OSSの生活史 第一集 第一篇 漫画が描けないから、自作OSって形で表現してる 語り手=大神祐真(へにゃぺんて) 聞き手=大川貴久 2026-07-15 57分39秒 ──まず最初に、ソフトウェアとかっていうのを触るようになったきっかけとか、そういうところって、最初どういったきっかけがあったかとかって、覚えてらっしゃいますか。  そうですね。ソフトウェアを触るきっかけは。ソフトウェアっていうと、なんて言うんですかね、ゲームハードというのか、パソコンで言うのかっていうところはありますけど。やっぱり今につながっていることで言えば、パソコンになると思うんですけど。パソコンがうちに来たのが、Windows Me っていうのが出ていた、二〇〇〇年ぐらいの時の話で。その時、私は小学生だったんですけど。それで、うちにパソコンが来たりしたのが、初めてだと思います。  それか、学校の技術学習みたいな、技術家庭科だったかな、そういう授業とかで、学校にあるパソコンを触ったりとかもあったかもしれないですけど。それで言うと、ソフトウェアっていうものとの初めての関わりは、うちに初めて。一家に一台パソコンみたいな時代だったんで、一人一台じゃなくて。なので、そこで。  ソフトウェアというよりかは、インターネットにそこで初めて触れた、っていう体験の方が大きい感じがしますね。それで、パソコンを開く動機はやっぱりインターネット。Internet Explorer とか、当時、今は Edge ですけど。自分にとってのパソコンのソフトウェア、パソコン、OS を立ち上げて、ひも解いていったら、主にブラウザで。そうですね、パソコンといえばインターネットとの窓口みたいな、そういうところから。 ──ありがとうございます。やっぱりその当時だと、インターネットがちょうど栄え始めてきた頃。どういったコンテンツとかですか。  やっぱり、それはですね。当時は多分。Flash 動画ってご存知ですかね。  そうです。昔、Macromedia っていうところが Flash を作ってて。で、それを Adobe が買収して、結構 Adobe も Flash を、形式をなくしてしまいましたけど。あれで、なんか、そういう Flash 動画を作って、有志の人たちが、Flash 動画をまとめておく、なんか、面白 Flash 倉庫とかいうのは結構有名なサイトなんですけど。そういうポータルサイトみたいなのが、いくつかいろんなところに立ってたりしたんですね。そこで投稿されてる Flash 動画を見たりだとか。  で、当時、私の自宅は ISDN って言って、上り六四キロ、下り六四キロっていう、それでも昔の電話回線からすると早かったんですけど。Flash 動画を見るには遅い回線だったんで。ADSL っていう、もうちょっと早い回線である友達の家に行って、Flash 動画を見るみたいな。  なんで、今だとネット上でやれることっていうのは、別に誰でも自宅でやればいいって感じですけど。回線の遅さ速さみたいなのもすごくて。回線が早い友達のうちに行って、わざわざ Flash 動画を見るみたいなことをやってましたね。  あとは、MMORPG とか。確か今でもあると思いますけど、『メイプルストーリー』っていうやつ。あれを、中学校の時ですね、やってて。あれも中学ぐらいの時ぐらいまで ISDN で頑張ってやってましたね。  その、場面展開と、別のステージっていうか、別のフィールドに行く時のワープ演出で。次のステージに。MMO なんで、ネットで繋がってるみんなでやるんですけど。回線の速度が速い人は、次のフィールドに移った時に、次のフィールドのデータをロードするのが早いんで、すぐワープが終わるんですけど。私はワープが全然終わらないんですよ。先にワープした友達が、次のフィールドの出入り口とかで待ってるっていう。  私のグラフィックはワープ先のところで、浮かんだまま固まった状態で、ずっと固まってるっていう。また、ちょっと回線が遅いから時間かかってるな、みたいな。 ──確かに。当時はなかなか今みたいに Wi-Fi が進んでるって感じじゃないと、そういうことが。 ──当時はやっぱり、ゲームとか動画視聴をされるって感じで。実際なんか作ったりとか、そういったことっていうのはされてたりとかしました。  ああ、しました。個人サイトって、今改めて、なんか Twitter とかがうさん臭くなってきて取り沙汰されてた時、一時期ありましたけど。