OSSの生活史 第一集 第四篇 私らが採用したら、オープンソースが死んじゃうと困るんですよ 語り手=大釜秀作 聞き手=大川貴久 2026-07-18 56分24秒 ──まず最初に、ソフトウェアであったり、パソコン等に触ったきっかけとか、そういったところから教えていただければ。  そんな古いところ? いつだろう、高校生ぐらいですかね。シャープのポケットコンピューターっていうコンピューターがあったんですね。あれを買ってもらったのが一番最初ですかね。PC-1211 という名前の、横長の、電卓のお化けみたいな、そういうやつですね。あれを触ったのが、自分の初めて持ったコンピューターということになりますですね。 ──だから、そこから入ったから BASIC とかですしね。そうですね、かなり、今画像を拝見してるんですけど、本当にこれくらいの電卓のような形のもの。なるほど。こういうのでプログラミングみたいな、こういうので BASIC とかをされてたっていうことですか。  実際、雑誌にね、プログラムが結構投稿されてたりするんで、そういうのを打ち込んでみたりとか。あとは高校生なんで、プリンターも一緒に買ったんですよ、確かね。なので、いろんな数字の処理をさせるのにポケコンを使ってやったりとかはしてました。 ──実際じゃあ、それはもうお趣味でやられてて、ずっと続けててっていう感じ。  ずっと、というか、それが一番最初に触ったものということになりますね。大学になったら、いわゆる普通のデスクトップのコンピューターを周りの人間が結構持ってたんで、それを使わせてもらったりとかいうことはしてました。ただ、自分でデスクトップのコンピューターを買ったのはずっと後で、大学院生ぐらいになった時に。けど、仕事用というか論文書き用みたいなことではなくて、完全に遊び用で、X68000 というシャープのコンピューターを買ってるんですね。 ──でも、そうですね、今見てますけど。なるほど。でも、まだその当時だと、やっぱりパソコンは皆さんが一人一台今持ってるような状態では、やっぱりなくて。  全然違いますね。八ビットの Z80 のコンピューターでも三〇万、四〇万してましたので。そうそう簡単には買えないという。 ──確かに。そう、なるほど。  プログラミング言語は、そういう意味で言うと、高校生の時には BASIC を使ってましたけど。大学に入ってからは、情報工学科の人らが持っておられるので、コンピューターをね。それを借りて遊んでみたいなことをやってました。その時に初めて真面目に学んだプログラミング言語というと、Pascal なんですよ、私は。  なので、いわゆる行番号から、そこから外れて、Pascal でいろんな数値計算のプログラムを書きました、作りました、みたいなことをしてましたですね。その後に Turbo C とか、C 言語というものが世の中に出てきて、手に入るようになって、ということですかね。  C 言語もちょっと使ってみたけど、C 言語の書き方も Pascal 風になってるんで。私の、基本的に一番最初に真面目に取り組んだ Pascal の書き方で、今でもいろんなものを書くとき、PHP でもね、そんなような書き方になっちゃってるんですけど。やはり手続き的な書き方といいますか。 ──そうですね、C 言語が登場する前に。そうですね、私、他の方はいろいろもうすでにパソコンがあるような、生まれてからパソコンがあるような方が結構多かったので。そうですね、パソコンが今まで身近にない方っていうのは、なかなか。  C 言語が登場する前、というと間違いなんですよ。C 言語が手に入るようになる前。 ──普通にね。なるほど。  C 言語自体はもう、UNIX のコンピューターで、多分世の中にあったはずなんで。 ──実際、そうなってくると、パソコンとかがそれこそ一般的にご自身で持たれるようになってからっていうところで、ソフトウェアとかそういったところをより深く触っていくっていうような感じになってた、っていうよりは。今、オープンソースの活動とか、そういったところにつながっていった。  そこにつながるからは、ちょっと遠いですね。どっちかというと、私、ハード好きなんですよ。大学の時には X68000 とか買ってますけど、C コンパイラとかいろいろ買ったりもしてますけど。どっちかというと、自分で線を引いて八ビットのコンピューターを作ったりとか、いうことをやってました。そっちの方が楽しかったんですよ。 ──そうですね、私も最近、小さいマイコンとかを触るようになったんですけど。ああいったもので実際にプログラムを書くっていうのは。  そうですね。その時は Z80 のコンピューターはあまり作らずに、MC6809 やったっけな、モトローラの。最近だと MC88000 とかいうのは、最近でもないな、だいぶ前ですけど。RISC コンピューターとか。さっき X68000 と言ってましたけど、MC68000 っていうチップがね、乗ってたと思うんですけど、あれの八ビットのやつ、6809 っていうのがあるんですよ。それがね、とても、個人的にはすごい綺麗なアーキテクチャになってて、好きだったんですよね。八ビットのくせにカーネルモードがあったりとかね。いろいろあるんですよ、面白い。  そういうことを見てると、いわゆる OS 側、サービス側に飛んでって仕事して、いわゆるユーザー側に戻ってきて、ユーザー側のプログラムを走らせて、みたいな。そういう構造とかもね、そんな頃に、こんな風に世の中を作ってるんだ、みたいなのを理解した覚えがありますね。 ──実際に、それはご趣味でハードとして作られてて。一体どういう用途でとかっていうのは。  完全に遊びです、それは。 ──どういうプログラムを動かしたりとか。  