうど栄え始めてきた頃。どういったコンテンツとかですか。  やっぱり、それはですね。当時は多分。Flash 動画ってご存知ですかね。  そうです。昔、Macromedia っていうところが Flash を作ってて。で、それを Adobe が買収して、結構 Adobe も Flash を、形式をなくしてしまいましたけど。あれで、なんか、そういう Flash 動画を作って、有志の人たちが、Flash 動画をまとめておく、なんか、面白 Flash 倉庫とかいうのは結構有名なサイトなんですけど。そういうポータルサイトみたいなのが、いくつかいろんなところに立ってたりしたんですね。そこで投稿されてる Flash 動画を見たりだとか。  で、当時、私の自宅は ISDN って言って、上り六四キロ、下り六四キロっていう、それでも昔の電話回線からすると早かったんですけど。Flash 動画を見るには遅い回線だったんで。ADSL っていう、もうちょっと早い回線である友達の家に行って、Flash 動画を見るみたいな。  なんで、今だとネット上でやれることっていうのは、別に誰でも自宅でやればいいって感じですけど。回線の遅さ速さみたいなのもすごくて。回線が早い友達のうちに行って、わざわざ Flash 動画を見るみたいなことをやってましたね。  あとは、MMORPG とか。確か今でもあると思いますけど、『メイプルストーリー』っていうやつ。あれを、中学校の時ですね、やってて。あれも中学ぐらいの時ぐらいまで ISDN で頑張ってやってましたね。  その、場面展開と、別のステージっていうか、別のフィールドに行く時のワープ演出で。次のステージに。MMO なんで、ネットで繋がってるみんなでやるんですけど。回線の速度が速い人は、次のフィールドに移った時に、次のフィールドのデータをロードするのが早いんで、すぐワープが終わるんですけど。私はワープが全然終わらないんですよ。先にワープした友達が、次のフィールドの出入り口とかで待ってるっていう。  私のグラフィックはワープ先のところで、浮かんだまま固まった状態で、ずっと固まってるっていう。また、ちょっと回線が遅いから時間かかってるな、みたいな。 ──確かに。当時はなかなか今みたいに Wi-Fi が進んでるって感じじゃないと、そういうことが。 ──当時はやっぱり、ゲームとか動画視聴をされるって感じで。実際なんか作ったりとか、そういったことっていうのはされてたりとかしました。  ああ、しました。個人サイトって、今改めて、なんか Twitter とかがうさん臭くなってきて取り沙汰されてた時、一時期ありましたけど。まさに個人サイトを私が作っていて。それ今でもあるんですけど、全然もう更新してないんで、二〇一二年か。ちょっとチャットにリンクを貼りますけど。 ──あ、はい。ありがとうございます。  あれ、チャットって、これどこから出せるんです。あ、ありました。よいしょ。こんな感じのサイト。cupnes.com っていう独自ドメインを取ったのは後なんで、当時は独自ドメインになってなかったんで。  なんか無料のホームページスペースを公開してくれるサービスがあって。なんで、このホームページスペースを公開して、そこの決められたところに FTP でアップロード、データをアップロードすれば、それが決められた、あらかじめ用意されたドメインのところに、コンテンツが展開されて、お宅のサイトとして使えますよっていう。で、容量無制限なんですけど、当時ですよ。  で、代わりに、このヘッダーとフッターを付けてくださいって、広告が自動で出てるようなやつがあって。それをあらかじめ絶対に付けてくださいっていうルールで。で、今は私の完全なこれ、さくらの VPS でやってるんで、広告とかもうついてないですけど。当時は。多分もうないと思いますけど、TOK2 っていうですね、無料ホームページスペースサービスがあったんですけど。でも多分、今これググっても全く別のやつが出てくるんで。 ──ああ、レンタルサーバーは、なんか今もあるのはまた別のものなんですかね。このホームページ、容量無制限の高機能格安レンタルサーバーっていうのがありますね。  ああ、そうですね。でも、なんか二〇二四年に、ブログで、TOK2 無料プラン終了とか出てるんですけど。でも、それのことです。 ──実際、当時、皆さんやられてるっていう感じだったのか。なんか、それとも結構流行りだったのか。それとも結構興味があって、どんどん進んでやられてたのかな、っていう。  ああ、結構、友達がやってたのの影響ですね。私のこの cupnes.com の中にリンク集ってあって。当時よくリンク集っていうのが個人サイトであったんですけど。そこのリンク集によくリンクされてるページは、友達のウェブサイトですね。  多分もうリンクを飛んでも、多分もうサイトないんじゃないかな。あ、これ、ヤク丸の部屋とかは、僕の小中学校の友達、親友だった友達ですけど。これ、ドメインが TOK2 になってますね。でも、もう多分この友達が消しちゃったのか。何なのとかないですね。リンク切れしてるやつがいくらでもありますけど。  なんで、友達が結構いろいろやってて。その友達と一緒に、私もちょっと個人サイトを作ってみようと思って。HTML タグを手打ちして、やってたって感じですね。 ──ええ、いや、すごい。やっぱりこういうサイト、坂井さんとかもお持ちで。結構、昔ながらのサイトって感じだったんです。すごい、やっぱりこういうの、昔からやられてる。  そうですね。そういう世代だったんでっていう話です。 ──で、なんか、その後に、多分なんか今につながるような、その OS とか、そういったところに関わるきっかけっていうのは、今どこら辺だったんですか。