まさに個人サイトを私が作っていて。それ今でもあるんですけど、全然もう更新してないんで、二〇一二年か。ちょっとチャットにリンクを貼りますけど。 ──あ、はい。ありがとうございます。  あれ、チャットって、これどこから出せるんです。あ、ありました。よいしょ。こんな感じのサイト。cupnes.com っていう独自ドメインを取ったのは後なんで、当時は独自ドメインになってなかったんで。  なんか無料のホームページスペースを公開してくれるサービスがあって。なんで、このホームページスペースを公開して、そこの決められたところに FTP でアップロード、データをアップロードすれば、それが決められた、あらかじめ用意されたドメインのところに、コンテンツが展開されて、お宅のサイトとして使えますよっていう。で、容量無制限なんですけど、当時ですよ。  で、代わりに、このヘッダーとフッターを付けてくださいって、広告が自動で出てるようなやつがあって。それをあらかじめ絶対に付けてくださいっていうルールで。で、今は私の完全なこれ、さくらの VPS でやってるんで、広告とかもうついてないですけど。当時は。多分もうないと思いますけど、TOK2 っていうですね、無料ホームページスペースサービスがあったんですけど。でも多分、今これググっても全く別のやつが出てくるんで。 ──ああ、レンタルサーバーは、なんか今もあるのはまた別のものなんですかね。このホームページ、容量無制限の高機能格安レンタルサーバーっていうのがありますね。  ああ、そうですね。でも、なんか二〇二四年に、ブログで、TOK2 無料プラン終了とか出てるんですけど。でも、それのことです。 ──実際、当時、皆さんやられてるっていう感じだったのか。なんか、それとも結構流行りだったのか。それとも結構興味があって、どんどん進んでやられてたのかな、っていう。  ああ、結構、友達がやってたのの影響ですね。私のこの cupnes.com の中にリンク集ってあって。当時よくリンク集っていうのが個人サイトであったんですけど。そこのリンク集によくリンクされてるページは、友達のウェブサイトですね。  多分もうリンクを飛んでも、多分もうサイトないんじゃないかな。あ、これ、ヤク丸の部屋とかは、僕の小中学校の友達、親友だった友達ですけど。これ、ドメインが TOK2 になってますね。でも、もう多分この友達が消しちゃったのか。何なのとかないですね。リンク切れしてるやつがいくらでもありますけど。  なんで、友達が結構いろいろやってて。その友達と一緒に、私もちょっと個人サイトを作ってみようと思って。HTML タグを手打ちして、やってたって感じですね。 ──ええ、いや、すごい。やっぱりこういうサイト、坂井さんとかもお持ちで。結構、昔ながらのサイトって感じだったんです。すごい、やっぱりこういうの、昔からやられてる。  そうですね。そういう世代だったんでっていう話です。 ──で、なんか、その後に、多分なんか今につながるような、その OS とか、そういったところに関わるきっかけっていうのは、今どこら辺だったんですか。一応その、大学とかで Linux について色々やられてたっていう風な感じのはあったんですけど。どういった形の活動だったかとか。  ああ、えっとですね。きっかけって言うと、もっと古くてですね。じゃあ大学で、なんでそもそも OS の研究を選んだのかっていうところからになるんで。  きっかけって言うと、さっきの Flash 動画の次に、もうちょっと容量が大きい、MPEG とかそういう動画を公開する。あ、でも Flash 動画か。あれは Flash 動画だと思いますけど。今でもある、ふたばちゃんねるっていう画像掲示板で、あそこで、OS の擬人化っていうのが一時期流行ってたんですね。 ──はい。萌え OS とか、fumi2kick さんとか、そこら辺のですよね。『ぽえりな』とか、ああいう感じのですね。  そうかな。ああ、はい。そうです。『ぽえりな』はまさに当時。でも、『ぽえりな』っていうよりかは、もうちょっとなんて言うんですかね。当時 OS たんとか呼ばれてたやつなんですけど。OS 娘だとか。それで Google で、まさに出てきますけど。  で、これがですね、私が OS 作りたいなと思ったきっかけがこれで。当時、なんか、すでにあるプロモーションビデオだとか、そういうのをパロって、OS たんの動画にするみたいな。