そこからラジコンの、モーターを動かしたりとか。ラジコンじゃない、リモコンですね。モーターがつながって。そういうのをやってましたね。 ──いいですね。そこからソフトウェアに移るっていうところっていうのは、結構大きく離れてるというような、先ほどもおっしゃってたと思うんですけど。  ソフトをやってるという意味では、今は会社ですけど、当然この当時は大学じゃないですか。大学にいた頃は、いわゆるソフトウェアをいじくるような研究室にいたんですよ。いわゆる学部学生の時は画像処理の研究室、医療画像処理とかやってたんですね。そんな時に初めてデータフロープロセッサーとかもね、扱って。  それもだから、行番号どころかね、プログラムがいわゆるノイマン型のプログラムじゃないんですよね、データフローなんで。それで画像処理を高速化するんや、みたいなね。そういうようなものをプログラミングして、こういうプログラムを書いたらこんな処理ができました、みたいなのを論文で書いたりとか。昔々なんで、その程度で論文になるんですけどね。  そういうことをやったりとか。あと院生になってからは、人工知能の研究室に移ったんで。人工知能に関するもの、ベースのものとしては LISP とか学ばされたんですけど。私自身が、データフロープロセッサーって爆速で処理しますみたいな話なんで、そっち系が好きなんですね、基本的に。早い処理が好きなので。いろんな、たくさんのノードを束ねて並列に推論を行うようなモデルみたいなのがちゃんと作れるか、とかいうような、こういうものを研究して論文を書いてましたですね。  ちょうどそれの時に、同学年といいますかね、同じ研究室で同期の人間は、いわゆる、あれだ、名前が出てこない、今の AI のベースになってる。名前が出てこない、最近ね。いわゆるニューラルネット。ニューラルネットの、いわゆるループでもって学習していくっていうのについて。それが初めて世の中に、割と論文で出始めた頃なので。数学的に、あの時は、それがちゃんと学習していったら学習結果が収束していくのかどうか、みたいなのを研究してた子がいましたね、同期にね。 ──今、私、情報学部なんですけど。ちょうどニューラルネットワークとかを使って、どういう風になっていくかとかを、まさに今、当たり前、既存の知識としてやってるっていうところで。今もお聞きしてて、そういうのが確立された時代っていうのが。  そうですね。計算力がまだまだないんです、世の中には。ちょうど RISC のコンピューターが出たかなぐらいの世界で。なので、全然、ループを回してもむちゃくちゃ時間がかかるんですよ。層が一層でもね、すごい時間がかかるっていうのを、もうずっと何日も計算を回して、結果どうだ、みたいなのをやってたのが、同期にいましたね。そんなのが隣にいたので、面白かったですけどね。 ──そういったところでソフトウェアについて関わっててっていうところだったと思います。それはお仕事で続けられてたっていうことなんですか、ソフトウェアに関わるのですか。  今のは完全に大学の研究でやってた話ですね。 ──大学を卒業された後とかに、ソフトウェアに関わり続けるっていうのは、ご自身のお趣味でやられてたりとかですか。  それで、今度はそれから会社に入るわけですけど。そうすると、直前の研究内容とか、そういうのを斟酌して、いわゆるソフトウェアの開発の事業部に入れられたんですよ。私自身、希望としてはハードウェアを作りたいとかね、人の教育をしたいとかね、そっち系の希望を出してたんですけど。お前はそういうソフトの研究室から出てきたんだから、ソフトをやれ、というような話で。  ちょっと今、これ、つながってるビデオ会議の私のアカウントを見てもらったら分かるんですけども、今の所属が、入社した時の所属そのままなんですね。昔々、そこの会社は UNIX ワークステーションを作ってたんですよ。そこの部署に配属されたんです。 ──当時ですと、まだ商用 UNIX が出回ってて、Linux が出る前っていうことですね。  そうですね。その当時はやっぱり、私がちゃんと把握してないんですけど。やはり日本の中でいくつか商用 UNIX を売ってる会社があって、それぞれがサポートを提供してるっていう感じだった。そうですね、うちとか、オムロンとかが作ってたんですね。オムロンは結構、今でもオムロンの UNIX マシンだったっていう人がいるんですけど。うちは結構、中堅の会社にガサッと納品するような格好で。あまり有名じゃないんですけどね。作ったのはだいぶ古いんですよ。  そういうのを作って売っていたので。それでソフトの開発はやらされたというか。UNIX ワークステーションを使って何か応用製品を作れ、みたいな格好になったんですね。 ──実際、どういった形で活用された製品っていうのは、何かお伝えで教えていただける範囲で。  入って割と早いうちに何をやらされたかというと。最初はね、さっき言ってたモトローラの MC68000 シリーズの CISC のプロセッサーを入れた UNIX ワークステーションだったんですけど。途中から MIPS っていう会社のね、R2000 とか R3000 とか、あの辺のチップを入れた RISC の UNIX ワークステーションを作り始めたんですね。そのハードが、要するに RISC になったら MIPS 値だけはすごく上がるんで、性能が一〇倍になったみたいなことを言うわけですよ。その、ハードウェアを使って別製品を作ってください、というのが仕事で与えられて。  プロジェクトとしては、警視庁の信号制御装置。ああいうところの OS としてそれを入れなさい、とか。  たくさんの信号機のデータを送ったり、逆に、信号機の近くに超音波センサーとか並んでるんでね、混み具合とかを測るんですよ。