一応その、大学とかで Linux について色々やられてたっていう風な感じのはあったんですけど。どういった形の活動だったかとか。  ああ、えっとですね。きっかけって言うと、もっと古くてですね。じゃあ大学で、なんでそもそも OS の研究を選んだのかっていうところからになるんで。  きっかけって言うと、さっきの Flash 動画の次に、もうちょっと容量が大きい、MPEG とかそういう動画を公開する。あ、でも Flash 動画か。あれは Flash 動画だと思いますけど。今でもある、ふたばちゃんねるっていう画像掲示板で、あそこで、OS の擬人化っていうのが一時期流行ってたんですね。 ──はい。萌え OS とか、fumi2kick さんとか、そこら辺のですよね。『ぽえりな』とか、ああいう感じのですね。  そうかな。ああ、はい。そうです。『ぽえりな』はまさに当時。でも、『ぽえりな』っていうよりかは、もうちょっとなんて言うんですかね。当時 OS たんとか呼ばれてたやつなんですけど。OS 娘だとか。それで Google で、まさに出てきますけど。  で、これがですね、私が OS 作りたいなと思ったきっかけがこれで。当時、なんか、すでにあるプロモーションビデオだとか、そういうのをパロって、OS たんの動画にするみたいな。あるアニメのオープニングを、OS たんのオープニングみたいにするみたいな。そういうのが流行っていて。  で、当時、今でもありますか、『アイドルマスター』ってあるじゃないですか。『アイドルマスター』の一番最初のものって、あれ、アーケード版の『アイドルマスター』が一番最初のやつですけど。アーケード版の『アイドルマスター』がこれから出ますっていうののプロモーション動画があって。で、そこでアイドルを育成できるって言って、いろんな機能で、カメラでアイドルを撮ったりだとか、いろんなおしゃべりしたりとか。そういう風ないろんな機能を、ゲームの中の機能を紹介するっていうプロモーション動画を、OS たんになぞらえて。OS ごとに、Me であればフリーズしてしまうだとか、そういうキャラ付けの動画にしてたんですね。  なので、そういう風に OS っていうものをキャラ付けして、単なるソフトウェアじゃなくて擬人化して扱うって面白いなと思って。で、こんな感じで自分も、なんか独自な自分の OS ってものを、なんかこういう風に擬人化してもらえたらいいなみたいな。で、そうなんか、それよりも、なんか OS ってものが面白いなって思ったんですよね。  こういう、なんていうか、コンピュータハードウェアを直接触る、直接制御してるもので、すごくお堅い存在でありながら。なんか、当時の自分からすれば、Me がフリーズするとか、そういうのは、なんかすごく、なんか人間くさく見えたというか。なんか負荷をかけまくって、なんかいろいろ仕事を与えるとフリーズするみたいな。そんなのって、なんか人間っぽいなみたいな感じがしたりとかして。  なんか OS っていうのが、当時いけてない OS を私が触ったからこそ。まあ。でも、私が使ってた Me は、私がカスタマイズというかして、やったやつは、私が触るとフリーズしないみたいな風なとこまで行ったんですけど。 ──Windows はそうですよね。なんか結構。  ともかく。なので、そういう風、だから Me を触ったからこそ、OS ってものを、当時は、OS 開発っていうか、OS カスタマイズですけど、っていうところだとか。なんかいろいろいじくってみるっていうとこにも興味を持ったし。あと、OS の擬人化っていうものを知ったから、なんか今に繋がるような、ちょっと変なことをやるっていう方向性も興味を持ったんですね。  で、方向性として変なことをやりたくても、技術が伴わないと OS のことは作れないので。なので、理系に進むか文系に進むかっていう、中学から高校に上がる時の選択で、じゃあ理系に進もうっていう風にして。で、コンピュータの情報系の専攻がある私立高校に行ったんですけど。それでコンピュータの道に進むってのも決めてたんで、高校の時点で。  え、もう中学ぐらいから OS に興味があったんで、ちょこちょこ OS に関わろうとしつつも。で、その当時はあんまり自作 OS ってとこに行くまで、あんまりちょっとモチベーションがそこまではなくて。当時は覚悟がなかったというか。  高校になった当時に、ちょうど、今、あの川合さんって、OSASK っていうか、あの緑色の分厚い、三〇日で作る自作 OS の、川合さんの、あの本がちょうど私が高校生ぐらいの時に出てたんですね。はい。あと、それと、2ちゃんねるで OS を作ってたっていう、Mona OS ってやつとか出て来たりとかして。  なんか、高校、私が高校生ぐらいの時に自作 OS が結構流行ってて、友達もやってたんですけど。でも、その友達は私の同級生で。私、常に、中学生ぐらいとか、パソコンに興味を持ってた時からずっと、自分の周りに自分よりできる人がいるっていう状況にずっといたんで。あ、高校の時も、そのめちゃめちゃできる友達が自作 OS をやってたんで。なんか自分なんかにはできないなと思って。  とりあえず、その友達が言う、なんかアセンブリだとか、そういうの、CPU が結局マシン語で動いてて、マシン語に直接対応するアセンブリというものがあって。その当時教えてもらったんですけど、よく分からないなとか思いながら。でも OS 自体には興味があったんで、ちょっと頭の中にずっと残ってて。  で、大学で情報系の大学に行って。で、それで、ちょっと OS をちゃんとやろうと思って。それで、やっぱり、当時もういろいろ分かってきてたんで。