あるアニメのオープニングを、OS たんのオープニングみたいにするみたいな。そういうのが流行っていて。  で、当時、今でもありますか、『アイドルマスター』ってあるじゃないですか。『アイドルマスター』の一番最初のものって、あれ、アーケード版の『アイドルマスター』が一番最初のやつですけど。アーケード版の『アイドルマスター』がこれから出ますっていうののプロモーション動画があって。で、そこでアイドルを育成できるって言って、いろんな機能で、カメラでアイドルを撮ったりだとか、いろんなおしゃべりしたりとか。そういう風ないろんな機能を、ゲームの中の機能を紹介するっていうプロモーション動画を、OS たんになぞらえて。OS ごとに、Me であればフリーズしてしまうだとか、そういうキャラ付けの動画にしてたんですね。  なので、そういう風に OS っていうものをキャラ付けして、単なるソフトウェアじゃなくて擬人化して扱うって面白いなと思って。で、こんな感じで自分も、なんか独自な自分の OS ってものを、なんかこういう風に擬人化してもらえたらいいなみたいな。で、そうなんか、それよりも、なんか OS ってものが面白いなって思ったんですよね。  こういう、なんていうか、コンピュータハードウェアを直接触る、直接制御してるもので、すごくお堅い存在でありながら。なんか、当時の自分からすれば、Me がフリーズするとか、そういうのは、なんかすごく、なんか人間くさく見えたというか。なんか負荷をかけまくって、なんかいろいろ仕事を与えるとフリーズするみたいな。そんなのって、なんか人間っぽいなみたいな感じがしたりとかして。  なんか OS っていうのが、当時いけてない OS を私が触ったからこそ。まあ。でも、私が使ってた Me は、私がカスタマイズというかして、やったやつは、私が触るとフリーズしないみたいな風なとこまで行ったんですけど。 ──Windows はそうですよね。なんか結構。  ともかく。なので、そういう風、だから Me を触ったからこそ、OS ってものを、当時は、OS 開発っていうか、OS カスタマイズですけど、っていうところだとか。なんかいろいろいじくってみるっていうとこにも興味を持ったし。あと、OS の擬人化っていうものを知ったから、なんか今に繋がるような、ちょっと変なことをやるっていう方向性も興味を持ったんですね。  で、方向性として変なことをやりたくても、技術が伴わないと OS のことは作れないので。なので、理系に進むか文系に進むかっていう、中学から高校に上がる時の選択で、じゃあ理系に進もうっていう風にして。で、コンピュータの情報系の専攻がある私立高校に行ったんですけど。それでコンピュータの道に進むってのも決めてたんで、高校の時点で。  え、もう中学ぐらいから OS に興味があったんで、ちょこちょこ OS に関わろうとしつつも。で、その当時はあんまり自作 OS ってとこに行くまで、あんまりちょっとモチベーションがそこまではなくて。当時は覚悟がなかったというか。  高校になった当時に、ちょうど、今、あの川合さんって、OSASK っていうか、あの緑色の分厚い、三〇日で作る自作 OS の、川合さんの、あの本がちょうど私が高校生ぐらいの時に出てたんですね。はい。あと、それと、2ちゃんねるで OS を作ってたっていう、Mona OS ってやつとか出て来たりとかして。  なんか、高校、私が高校生ぐらいの時に自作 OS が結構流行ってて、友達もやってたんですけど。でも、その友達は私の同級生で。私、常に、中学生ぐらいとか、パソコンに興味を持ってた時からずっと、自分の周りに自分よりできる人がいるっていう状況にずっといたんで。あ、高校の時も、そのめちゃめちゃできる友達が自作 OS をやってたんで。なんか自分なんかにはできないなと思って。  とりあえず、その友達が言う、なんかアセンブリだとか、そういうの、CPU が結局マシン語で動いてて、マシン語に直接対応するアセンブリというものがあって。その当時教えてもらったんですけど、よく分からないなとか思いながら。でも OS 自体には興味があったんで、ちょっと頭の中にずっと残ってて。  で、大学で情報系の大学に行って。で、それで、ちょっと OS をちゃんとやろうと思って。それで、やっぱり、当時もういろいろ分かってきてたんで。オープンソースといえば、だから Linux カーネルを研究でやりたいって言ったんですよ。