そのデータが上がってきたりするんですね。それを定期的にデータを入れて計算して、データをまた流して、みたいな。そういうことをやるような仕組みが、いわゆる交通管制センターにあるんです。そこに納品する計算機として入れてください、って言われた。  性能が一〇倍以上になっているから、一〇分の一のリソースでできるんじゃない、って言われて。そんなわけないでしょっていう話をして。だいぶそこでいろいろ言って、上の方にも納得いただいて。信号制御を、UNIX ワークステーションの中にいきなりデータを突っ込むんじゃなくて、いわゆる小亀って言ってましたけど、サブ基板がずらっと並んでて。そこにまた、ある程度処理できるような CPU をずらっと乗っけて。そこに交差点情報をシリアルで流し込むと、そこである程度処理してから上側に送って、上側というか RISC の UNIX 側にデータを送って。さらにそこでもう一度処理して、大きな、いわゆる指示用のパラメータを落としてもらって、また下が計算してそれを下流に流す、みたいなね。そんなような構成にしてもらって。そういうのをやりましたよ。ほぼ初仕事に近いと思います。 ──当時からかなり UNIX が、組み込みといいますか、基幹システムみたいなところで使われてる。  そうですね。その時はもう、初めてだと思います。UNIX の OS で、いわゆるそういう信号制御のセンターのところに入れるみたいな話。 ──じゃあ実際に、UNIX がちゃんと使われ始めたっていうところっていうことなんですね。  そうですね。それ以外の使われ方だと、普通に CAD の端末とか、そういう扱いですね。 ──実際じゃあ、そのままお仕事を続けられていく中で、ソフトウェアをどんどん触っていかれていって、今に繋がれていますか。オープンソースとか、そういったところに関わっていかれたっていうような。  オープンソースは、もうひとひねりあって。社会人が長いんで。さっきまで言ったのは事業部門だったんですけど、そこから今度は研究所に移れって言われたんですね。私自身がずっとハードを作りたい作りたい言ってたもんで、ハードを作らせてやるから研究所に移れ、というふうに言われて。  研究所に移って、今でいうと NVIDIA の、ジオメトリーを計算するような IC ってあるじゃないですか。あれ、一つの大きな LSI になってますけど。あれを、LSI なんかまだまだ作れないような時代だったので、あのレベルは。なので、ちょっと計算が早いような RISC の、ただデータバス線だけ大きいような CPU をタンデムで乗っけて、ジオメトリーの計算をひたすらガーッと流して、みたいな。そういうような CPU 基板みたいな。それが基板になってますけども。全然能力は低いですけども、NVIDIA のチップと同じようなことをやってるんですよ。そういうやつを設計して出したりとかは、させてもらいました。  そういうのがあるんで研究所に移ったわけですけど。研究所に行くと、今度はインターネットにつなごうね、みたいな話が出てくるわけです、その頃はね。ただ、インターネットと言っても、みんなその頃は電話でつないでる、UUCP でつないでる。電話でデータをバケツリレーしてるネットワークがインターネットだったんですよ。何をやってるか、というと、メールの配送と、ニュース、電子ニュースの配送ぐらいしかやってなくて。そもそも IP なんか全然つながってないんで。というようなのをやってる人たちがいて。  大学は、その前からいわゆる IP ネットワーク、WIDE やったかな、そういう学術ネットワークみたいなのがあって、IP でつながってたりするんですけど。そこになんとかつなぎたいみたいな話をやってた人がいますと。私、だから大学の時に、そういう大学の研究室に端末がたまたま来て、そこで私、ニュースとかで遊んでたり。それをどうも知られてたんで、お前やれ、手伝えという風になって。うちの電子メールの仕組みとニュースの仕組みを維持するというようなお仕事の手伝いをやり始めましたと。  そこら辺からなんですよ、いわゆるオープンソースに近いものに触れてくるのは。  ニュースの中にですね、プログラムを配ってくる人たちがいるんですね。fj とか言って、フロム・ジャパン。日本でそういうことをやってる人もいるし、comp 何とかとか、いわゆるアメリカ中心ですけども、研究者たちがいろんなものを投稿するようなニュースグループがあって。そこに、ライセンスとか、そういうの、全然その時は何にも書いてなかったんですけど。こんな面白いプログラムがあるよ、みたいなのをポンポン投稿してくれるような人たちがいっぱいいた。そういうののうちで、役に立ちそうなのをピックアップして、会社の中、研究所ですけどね、そこで動かしてみて、みたいなことをやり始めたのが、割とオープンソースに近い動きですかね。 ──今、フロム・ジャパンとかについて調べたり。実際そういうニュースとか、そういったものをみんなで共有するような文化の中でっていうこと。なるほど。  なので、そこら辺で。ちょうどそれと同じぐらいですかね、NCSA Mosaic とかが出てきて、ワークステーション上で Mosaic ブラウザを動かして、これはすごい派手だ派手だ、みたいな話が出つつ。でしばらくすると今度、IP ネットワーク、IP 接続かな、UUCP じゃなくて本当に IP でインターネットにつながるみたいな風にもなってきて。でゲートウェイを作る手伝いをしたりとか、そういうことをやってました。  なんですが、今度はその後、私、研究所から情報システム部に異動するんですよ。で、情報システムで何をしたかというと、研究所でつないでたメールの仕組みを丸ごとガサッと移管されてきて。