オープンソースといえば、だから Linux カーネルを研究でやりたいって言ったんですよ。研究、その当時。  OS をやりたいとはいえ、本当に、研究室選択の三年生当時、四年生から研究室に配属になるんで、三年末、それくらいの時の研究室選びの時点は、本当に CPU のパイプラインとか、フェッチ・デコード・エグゼキュートって、パイプライン処理さえもよく知らないで。そこを扱える研究室の門を叩いたんで。  あ、ちょっと君、モチベーションがあるのは分かるけど、君、何も知識がないから、ちょっと Linux カーネルを扱うのは厳しいから、もっと組み込みの、あの小さい OS から始めよう、っていうので。TOPPERS っていう、あの名古屋大学の高田先生だったかな、っていうとこで開発されてる、μITRON っていう組み込み系のリアルタイム OS があって、μITRON 自体がリアルタイムじゃないのか。ともかく、そういう小さい OS の実装があって。  あと、TRON は、東京大学の坂村先生っていう方が。 ──はい、そうです。  これの組み込み向けのリアルタイム OS としての実装みたいなのが TOPPERS で。その TOPPERS を使った、ちょっと研究を、え、やってて。  で、え、だ、で、そこで、OS だとか CPU だとか、そういうことがちゃんと分かった上で、初めての就職先が、あの CPU ボードを自社で開発して、そこに Linux カーネルを移植して、お客様にはそのプラットフォームとして提供するっていう、組み込み CPU ボードを作ってるメーカーに、最初の就職先でいたんで。そこで初めて Linux カーネルをちゃんと触ってっていう形ですね。  で、そこまで来て Linux カーネルを触ったところまで来て、改めて、その当時はもうカーネル、Linux カーネルのコミッタになろうかと思ってたんですけど。でも、なんかだんだんですね、なんか当初のモチベーションじゃないぞ、ってとこで気づき始めて。当然、OS たんとか、そこから来てるんで、本当は。  なんで、技術的にはもう分かったはずだから、そうじゃなくて、なんか、すでにあるものにコミットしてくんじゃなくて、自分の OS を作りたかったはずだ、ということに気づいてですね。で、Linux カーネルの、その最初の就職先に勤めて、一年経ったぐらいか、それぐらいから、ちょっと自作 OS を、始めて、っていう形で。  最初に、全部フルスクラッチで、ブートローダとか、カーネルとか、ユーザーランドを全部作るっていうのを、まず最初にやってっていうとこからですね。 ──そうですね、あの OS5 ですかね。そうですね、はい、それですね。実際にこれが初めて自作 OS をされたっていうものになる。  あ、はい、そうです。 ──実際にこれについて、その、たくさん技術同人誌の方をどんどん出しているっていうような感じで。もう二〇一七年から、そう、なんか約一〇年ぐらい向けていろいろやられてるね。なるほど。そうですね、じゃあもう最初の方の動機から、もう一貫して、その、お仕事にもつながって、その上で自作 OS の方に。もうそうですね、あの、実際に趣味の方で繋がってるっていうような感じっていうことなんですか。  あ、そうですね。でも、仕事との繋がりっていうと微妙で。なんていうか、結局、前職を辞めたのも、前職を辞めたのは直接の、半分ぐらいの動機は、理由は、その前職の会社が、ちょっと業績も悪化して、別の会社に買われるみたいな事態になってしまって。ちょっと、みんな、いろんな先輩方も辞めてってるみたいな状況だったんで。ちょっとどうしようかなってので。  自分もちょっと、今の会社で、今の二社目の、この今いる会社にご縁があったんで、転職したって感じですけど。今の会社は、そういう組み込み系の会社とかではなくて、普通にインフラエンジニアをやってるんですけど。でも、それでも最初は、この今いる会社は Linux カーネルに独自で、ブロックレイヤーにパッチを当てるみたいなことをしてたんで。それに私がコミットしたっていうのが、一つきっかけとしてあったんですけど。  でも、組み込みから離れるっていう、その CPU を直接触るってとこから、CPU の、なんかレジスタとか、そういうレベルからちょっと離れるっていうところには、結構、思いとしては、そもそも Linux カーネルのコミッタになることは、もう諦めてるっていうか。そっちに自分の趣味の時間は割かないで、もうフルで自分の OS を作るっていうところに、自分の仕事以外の時間は全部そっちにつぎ込んでるんで。  なんで、もう Linux カーネルのソースコードとか、自分の仕事以外の時間では一切読んでないんですよ。はい。なんで、そうなると、キャリアみたいなところからは、どんどん遠ざかるんですよね。と、自分の OS 自体は、これは売り物として作ってるもんじゃないんで。あ、全然自分の好きでやってることなんで。  なので、仕事に、これ、それで言うと今やっと、こういう SecHack だとかセキュリティ・キャンプとかで、こういう独自な活動を続けてたっていう方向性で、こういう講師としてお声がけをもらえるようになって。初めて、この私の、この個人の活動っていうのが、ちょっとお金に繋がってきたなっていう感じで。 ──ああ、え、ああ、すごい。実際に、このオープンソース、その技術書典とか、多分、技術書典2に出されたのが最初とかで。かなり、結構こういうコミュニティといいますか、こういったものに出そうと思ったきっかけとかって、何かあったりとかしますか。  はい。ちょっと、同人誌を書こうと思った動機と、コミュニティ、勉強会とかで発表しようと思った動機は、ちょっと違うんですけど。