研究、その当時。  OS をやりたいとはいえ、本当に、研究室選択の三年生当時、四年生から研究室に配属になるんで、三年末、それくらいの時の研究室選びの時点は、本当に CPU のパイプラインとか、フェッチ・デコード・エグゼキュートって、パイプライン処理さえもよく知らないで。そこを扱える研究室の門を叩いたんで。  あ、ちょっと君、モチベーションがあるのは分かるけど、君、何も知識がないから、ちょっと Linux カーネルを扱うのは厳しいから、もっと組み込みの、あの小さい OS から始めよう、っていうので。TOPPERS っていう、あの名古屋大学の高田先生だったかな、っていうとこで開発されてる、μITRON っていう組み込み系のリアルタイム OS があって、μITRON 自体がリアルタイムじゃないのか。ともかく、そういう小さい OS の実装があって。  あと、TRON は、東京大学の坂村先生っていう方が。 ──はい、そうです。  これの組み込み向けのリアルタイム OS としての実装みたいなのが TOPPERS で。その TOPPERS を使った、ちょっと研究を、え、やってて。  で、え、だ、で、そこで、OS だとか CPU だとか、そういうことがちゃんと分かった上で、初めての就職先が、あの CPU ボードを自社で開発して、そこに Linux カーネルを移植して、お客様にはそのプラットフォームとして提供するっていう、組み込み CPU ボードを作ってるメーカーに、最初の就職先でいたんで。そこで初めて Linux カーネルをちゃんと触ってっていう形ですね。  で、そこまで来て Linux カーネルを触ったところまで来て、改めて、その当時はもうカーネル、Linux カーネルのコミッタになろうかと思ってたんですけど。でも、なんかだんだんですね、なんか当初のモチベーションじゃないぞ、ってとこで気づき始めて。当然、OS たんとか、そこから来てるんで、本当は。  なんで、技術的にはもう分かったはずだから、そうじゃなくて、なんか、すでにあるものにコミットしてくんじゃなくて、自分の OS を作りたかったはずだ、ということに気づいてですね。で、Linux カーネルの、その最初の就職先に勤めて、一年経ったぐらいか、それぐらいから、ちょっと自作 OS を、始めて、っていう形で。  最初に、全部フルスクラッチで、ブートローダとか、カーネルとか、ユーザーランドを全部作るっていうのを、まず最初にやってっていうとこからですね。 ──そうですね、あの OS5 ですかね。そうですね、はい、それですね。実際にこれが初めて自作 OS をされたっていうものになる。  あ、はい、そうです。 ──実際にこれについて、その、たくさん技術同人誌の方をどんどん出しているっていうような感じで。もう二〇一七年から、そう、なんか約一〇年ぐらい向けていろいろやられてるね。なるほど。そうですね、じゃあもう最初の方の動機から、もう一貫して、その、お仕事にもつながって、その上で自作 OS の方に。もうそうですね、あの、実際に趣味の方で繋がってるっていうような感じっていうことなんですか。  あ、そうですね。でも、仕事との繋がりっていうと微妙で。なんていうか、結局、前職を辞めたのも、前職を辞めたのは直接の、半分ぐらいの動機は、理由は、その前職の会社が、ちょっと業績も悪化して、別の会社に買われるみたいな事態になってしまって。ちょっと、みんな、いろんな先輩方も辞めてってるみたいな状況だったんで。ちょっとどうしようかなってので。  自分もちょっと、今の会社で、今の二社目の、この今いる会社にご縁があったんで、転職したって感じですけど。今の会社は、そういう組み込み系の会社とかではなくて、普通にインフラエンジニアをやってるんですけど。でも、それでも最初は、この今いる会社は Linux カーネルに独自で、ブロックレイヤーにパッチを当てるみたいなことをしてたんで。それに私がコミットしたっていうのが、一つきっかけとしてあったんですけど。  でも、組み込みから離れるっていう、その CPU を直接触るってとこから、CPU の、なんかレジスタとか、そういうレベルからちょっと離れるっていうところには、結構、思いとしては、そもそも Linux カーネルのコミッタになることは、もう諦めてるっていうか。