全従業員にそれの ID をばらまくと。メールサーバーをとんでもなく増やすと。ゲートウェイももうちょっときちっと整備して、会社の中のネットワークも全部 IP で接続するようにして。DOS、MS-DOS の 3.1 から Windows の 95 とか 98 とかに従業員のパソコンを変えて。で、E メールの使い方はこうだよとか教えて、ブラウザ、ネットスケープの使い方はこうだよとか教えて、みたいなことをするのが、情報システムでやり始めた大きな仕事です。  そうなってきた時のベースの仕組みで、初めてオープンソースを使ったらどうか、という話が出てくる。もともとフリーのソフトをいっぱい使ってたじゃないですか、fj 何とかで。その辺でいろんなものがあったんですけど。オープンソースという言葉が、ネットスケープがオープンソース化したぐらいのタイミングで出てきて。それで、いろんなものを使って作ったらどうや、みたいな、当時の上司から言われて。  ただ、自分で、要するにオープンソースとかいう話が出るより前から、結局、流れてくるソースコードを使うか使わないか、何かトラブルが起こった時に直さなきゃいけない、全部自分でやらなきゃいけないと。オープンソースも基本一緒ですよ、ということでいくと、自助努力の範囲でできるものでないと全社員向けには提供できません、というふうに、頑なに拒んで、というかね。やばいからね。 ──会社の方からそういうオープンソースを使ったらどうかって言われたりっていうことがあったそうです。  そうです。上司が結構ラジカルな人でね。そういうことを言いたがるので。 ──なかなか当時だと、使わないっていうのは。  多分、情報システム部では私個人ぐらいしか関わってなかったんで、見える範囲は。メールとニュースとゲートウェイあたりは分かるけど、OS は無理です、と。Linux が出てきてるやろって言われましたけど、その当時 Slackware ぐらいしかなかったんですけど。無理です、こんなもん、見てられませんと。一番最初にそういうのを展開したときは、OS 部分は、その当時は Solaris だったんですけどね、Solaris 2.何ぼみたいな感じになってたんですけど。それで OS 周りは全部揃えて、そこの上に、いわゆるオープンソースのサーバー類を載せるという構成で、従業員向けの仕組みを提供すると。  そこからオープンソースというのに関係してくるわけで。ネットスケープがもろもろあって、Firefox、Thunderbird とかに変わるじゃないですか。その頃に、いわゆる Mozilla Japan さんが、実は声をかけてきてくれたんですね。私らが、ネットスケープから Firefox、Thunderbird に変えますと、社内に実装を変えますという風なことを言って。オープンソースをそれなりの規模で採用してるし、しかも IT ベンダーじゃないところで採用してるっていうことで珍しい、みたいな格好で、日経さんとかに取材されたりとか。そういうのも、ちょっともしかしたら時間関係が前後してるかもしれないですけど、同じくらいのタイミングで Mozilla さんからも、どういうことをされてるのか取材したいです、みたいなお話が来て。Mozilla の瀧田さんとかとお話ししながら。Firefox は今でも社内でずっと使ってるような格好になってきます。  Mozilla さんは会社の形を取ってますけど、そうじゃない、Mozilla 組だった頃からね、実は使ってはいたので。いわゆる、なんだっけな、OSC だったかどうか分かんないですけど、そういう展示会とかでお話がつながるようになって。で、うちで使ってるんですよ、みたいな話とか、そういうことをさせてもらったりとかして。そうすると今度は、OSC の場で、いわゆる事例として紹介してくれ、みたいな話がパラパラ来るようになりまして。  で、ちょっと時間が後だったんですけど、OpenOffice.org というのも使い始めたので、それもこんなの使ってますよ、みたいな話を OSC なり、そういうことを日経でも取り上げられたことがあります。 ──そうですね。記事を拝見させていただいて。結構全社で。  そうですね。今でもインストールベースは非常に多いですよ。 ──そうなんですね。未だに OpenOffice.org は、今 LibreOffice になりましたか。じゃあ基本的に、未だに LibreOffice を使って。  使ってるとは言えない。なぜかというと、インストール基本セットみたいなのがあって、そこには LibreOffice とか入れてあるんで、インストールベースは多いんですけど。コロナの時に、全員にマイクロソフトの ID を付与してるんですよ、Teams を使うために。そうすると、全員が今度は MS Office を使えるんで。高いから買えない、買えないから LibreOffice を使ってます、みたいな層がいなくなってるんですね、今は。  ただ、MS Office で何か脆弱性が出てやばいわ、みたいな話になった時には、ちょっと代わりに使う用のものは入ってるよ、っていう。そういうようなことになってますね。  というあたりから、オープンソースの人たちとはちょっとお付き合いが始まる、みたいな。そんな感じになります。それが二〇〇五年とかぐらいですかね。 ──なるほど。オープンソースにそれこそ関わっていく中で、実際にオープンソースを支える側といいますか、オープンソースソフトウェア協会みたいな形で関わられていくと思うんですけど。そうしたものも、今の流れの続きでっていう形で関わられていったっていうことなんですかね。それとも何かの一つ。  オープンソースの、私個人の付き合い方というと、実は二面性があって。