まず勉強会の方からですね。そういう OSC とか、そういうカンファレンスもそうですけど、そういうところで発表しようと思った動機は。  最初、OS5(オーエスファイブ)というか、OS5(オーエスゴ)って呼んでるんですけど、OS、どちらでもいいんですけど。OS5 を作ってた時は、最初は、特に、公開、まあ GitHub 上で公開をしてましたけど。特にそれはプライベートにする理由がなかったから公開リポジトリにしただけで。特にどっかで発表しようとか思ってなかったんですね。自分の好きでやってただけだったんです。  なんですけど、当時北海道に住んでいて。北海道の、そういう技術系の勉強会があるってことを、どっかで調べたのかな。一年ぐらいずっとどこにも発表しないで、自分で一人ずっと作ってて。ある程度完成した、完成だと呼んでもいいかなっていうところになったところで、せっかくだから、これどっかで発表できないかみたいなのを、ちょっとだけ考え始めて。たまたまその時、connpass で調べたのかな。  道内で、特に札幌に住んでたんで、札幌から行ける距離で勉強会に行かないかと思って。そこで、ちょうどある勉強会が結構低レイヤーなことを話してたんで、ここでなら発表してもいいかもしれないと思って。  でも、こんな自分独自な OS の話なんて、Linux カーネルへのパッチの当て方とか、そういう実用的な話とは関係ないんで。なんで、そこで話して、もしウケなかったら、もう別に自分の好きでやってる話だから、もう引き続き一人でやればいいかなと思ってたんですけど。ありがたいことに、そこで発表を聞いてくださった方が、もう皆さん面白がってくれて。  なんで、それがまず、こういう、独自な何か、そういう大きいアップストリームがあるものに貢献するって形じゃなくて。何の役に立つか分かんないけども、なんか変なことやってるみたいなのも面白がってくれるんだなっていう。そこで勉強会で知って。  あと、当時、大学時代に。OS を作ってたのはもう社会人になってからなんで、話が前後しますけど。大学時代に、既に OSC の北海道には、参加者として、発表者じゃなくて参加者として参加してて。そこで、学生時代に聞いたセッションが坂井さんの。今の坂井弘亮さんの。私が初めて坂井さんを知ったのは私の学生時代なんですけど。坂井さんのそういうセッションとかも聞いてたりして。  なんか独自なことをやって、面白いことをやって発表できる場があるんだなっていう、OSC ってことも思い出して。そこで、じゃあ、そういう勉強会だとか、そういう展示であれば OSC なら受け入れてくれそうだって。  っていうか、OSC も、最初は、OSC 北海道は、なんか、大体コミュニティじゃないですか。コミュニティっていう出展っていう名前なので、当然コミュニティが出展してるわけですけど。私、コミュニティっていう枠で出てますけど、コミュニティじゃない、一人なんですから、厳密にはコミュニティじゃないんですけど。なので、最初はいいですかって聞いたんですよね。メールで。こういう活動をしてて、コミュニティってわけじゃないんだけど出展したいんですが、いいですかって。それで、全然いいですよって言ってくださったんで、そこから展示し始めたみたいな。  受け入れてくれたり、面白がってくれたりする人がいたから、展示だとか発表だとかするようになったっていうのが、一つ理由で。  同人誌の方はですね、私が高校生の時とか大学時代の時とかに、コミックマーケットに参加者として参加してて。当時は技術同人誌じゃなくて、普通にアニメとか漫画とかの同人誌を目当てで行ってて。同人誌を出す人っていうのは憧れがあったんですよ。なんで、同人誌を出す側にいつかなってみたいなって思いがずっとあって。  そう思ってたら、技術書典というイベントがあって。しかも技術書典の2が募集開始しますよみたいな時に、ちょうど私、前職の時に異動で東京に配属が変わって、ちょうど東京に来た時だったんで。出展できるかもと思って申し込んで。しかも技術書典は同人誌の書き方まで教えてくれるんで。それでコミックマーケットでいろいろ見てた思いもあったんで、ぜひ同人誌を出してみたいなと思って、っていう理由ですね。 ──ああ、ありがとうございます。あの、私も、この前の技術書典で、あの、出したりとか、やっぱりコミックマーケットに出しててやっぱり、そういうのが興味だっていうのがあったので、やっぱり同じような形なんだなっていうな。そうですよね。実際に出したりした時とか、反応って結構、その、みんな見てくれてすごい嬉しいなっていうのがあったんですけど。実際どうですか、出したりとかしてて。  ああ、そうですね。ネタによるんですけど。最初に出した、あの OS5 っていうのの、あの同人誌は。OS5 っていうか、あれ英語で書くとファイブって読みますけど。あれに関しては、三〇〇〇行ぐらいで全部収まってるんで。全部ソースコードを印刷してコメンタリーをつけるみたいな。この本一冊に OS の全コードとコメントがついてますみたいな。それは結構ウケたんで、一回その場で完売して。  技術書典2がすごかったのは、当時その場で追加印刷っていうサービスがあって、その場で増刷っていうのがあって。イベント内に出展者が、ちょっと増刷したいですっていうと、何時間後とかに増刷された同人誌が届くという、恐ろしいサービスがあって。 ──すごい。  多分もう今やれないと思います。 ──そうですね、出展者の数も多いんで。  当時は出展者の数はそれほどでもなかったのか。それでも秋葉原 UDX に結構出展してましたけど。  すごいウケましたね。でも、ちょっとその後、調子に乗ってというか、独自な方向性に進んで、あまりにも独自なものを出したりするとウケなかったりというか。面白がってくれる人もいれば、内容が内容なんで、立ち読みして、ありがとうございましたという方もいたりとか。 ──結構ありますね。やっぱり手に取っていただけるっていう、実際に会ってっていうのは、なかなか今までなかったので、すごい私も感動したというか、嬉しいというか。  そうなんですよ。もう本当に、同人誌を手に取って、面白いですねって言ってもらうとか、買ってくださる時とかは、もうめちゃめちゃ嬉しいですね。自分の気持ちを一〇〇パーセント入れて作ってるんで。もう本当、自分の趣味というか、自分の好きを詰めて作ってるので。それを同じように好きだ、面白いねって言ってくれるのは、何物にも代え難い喜びというか。 ──本当にありがとうございます。今と話、結構やられてきてて。今、一番主に、へにゃぺんて、大神さんで、今やられていることっていうのは、どういったものをやられている。  あ、はい。あ、そうは、今はですね、もうというか、これまで結構独自な方が、自分が好きなものというか、自分独自っていうところをすごく重視して突き詰めてやってたんですけど。ちょっと、これも私、アニメとか映画とかからすごく影響を受けていて。特にアニメとか映画の監督とか、漫画の作家さんとかに影響を受けるんですけど。  独自な方向性に突き進んでた時は、押井守監督ってご存知ですか。『攻殻機動隊』とか。 ──そうですね、有名です。  あの監督にすごく影響を受けてた。監督は未だに結構一部には人気で、いろいろ映画監督、今でもやってますけど。当たり外れがすごい監督で。ですね、確かに一回、天使のたまごという作品を作る時には、業界から干されたみたいな。でも、やっぱり、自分、それでも自分の色を出すというか。あれだけ自分の好きにやって、作家性というか、色を出すっていうところは、やっぱりいいなっていう。  そこから影響を受けた時は、本当に誰にも伝わらなくてもいいから、自分がこれが最高だと思うものを作ろうっていう風にやってて。それが、バイナリ生物学だとか、そのあたりで。  その後にですね、数年前ぐらいですけど、幾原邦彦監督っていう、『少女革命ウテナ』だとか、あと『輪るピングドラム』だとか、そういうアニメの監督をされてた、プロデューサーもされてた方の作品を見た時に。あの方の作品は、確かに独自色はすごく強いんですけど、なんというかですね。  ちょっと、どっちが良い悪いじゃないんですけど。よく、同世代の監督として、庵野秀明監督と同世代の、年齢的に同世代なんですよ、幾原さんっていうのは。  庵野監督との違いみたいなところで見ると、庵野監督は、もう自分が見てきたウルトラマンだとか仮面ライダーとか、今でも自分でそれを映画にしちゃうくらいですけど。でも、エヴァンゲリオンの時から、そういう自分の好きだったものをパロディとして入れるというか。『トップをねらえ!』なんかは完全にパロディですし。なんで、それで、自分の好きをそういう形で表現するっていう。自分の好きを作品に入れて、人にも面白がってもらう形にするっていうのが、エンタメ監督としてすごいところなんですけど。  幾原監督は、七〇年代チックな匂いがする、古めかしい感じの演出をする、昔の舞台演劇みたいなところを入れつつ。そこが多分、結構独自な演出のところですけど、そこは多分好きな趣味を入れてるところだと思うけど。内容のテーマとして、誰かを救おうとしてる物語。視聴者を、話の中で、このある不幸せだった人を、なんかこの、視聴者に幸せになってほしいっていう思いを入れてるように見えるんですね。  特に『輪るピングドラム』なんかは、あれは地下鉄サリン事件をモデルにしてて。あと、話の上では、地下鉄サリン事件で亡くなった人を、運命の乗り換えみたいな、そういうことを劇中で呼んでますけど。そういうことをすることで、なんとか、もう逃れられぬ運命という形で亡くなってしまった人を、なんとか救うっていう風な物語にしていて。  結構そういう社会的なテーマを。庵野監督も『シン・ゴジラ』の時に、福島のことをモチーフにしてたんで。社会的なテーマは庵野監督が扱ってない訳じゃないんですけど。庵野監督の、自分の好きを好き放題入れて、分かる人は分かってくれればいいみたいなノリよりかは、幾原監督はもっと、なんか自分の好きを通して人に寄り添うというか。そういう風なところがすごく影響を受けて。  特に『輪るピングドラム』は、話の芯のところに、『銀河鉄道の夜』っていう宮沢賢治の、話の芯に入ってたりとかして。あれなんかは、本当の幸せってなんだろうみたいなことがテーマにあって、話なんで。  そういう風なことを見た時に、今はすごく幾原監督だとか、あと富野監督とか、そういうところに影響を受けて。独自じゃなくて。その独自なものを、私が独自にやってきたことっていうのは、結構人に面白がってもらえるっていうのが経験上あるんで。独自なことをやってて、これはビジネス的に何の価値もないよなって思ったんですけど。最近は面白がってもらえるっていうところがあるから。その、面白がってもらって、だからこそ。  技術的に何か大きいアップストリームに貢献していく方向性じゃなくて、むしろ OS とかよく分からない人に、OS をちょっと分かってもらうみたいな。エンジニアはもちろん面白がってくれたらいいんですけど、エンジニアじゃない人にも楽しんでもらえて、OS ってものに親しんでもらえるきっかけになるみたいな風になっていけば。私が独自で変にやってきたっていうことの意味も、そこになんか報われるのかなって最近は思ってるので。なんで、最近は独自であり、自分の好きを詰め込んで、それで人を面白がらせるっていうのができたらいいなって思ってますね。 ──そうですね、まさに OSC の時とか、人間 OS とか、実際に見せて実演していただいたりとかしたんですけど。確かにあれ、OS について、一緒にいた子はよく知らなかったりとかしてたんですけど。やっぱり見てた後に、やっぱ面白かったっていうのが出て。実際に OS が分からないような人でも分かるようにっていうのは、すごい感じてる、すごいなっていうところを感じて。実際に紙に記入してシステムコールを再現したりとか。  まずは面白がってもらいたいってところですね。OS に関して分かってくれたら一番いいですけど。まずは、なんかよく分かんないけど面白いねっていうだけで、まずは全然いいというか。まずは私の OS っていうコンテンツ、変な OS っていうコンテンツで、人を楽しませたいなっていうのが、ちょっと今の思いですね。 ──こういう活動とかって、結構もう約一〇年以上とか続けられてる中で。やっぱりその途中でいろいろあったと思うんですけど。やっぱり一番難しいなって考えたりとか、今最近も困っていることというか。実際に活動していく中で、何かしらの壁とか、そういうところっていうのは何か感じてるところっていうのはあったりします。  そうですね。一番は技術的なところっていうよりかは、なかなか、ここまでのレベルでの共感者は、なかなかやっぱり得難いというか。  今回の SecHack にしても、私の大神ゼミには二つ応募コースを挙げていて。一つは、私みたいに独自な、何か人のためになるというか面白い形で OS を表現するっていう、OS に関するコンテンツ制作。それは OS のものを作るでもいいんですけど。そっちをやるか、あるいは。  OS じゃなくても、自分の好きな技術っていうもので何か作品を作るっていう。当然それは、私がこういう独自な活動をしてるっていうことに共感はいただいた上でね。でも、少なくともゼミに入ってもらったら、週に一回は私と会うことになるんで。こういう私の心情とかポリシーみたいなところに共感というか、その話を週に一回聞いても苦じゃないぐらい。私のこういうやり方に全く同じことをしてくれなくてもいいんですけど。せめて週に一回聞いても苦じゃないぐらいには共感してくれるっていうのは条件の上で、自分の好きなことをやるっていう、二つ用意したんですけど。結局、大神ゼミとしては、二つ目の持ち込みの方のみになりました。  なので、ちょっとやっぱり OS っていうレイヤーで、なんかそういうちょっと変なことをやるみたいな。変なことをやるにしても、やり方が私は変すぎるとかもあるかもしれないですけど。そういう意味で、OS を通して自分を表現するというか。  漫画家の人だとか映画監督の人とかは、結構作家性が強い人っていうのは、コンテンツがちゃんとエンタメとして。押井監督の場合はあまりにも作家性が強すぎてエンタメとして成立しないやつもありますけど。あ、ともかく、作家として、そこにメッセージを入れるというか。物語のストーリーラインとは別に、裏にこの作家の人とか映画監督が言いたいメッセージが含まれてるっていうのがよくありますけど。  そういう風に、OS に関しても。OS って、単なる、私にとっては、漫画が描けないから、自作 OS って形で表現してるっていうつもりなので。OS も同じようにメッセージを入れられるんじゃないかなと思って、そういう試行錯誤を特に近年はやっていて。  人間 OS に関しても、あれは、同人誌を書いている間は OS の開発をしていないなっていうジレンマがあって、それを解消した形でもあるんですね。あれ自体がちゃんと OS として、日本語という形のマシン語として成立しているので、本の執筆中は OS を開発しているってことで言えるわけです。OS5 の同人誌の場合は、コメンタリーをつけている間は本を書いているのであって、OS を作っているわけじゃないじゃないですか。  その他の同人誌に関しても、すでにある程度作った OS に関しての解説みたいなことになるので、本を書いてる間は OS を作ってるってことにはならないんですけど。人間 OS に関しては、本を書いてるイコール、あれが OS の開発にもなってるっていう。そういう自分の個人的なジレンマを解消するっていう形で、今回メッセージを入れてみたっていう。  そういうレベルで、なんか OS を表現手段としてやるみたいな、そういうところにまで共感して、じゃあ自分はこういう作品を作ってみたいとか、そういう風に影響を与えられたらいいなと思ってるんですけど。なかなかそのレベルで共感してくれる人はいないので。  それはちょっと私が面白いものを作れてないっていう、ちょっと未熟なとこでもあるんですけど。ちょっとそれが最近の悩みですね。なんか、もっとちゃんと面白いものを作らないとなっていう。 ──です。っていう感じだと、その、私、あの、RPGOS とか、その多分キャンプの方でやられて、あの、OS すごろくとか、そういった感じで。そういう何かしら、その OS を何かと一緒に作って、何かを伝えるっていうことを機にいろいろやられてるって感じになってるってことなんですかね。  実際に、そうですね、それを結構大事にして。RPGOS なんかは、幾原監督の話、幾原監督の影響を受けて最初に作ったものだったり。  そうですね、あれなんかでも、結構、方針、大きく方針転換したのは、これまではフルスクラッチで作るって言って、一切、もうフォントも自分の手書きの文字をフォントにしたりとかして。なんか全部自分で作るからこそ、自分独自な OS だって言えるんだっていう気持ちでやってたんですけど。  高畑勲監督って、亡くなられてしまいましたけど、あの監督って実は絵が描けないんですよ。