いわゆるコンピューター好きの人という意味では、オープンソース好きです、と。それがベースにありますと。それがベースにあるんですけど、関わってるっていうところまではいかないはずなんです、それだけだと。  関わってるのは何でですかっていうと、実は、会社の仕事として全部やってます。 ──今までの会社の仕事と関わりながらやっていかれている。なるほど。  基本的に、オープンソースって、みんなが使って盛り立てていかないと死んじゃうものじゃないですか。私らが会社で採用したら、オープンソースが死んじゃうと困るんですよ。私らが困るから、死なないように応援したいです、というのの活動の中で、今みたいなことを起こしている、というようなことです。 ──じゃあ実際、そういったお仕事の一環で、オープンソースの団体であったりとかに関わるような形をされてる。なるほど。  そういうことをずっと続けてて。先ほどちょっと言いましたけど、ラジカルな上司がいますって言ったと思うんですけど、その人がですね、実はオープンソースソフトウェア協会にも入ってたんですよ。  中に入ってて、やっぱりよく分かんないので、大釜またやれ、と連絡してくるわけです。元上司なんで。関わってるというか、協会に入ったのはそういう理由です。だから、自分で手を挙げて、ぜひ入れてください、というわけではない。ただ、入った限りは、そもそもオープンソース全般については応援したい立場はあるので。元上司から言われてますけど、その時の私の直上の上司のところを通じて落ちてきた話なんで、仕事としてやりますよ、としてもらって、今に至るということですね。 ──実際のお仕事の延長線上であるっていうようなところで。やはりオープンソースを守っていかなければ、というか、継続していく。なるほど。  とは言いながら、ベースはオープンソース好きなんで、うまくいくようにという方にバイアスはかけますけど。基本的には、いわゆる会社の仕事として、オープンソースというものがちゃんと発展していくように。もっとダイレクトに言うと、我々が使ってるオープンソースが死なないように、というようになる。  同じように、うちの会社になるんですけども、ある時からデータベースの方も PostgreSQL を主体的に使います、というふうになります。そうすると、PostgreSQL のユーザー会の、いわゆる企業ユーザー会みたいなのが多分あると思うんですけど、そこの設立を、私じゃなくて、別のデータベースとか社内システムを作っている人たちで関わってきたりとか、いうふうな動きになったりとかしてますよ。  それも、PostgreSQL がダメになるとまずいので。企業ユーザーがいっぱい集まって、これ結構使いやすいデータベースなんで、みんなで使いましょうよ、と。情シスの人、SQL を凝るので、他の DB じゃダメなんですよ。複雑な SQL が通らないので。PostgreSQL だと結構通るので、そんなに大きなシステムでなければ、基本的にどこでも役に立つはずです、ということなので。それを広めていくという活動をされていると思います。 ──なるほど。会社全体でそういった形で関わっていってということをやられている。なるほど。いろいろ調べたところだと、最近だとセキュリティの分野も、オープンソースとかの部門でも CSIRT とか、そういったところをやられていたりというところ。最近のお仕事としてやられてらっしゃるのかなっていうところなんですけど。もしよろしければ、そういったところ、近年お仕事としてやってて、そういったところが OSS とも関わったりとかあるんですか。  どうなんですかね。えっとですね、それで言うと、実は、うちの会社って IT ベンダーとかじゃないので、IT の技術力がそんなに高いとこじゃないという風に認識してるんです。そうするとね、何でもかんでもオープンソースを使ったれ、にはならない。自分で責任を持てる範囲でないと使っちゃダメよ、っていう風に基本的な方針は立ててるんで。いわゆる採用するっていう風なことを真面目に検討するようなチームが、一応、世代が代わりいろいろあって形も変わってるんですけど、ずっとあるんですよ。  そういう意味では、何でもかんでも盲目的に採用するんじゃなくて、一応評価した上で、これだったら使える、コミュニティ的にも大丈夫そうだし、いいんじゃない、っていうようなものしか使ってない。ということは、結構少ないんですね。オープンソースをよく使ってる会社って言われてますけど、使ってる本数は多いんですけど、種類は少ないんですよ。 ──そういう意味で言うと、脆弱性にぶち当たる数は少ない。ちゃんと精査されてるから。  そうですね。ちゃんとしてるところを基本使いなさい、っていうことをしてるので。何か脆弱性が出てきても、割とすぐにパッチが出るとかいうことになって。そういう意味では、あまり苦労は実はしてない。何でもかんでも使っていいっていう風にしてないから。 ──逆に言いますと、それの作業がやはり、やられていらっしゃる。そういうチェックであったり、審査とかをっていうのが、やはり大変だったりっていう感じなんですか。  そうですね。それなりに分かってる人間でないと、やっぱり判定できないので。そうですね、それをやれる人は選ぶと思います。 ──そういったことを最近は主にやられてらっしゃるというか。  私はやってなくても、次の世代の人たちがやってますよ。  そうですね。形はあるんで、同じことはずっとやってます。 ──現在は、実際どういったお仕事に関わられてますけど。  所属はそうですね、SEI-CSIRT 室というところが本務になってて。ここはグループ全体のサイバーセキュリティの統括って言ってますが、統括なんでね、実働しないんですよ。ちゃんとやれっていうだけで。