高畑監督は絵が描けなくて。絵コンテとか描く時も、自分の段階では。後に出版されてる絵コンテは綺麗に清書されてるんで分からないんですけど。どうやら高畑監督が描く最初の絵コンテは、もう棒人間みたいな形のやつでコンテを切って、それをアニメーターの方に清書してもらってっていう風にやってるらしくて。  なんで、それで言って、なお、それで言って、じゃあ、映像の、そういうアニメーションの絵作りみたいなところには興味ないのかって、全然そんなことはなくて。『かぐや姫の物語』なんかは、あれは線で描くっていう、絵は結局線なんだっていうところに行き着く。自分で絵を描かないのに、そこに表現方法としてそういう風に思い至るっていう。  で、それで自分は一切絵を描かないんで、宮崎駿監督みたいに、これはこの絵の感じ、宮崎アニメっぽいねみたいな感じはないんだけども。なので、高畑監督の場合は作品によってキャラクターデザイナーによって変わっていきますけど。でも、高畑監督作品は高畑監督作品にちゃんとなってるっていう。  なので、自分の独自性っていうのは、別に何も全部自分で作らなくてもちゃんと出るんだろうなと思ったところから。RPGOS なんかは、なるべくコードを書かないで、ありもので組み合わせて自分の世界観を作ろうと思って。RPGOS は RPG の素材を使ってますし、ゲームエンジンを使って、コードは書かなくちゃいけなかったんでコードを書いてますけど。やり始めたっていう、方針転換があった作品でありましたね。  一番重要なのは、人に楽しんでもらおうっていう風な思いがあったんで、RPG っていう表現方法にしたりっていうところが大きいですけど。 ──はい、いろいろな手段でやられてるからこそ。今、高畑監督のっていうような話だったように、独自がいろんな手段で表現されてるっていうのは、確かにそれは感じたりとか。実際、作品を見て、大神さんのだなっていうのは確かに感じたりっていうのはあったので。なるほど、ありがとうございます。 ──最後に、四つ目の質問なんですけど。AI とかっていう話を、オープンソースの OSS とか、僕もサポートでいろいろ言ったりとかしてる中で、最近テーマとして AI が上がってきてたりとかしてる中で。結構皆さん、いろんなまちまちの意見をお持ちで。ある方はどんどん AI を使ってどんどん開発してみたいな LT とかやられてたり。もう一方の方は、例えばその Wikipedia の方とかだと、AI によって明らかにアクセス数が減ってて困って、とかお伺いとかしてて。実際に、このオープンソースとか開発されてる中で、近年の技術とか AI とかっていうのは、ご自身の活動に影響とか与えたりとか、どう変わっていくんだろうなっていうのは、考えたりとか感じたりとかされたりとかしてますか。  それはもう、私の方針転換と同じタイミングで AI が発達し始めたんで。なんで、AI が出てきたからこういう風に方針を変えた、ではなくて、高畑監督の作品をちゃんと見てからっていう影響なんで、順番は逆なんですけど。今の私からすれば、私、今も AI 全然使ってるんで。なんていうか。  あんまり、もう近年は、自分でガリガリコードを書くっていうところに、あんまりモチベーションがないんですよ。結果的にものが出来上がるっていうのが好きで、手でガリガリソースコードを書くところに快感を覚えるっていうタイプではもうないので。なので、もうソースコードとかは自動的に出来上がるなら、それでいいじゃんで。  結局、アニメーションの監督が自分自身で絵を描くんじゃなくて、アニメーターから上がってきた絵を作画監督とかがチェックをして、これはちゃんと上げていいものかどうかっていうチェックをするっていう、むしろそっち側に興味があるというか。そういう映画監督みたいなやり方で OS を作りたいな、コンテンツを作りたいなって思いがあったんで。自分でソースコードを書くとかまで、モチベーションがそこではなくなってきたんで。  とはいえ、OS を作るモチベーションがあるんで。私の今の活動からすれば、AI はすごい、よくこのタイミングで出てきてくれたみたいな、使わない手はないなみたいな思いではありますが。OSS というか IT 界隈で見ると、多分 AI の発達によっていろんな影響を受けるんだろうなって気がしますね。 ──そうですね。いろいろな考えを持ってる方がいらっしゃって、なかなか。OSS でもどんどん使っていこうよっていう方がいらっしゃれば、結構慎重な方もいてっていうところで。この間も OSC の名古屋で松本さんとかも、もはやもう、その AI に任せて自分でコードを書いてないみたいなのもされててっていうところで。なるほど。実際に、そうですね、確かにその映画監督のようにっていうのは、今すごいしっくりときたというか。  そうですね。結局、映画監督って自分で絵を描いてなくても、特に実写の映画監督の場合は自分が出演してなくても。当然、自分が出演する映画監督ってあんまりいないんで。自分が出演してなくても、ちゃんとその監督の作品になってるっていうので考えると、AI も結構道具だろうなっていう気はしてますね。今のところはですけど。どうなっていくか、将来的なことは分からないんで。 ──ありがとうございます。最後に、今後、実際に多分これからも活動を続けていかれると思うんですけど。今目指してるものと、これからもっとこういうことを、今までやってなくてこういうことをやってみたいというか。オープンソースとしてやっていきたいっていう活動って、何かあったりとかされますか。  それはですね、作品にちゃんとメッセージを入れて、なおかつ多くの人に面白がってもらえるようなエンタメ性を持った形で、何かものを作りたいっていう。