基本的には。なので、しんどくはないっていったら嘘にはなるんですけど、そんなに、何か起こってとか、何か導入してとかいうことを自分でやることはない。  それをやるのは実働部隊でやって。例えば社内システムだったら情報システム部がやりますとかありますし、工場だったら生産技術部がやりますとか。私たちが作っている製品とかに対してセキュリティレベルを上げますという話については、事業部門のいわゆる開発部隊がやります、となって。いわゆる CSIRT、PSIRT の実働部隊をいっぱい作っている。  関わってる人たちというのがリストになってたりするんですけどね。いわゆる、全部別に辞令が出るわけじゃなくて、あんた、こういうやつもやってくださいね、っていうようなことを言ってやってもらってる人たちが、昔数えたとき、七〇〇人ぐらい。逆に言うと、それぐらいの人たちでやらないと、多岐にわたりすぎてるんで。 ──そうですよね。そういうところに対してやってくださいっていう。なるほど、そういう立場ですね。  あと、それ以外に社外とのやり取りですかね。あとは上の人たちとのやり取り。そういったところをやってる部署になります。あと、全体方針かな。会社グループ全体の方針作りっていうところですかね。 ──実際に、実働というよりは、やはり全体的に会社としてどう使っていくかっていうところ。  セキュリティという意味では、そういうことになります。オープンソースだから商用だからって区別してないですよ。統括的に、ソフトウェアに対してある程度審査して、そういうものを採用するかしないかっていうところを判断するようにしています。 ──そういったところでやると、オープンソースだから商用だからみたいな理由でなったりならなかったりっていうのは、やはりそういったところはない、っていうか。  そういう意味で言うと、販売元、商用だったらね。オープンソースだったらプロジェクト、コミュニティ、そこは見ますよ。やっぱり一度会社で採用しちゃうと結構長い間使うものなんでね。うちの会社なんかだと一〇年使うのは普通なんで。そういう意味で言うと、なんか怪しいことしてるところは、やっぱり避けますですね。避けようがないところもたまにあるんでね、マイクロソフトさんとかね。そういうところは仕方がないかな、というのはありますけど。 ──そういうところと実際、採用するってなったら、関わりに行くといいますか、何かしらアプローチを取ったりっていうことを実際されてるっていうことですか。  そうですね、基本的にはそんな格好ですね。とは言いながらね、いわゆるお金の契約で済むところは、そこで済ましてるかもしれないです。だから Linux でも、無償の Linux とか使ってた時もあるんですけど、結局は、ちゃんとドライバーまで、何か問題があった時は修正してよね、っていうことを言いたいので、有償のサービスがあるところと契約して使ってます。ライセンス料を払ってる方法ですかね。そこで済むのは、それでやってます。 ──なるほど。そうなってくると、やはり商用とオープンソースで結構出てきてて。いまだにオープンソースを使い続けてる理由といいますか。なんとなく商用とかに置き換わっていったりっていうことも逆にあったりっていうことはあるんですけど。逆に言うと、商用がオープンソースに置き換わるみたいなこともあるんですか。  基本的に、社内システム、基幹システムの構成はこんなんだよ、というのも標準で決めちゃってるんですよ。そこは今、ベースは Linux の上に、うちで開発した、いわゆる基幹システム用のフレームワークみたいなもの。あと、それの上や下やらにオープンソースが刺さってて、っていうようなものをベースにしてて。それはもう、ここ二〇年ぐらい変わってない。変わってないというか、中身は差し替わってるんですけど、その構図は変わってない。  そういう意味で言うと、Windows OS が入ってくるっていうことは、まあ少ないです。ないわけじゃない。ないわけじゃないというのは、Windows OS でしか動かないようなソフトウェアを使いたいとか、いうような時ですかね。あとは、Windows のパソコンが皆さんのコンソールになっているので、そいつを制御するとか、監視する、管理するみたいなものは、だいたい Windows ベースの OS の上に乗っかってますんでね。その部分はある程度の数は並んでしまいますね。それはそれで別に禁止してるわけではないので、いわゆるアプリケーションプレイヤーとして使います。 ──はい、ありがとうございます。会社の方ではそういった形でやられてて。オープンソースのソフトウェア協会の方だと、大釜さんが独自に何かやられてたりとかっていうのは、何か最近あったりとかは。特にあったりっていうわけではない。  独自にはない、というか、そういう概念がほぼなくて。オープンソースソフトウェア協会、一応理事をやってます、なんですけど。理事もやってますが事務局もやってて、事務局長っていうことになってますよね。そうなると、いろいろ勝手にやろうと思ったら勝手にできちゃうんですけど。そんなことをやったらいろいろ怒られるので。ちゃんと事務局会議なり何なりでもって、毎月ですね、方針を確認して、次はこんなことをやろうか、みたいな話も相談しながら。理事・事務局、だいたい五、六人ぐらいで毎月やってるんですけど。というのをしながら、方針を決めて。  自分たち独自のイベントごとも年二回から三回ぐらいやってます。OSC の参加はなるだけ出ます。特に地方とかは、いろいろコネクションを作りたいところもある。  あと最近はですね、ちょっと前は若い子が全然来なかったんですけど、最近また学生さんが来るようになったので。学生さん向けに、ちょっと、「オープンソースとは」、みたいな話を展開できるような配り物を作ったりとか、いうようなことはやってますね。基本的に相談した上で。実は割と私だけに近いんですけど、いろんなものを作ったりとかするのはね。私の方でお金も管理しているもんですから、いろんなところに制作発注したりとかするのも私の方で手配するというような格好になってますね。  会長さんとかは、現地に来てもらって講演してもらったりとか、もの配るのを手伝ってもらったりとか。逆にメインで座ってもらったりとか。あとは何かな、懇親会の方はどっちかというと会長さんに出てほしいんで。この前は懇親会でいろいろお話いただいて。そんな感じですね。独自では動いてないです。 ──でも、かなりボールを持っていろいろやられてるっていうような形なのかなって。  そうなんですよね。そこそこいろいろやってるのに、独自でやったら死んでしまうわ、とか。 ──ありがとうございます。そうですね、じゃあちょっと最後の方になってくると思うんですけど。今、オープンソースとか使われてて。最近とかだと、今までオープンソースで、結構最近それこそ私たちのような学生であったりとか、結構盛り上がってるといいますか、ある種活発になってきていて。環境もある種モダンな開発環境といいますか、AI であったりとか、そういったものが出てきていて。オープンソースもコミュニティが、AI を使ったコミュニティ、いろいろ難しいところが出てきているように、傾いから見て思うんですけど。そうした中で、近年そういったところで課題ではないですけど、変わってきていることとか。そういったところで難しいなとか、悩んでいらっしゃることとか、そういったところとかって何かしらあったりとかありますか。  悩んでるところは、何年か前は、本当に若い人がいないねっていうのは悩んでたんですよ。OSC に来てもいないねっていう話があったので。ちょっとどういう理由か分からないんですけど、最近増えてきておられるので、そこは悩みは解決した、というか、何もしてないんですけどね、こっちは。なんか人が来てくれてるなっていうのがある。  逆に、興味を持ってくれた人が、なんか、返ってこなくなるみたいなことにならんようにしないといけないな。それにはどうすればいいかな、っていうところは気をつけておかないといけないかな、というふうに思います。  あとは AI 関係は、会社で使う場合もそうなんですけど、まずコード生成については、コードがライセンス違反を起こしてないかが心配ですね。だから、AI を活用してコード生成までやってオープンソース化したら、Black Duck あたりから、ここのオープンソースから取ってきてませんか、なんて言われたらまずいわけで。会社側もそうなんですが、会社側でいろんな開発で作ったやつを AI でコードを作ります、って言ったときも、それ大丈夫か、みたいなのが常にあるので。そこは時間の問題だと思ってるんですけどね。ある程度解決されてくるだろうと思うんですけど。今は心配、心配。心配だけど、時間が解決するはず。偉い人たちは解決してくるはず、っていうふうに思っています。 ──実際に活用する。実際にもう社内の方では活用されてらっしゃるっていうような。  テスト的にはやり始めてはいます。本格的にはまだやってないはずです。  あとね、製品の方にそういうものを入れられると、それはそれでもっと困るんで。  そこはちょっと心配してる。製品の開発環境は、こっちからちょっと見えないところもあるんでね。心配ですね。 ──そうですね。それこそオープンソースに AI を使ってライセンス問題が、みたいなところが。実際に社内で採用されてらっしゃると、なかなか難しいところがあるのかなっていうのは、すごいお話を聞いてて感じてたっていうところで。やっぱり心配っていうところになるんですかね。  一応、公式に心配しなくて大丈夫ですよって言ってるのは、GitHub 上の Copilot ぐらいだったと思うんです。要するに、ライセンス違反を起こさないようなものを作りますよって言ってくれてたと思うんです。ただ、会社のシステムを GitHub で作ると変えたら、それはそれでまた別問題が起きるんで。そうですね、ちょっとね、というところはありますね。  あとは最近だと、AI で脆弱性がいっぱい見つかって、修正のプルリクがいっぱい飛んでいって開発者が激怒して、みたいな世界がありますけど。元のコードはよろしくないって言ってくれてるんだから、そこはやっぱり直していくんだろうな、と。今まで見つからなかったものを AI が見つけてくれた、っていうことではあると思うので。ただ、今は大量に来すぎてるんで、っていうことで、産みの苦しみに近い状態になってんのかな、っていう風に思います。  やっぱりオープンソースだけじゃないんですよね。商用でも、例えばマイクロソフトさんのパッチが、ここ三ヶ月とんでもない量があったりとかね。Chrome のパッチがえらい頻度で飛んでくるなとかね、ありますでしょ。なので今、ソフトウェアはみんな多分 AI でもいろいろチェックされてて、いっぱい修正させられてると思うので。そこがある程度落ち着いてきたら、どっかで収束するはずだと思ってますから。時間の問題だろうなと思いつつ、ちょっと心配してます。  これは心配してます。体力があるとこは大丈夫なんですよ、MS さんとか Google さんとか。体力があるとこはいいんですけど、体力がないオープンソースプロジェクトは、多分、対応しきれないみたいなことになっちゃうんじゃないかな、というのはちょっと心配してますけど。 ──ありがとうございます。そうですね、最後と言いますか。今後、ソフトウェアに、多分これからもお仕事として関わって、お仕事も含めいろいろ関わっていかれると思うんですけど。