それは RPGOS をもっといろいろ突き詰めていくとできるんじゃないかって気はしてるんですけど。そこが目指しているところで。  特にそれに関してすごく今影響を受けてるのは、もうちょっと前からずっとそうですけど、富野由悠季監督ですね。あの監督って言えば、ガンダムを作ったので有名な人ですけどね。ガンダムが、それより前のロボットアニメと何が違うのかって。  それより前のロボットアニメで、子供向けで、マジンガーZとかそうですけど、宇宙怪獣と戦うっていう、そういう明確に悪と分かるものと戦うっていうところだったのが。敵も人間であり、かつて宇宙に移民させられた人間であり、っていうところに、戦争っていう形にしたっていうのと。  何よりも色濃く出てるのは、富野監督自身が団塊の世代って呼ばれる世代の人で、当時学生運動とかに関わってた人たちの一人。なおかつ、ちょっと複雑なのが、富野監督、学生運動をやってた当時の大学に対して、東大を燃やすとかやってたのが有名ですけど。暴動する若者側じゃなくて、富野監督が大学側だったんですね。  当時の学生の中でも、みんなが大学に対して抗議してた人だけじゃなくて、ちょっとそれおかしいじゃんって大学側につく学生とかももちろんいたんですけど。大学側に就いてたんですよ。なんで、まさに富野監督ってアムロなんですよね。シャアっていうのが当然学生運動側で。後の東大全共闘の映画とか見るとよくわかります。  なんか学生運動をやってた人ってもうイケメンが多かったらしいんですよ。なんか結構、なんかかっこいい人が多いというか。なんで、それがシャアに仮託されてるというか。もう、女にもてて、イケメンで、で、理想主義で。だから、結構すごく突飛なことをするっていう。東大を燃やしちゃったりだとかで。なんか、そんな短絡的なことをしても人は良くならないよっていうことを、アムロがこう言うっていう。  それって、もうまさに富野監督の、もう人生がそのままそこに出てるんですよね、ガンダムって。作品の中に。それでいて、こんだけ流行ってるっていう、もうちゃんとコンテンツとして面白いっていう。これはもう、あまりにもちょっとすごいことすぎて。  それで言うと、団塊の世代みたいに人生を大きく揺るがすような体験というのが。私はゆとり世代って言われる世代なんですけど。ゆとり世代とかは特に無くて。Z 世代の方とか大学時代にコロナが来て本当に大変だったとか、そういうのが本当にあるので。なんか、もうちょっとなんか、こちらこそ申し訳ないなと思うくらいに、なんですけど。  そういう風に、自分の人生ってものをちゃんと作品に落とし込んでいて、この人の人生が作品に出てる。この映画を見てると、この人が目の前で喋ってるように感じるみたい。それでいて、押井監督みたいに完全にもうエンタメになってないじゃんみたいなのじゃなくて、ちゃんとエンタメになってるっていう。それを、そういう風に OS で表現できたらいいなっていう風なのが、今の自分の理想ですね。目指すところは富野監督みたいな。 ──そうなんですよ、富野監督を。  理想は高く、ということで。ちょっとそんな風になれるとは、ちょっとまだ明言はしないですけど。 [語注] 川合秀実、OSASK OSASK は川合秀実氏が個人で開発した OS。著書『30日でできる! OS自作入門』(二〇〇六年)は、自作 OS の入り口として広く読まれた。SecHack365 のトレーナーでもある。 坂井弘亮 『12ステップで作る組込み OS 自作入門』などの著者。OSC などで自作 OS の発表を重ねてきた。SecHack365 のトレーナーでもある。 Mona OS ひげぽん氏が二〇〇二年に 2ちゃんねるの掲示板で開発を始めた自作 OS。掲示板の住人を巻き込んで作られた。 fumi2kick、ぽえりな fumi2kick は rerofumi 氏のサイトの名。『ぽえりな Linux 萌え萌え大作戦』は二〇〇四年に秀和システムから出た本で、壁紙、ウィンドウマネージャ、GTK+ のテーマ、アイコンなど、Linux のデスクトップを飾る方法を扱う。OS 擬人化と同じ時期にあたる。 Flash 動画 Adobe Flash 形式で作られた動画やゲーム。二〇〇〇年代のウェブで流行した。面白 Flash 倉庫は、それらを集めた個人サイトの一つ。 ISDN、ADSL いずれも電話回線を使った旧世代のインターネット接続。ISDNは上下とも六四キロビット毎秒で、ADSLはそれより高速だった。 TOK2 かつてあった無料のホームページ提供サービス。広告の表示を条件に、容量無制限で使えた。 ふたばちゃんねる 画像を投稿できる匿名掲示板。 OSたん、OS娘 WindowsなどのOSを女の子として擬人化する、二〇〇〇年代の匿名掲示板発の文化。 TRON、μITRON、TOPPERS TRON は坂村健氏が提唱した OS の仕様。μITRON はその一つで、TOPPERS はその実装。 ブートローダ、ユーザーランド ブートローダはOSを起動する最初のプログラム。ユーザーランドはOSの中核(カーネル)の外側で動く部分。 connpass 技術系の勉強会やイベントを告知・募集するサイト。 OSC オープンソースカンファレンス。全国各地で開かれる、主にコミュニティが出展する催し。 技術書典 技術書だけを扱う同人誌即売会。 アップストリーム 派生元となる本家のプロジェクト。 SecHack365、セキュリティ・キャンプ いずれも情報セキュリティ人材の育成を目的とした、国の事業による長期・短期の講座。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/01/