今後どういった、今まで通りというか、何かしら関わり方に対して、今後どうしたいとかっていうところとか、何かしらお持ちだったりとかしたら、もしよろしければ教えていただきたいなというふうに思うんですが。今まで通りであれば、そういった形というのもすごくあると思うのですが。  そうですね。端的に言うと、結構忙しいので、こんな風にしたいですみたいなことは、まだ今、頭が回ってないのは実情ではありますが。何かきっかけがあって、その形が変わるような、今までもちょこちょこ経験はしてますので。時が来れば何か変わるんでしょ、っていう気はしてます。それが楽しみなのかどうなのか分かんないですが。気が付いたらこんなことになってましたわ、みたいな話はあるかもしれないです。  自分自身は、今の状態でタスクがいっぱいあるんで、大変は大変なんですけど、充実はしてるんで、別にいいかなと。OSC であちこち行かせてもらって、そこで若い人とお話。特にこの間なんか、横に居た人は高専生でしたからね。一八歳ですからね。 ──そうですね。そうなんですよ、高校二年生とかだったり。  そうなんですよ。高校二年生の人が右隣にいて、右斜め前に Ruby のまつもとさんがいて。どういう状態や、とか思ってましたけど。みたいなことがあって、楽しいなと思ってますんで。楽しいうちは、そのまま頑張っていきたいと思ってます。  あとは、基本的には、好きな世界が広がればいいなというのはあるので。オープンソースに限らず、プログラムをみんな楽しく使ってもらえるというところが広がれば、非常に嬉しいかなと思ってるんで。そうなるものに何か関われるなら、関わるようにしたいかなと思ってます。  個人的にはゲーム大好きじゃないですか。 ──最初は X68000 ですからね。そうですね、これでプログラムを作ってゲームとかされたりとか。  暴走族みたいに、処理が早いのが好きな、その辺からなんですよね。CPU を遊ばせたくないんですよ。 ──今でもゲームは結構やられてるんで。  そうですね。オンラインのゲームとかやってますよ。 ──いいですね。ありがとうございます。すみません、もうそろそろお時間、一時間ぐらいお話いただいて。すみません、貴重なお話を一時間ありがとうございました。  お役に立っていればいいんですけど。 ──もう、ぜひこういう形でいろんな方に。本当に当時と言いますか、私も UNIX とかを現役で触ってるような方とか、実際どうだったのかって知らなかったっていうところが正直なところで。こういう皆さんの温度感とかをすごく知りたいなっていうところがあったので、すごい貴重なお話をお聞きすることで、すごい嬉しく。ありがとうございます。 ──はい。でもまた、ぜひ OSC の方はかなり、また今年も何回か参加させていただければと思っているので。もしそこでお会いできたりすればということで。  分かりました。 ──はい。すみません、お時間いただきありがとうございました。  来られるんですか、OSC 京都は。 ──ちょうど私、大学の試験がちょうど被ってしまってて。一〇月の東京は行けると思うんですけど。  そうですか。ごめんなさい、東京、私はいないんで。またどうぞよろしくお願いします。 ──ありがとうございました。よろしくお願いします。お時間ありがとうございました。 [語注] PC-1211 シャープが一九八〇年に発売したポケットコンピューター。電卓の形をしていて、BASIC が動いた。 X68000 シャープが一九八七年に発売した個人向けコンピューター。ゲームの表現力で知られた。 Z80、MC6809、MC68000 いずれも当時の CPU。Z80と MC6809は八ビット、MC68000は十六/三十二ビット。 CISC、RISC CPU の設計思想。命令を多く持たせるのが CISC、単純な命令に絞って速度を上げるのが RISC。MIPS 社の R2000・R3000は後者の代表。 Pascal 手続きの構造を明確に書かせる、教育にも用いられたプログラミング言語。 データフロープロセッサー 命令を順に実行するのではなく、データが揃った処理から動かす方式の計算機。 LISP 人工知能の研究で長く使われてきたプログラミング言語。 UUCP 電話回線でデータをバケツリレー式に転送する仕組み。インターネット普及以前の電子メールとニュースを支えた。 ニュースグループ、fj 話題ごとに記事を投稿し合う分散型の掲示板。fj は日本国内向けの一群で、from Japan に由来する。 WIDE 日本の大学や研究機関を結んだ学術ネットワークの研究計画。 NCSA Mosaic 一九九三年に公開された、画像を表示できる初期のウェブブラウザ。 Slackware、Solaris 前者は初期の Linux ディストリビューション、後者はサン・マイクロシステムズの商用 UNIX。 Mozilla、Firefox、Thunderbird ネットスケープの公開されたソースを源流とする、ブラウザとメールソフト、およびその開発団体。 OpenOffice.org、LibreOffice 無償で使えるオフィスソフト。前者から分かれたのが後者。 PostgreSQL オープンソースのデータベース管理システム。 CSIRT、PSIRT 組織の情報セキュリティ事案に対応する専門チーム。製品を対象とするのが PSIRT。 Black Duck ソフトウェアに含まれるオープンソースとそのライセンスを検出する検査サービス。 Ruby のまつもとさん まつもとゆきひろ氏。プログラミング言語 Ruby の作者。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/04/