そっちに自分の趣味の時間は割かないで、もうフルで自分の OS を作るっていうところに、自分の仕事以外の時間は全部そっちにつぎ込んでるんで。  なんで、もう Linux カーネルのソースコードとか、自分の仕事以外の時間では一切読んでないんですよ。はい。なんで、そうなると、キャリアみたいなところからは、どんどん遠ざかるんですよね。と、自分の OS 自体は、これは売り物として作ってるもんじゃないんで。あ、全然自分の好きでやってることなんで。  なので、仕事に、これ、それで言うと今やっと、こういう SecHack だとかセキュリティ・キャンプとかで、こういう独自な活動を続けてたっていう方向性で、こういう講師としてお声がけをもらえるようになって。初めて、この私の、この個人の活動っていうのが、ちょっとお金に繋がってきたなっていう感じで。 ──ああ、え、ああ、すごい。実際に、このオープンソース、その技術書典とか、多分、技術書典2に出されたのが最初とかで。かなり、結構こういうコミュニティといいますか、こういったものに出そうと思ったきっかけとかって、何かあったりとかしますか。  はい。ちょっと、同人誌を書こうと思った動機と、コミュニティ、勉強会とかで発表しようと思った動機は、ちょっと違うんですけど。まず勉強会の方からですね。そういう OSC とか、そういうカンファレンスもそうですけど、そういうところで発表しようと思った動機は。  最初、OS5(オーエスファイブ)というか、OS5(オーエスゴ)って呼んでるんですけど、OS、どちらでもいいんですけど。OS5 を作ってた時は、最初は、特に、公開、まあ GitHub 上で公開をしてましたけど。特にそれはプライベートにする理由がなかったから公開リポジトリにしただけで。特にどっかで発表しようとか思ってなかったんですね。自分の好きでやってただけだったんです。  なんですけど、当時北海道に住んでいて。北海道の、そういう技術系の勉強会があるってことを、どっかで調べたのかな。一年ぐらいずっとどこにも発表しないで、自分で一人ずっと作ってて。ある程度完成した、完成だと呼んでもいいかなっていうところになったところで、せっかくだから、これどっかで発表できないかみたいなのを、ちょっとだけ考え始めて。たまたまその時、connpass で調べたのかな。  道内で、特に札幌に住んでたんで、札幌から行ける距離で勉強会に行かないかと思って。そこで、ちょうどある勉強会が結構低レイヤーなことを話してたんで、ここでなら発表してもいいかもしれないと思って。  でも、こんな自分独自な OS の話なんて、Linux カーネルへのパッチの当て方とか、そういう実用的な話とは関係ないんで。なんで、そこで話して、もしウケなかったら、もう別に自分の好きでやってる話だから、もう引き続き一人でやればいいかなと思ってたんですけど。ありがたいことに、そこで発表を聞いてくださった方が、もう皆さん面白がってくれて。  なんで、それがまず、こういう、独自な何か、そういう大きいアップストリームがあるものに貢献するって形じゃなくて。何の役に立つか分かんないけども、なんか変なことやってるみたいなのも面白がってくれるんだなっていう。そこで勉強会で知って。  あと、当時、大学時代に。OS を作ってたのはもう社会人になってからなんで、話が前後しますけど。大学時代に、既に OSC の北海道には、参加者として、発表者じゃなくて参加者として参加してて。そこで、学生時代に聞いたセッションが坂井さんの。今の坂井弘亮さんの。私が初めて坂井さんを知ったのは私の学生時代なんですけど。坂井さんのそういうセッションとかも聞いてたりして。  なんか独自なことをやって、面白いことをやって発表できる場があるんだなっていう、OSC ってことも思い出して。そこで、じゃあ、そういう勉強会だとか、そういう展示であれば OSC なら受け入れてくれそうだって。  っていうか、OSC も、最初は、OSC 北海道は、なんか、大体コミュニティじゃないですか。コミュニティっていう出展っていう名前なので、当然コミュニティが出展してるわけですけど。私、コミュニティっていう枠で出てますけど、コミュニティじゃない、一人なんですから、厳密にはコミュニティじゃないんですけど。なので、最初はいいですかって聞いたんですよね。メールで。こういう活動をしてて、コミュニティってわけじゃないんだけど出展したいんですが、いいですかって。それで、全然いいですよって言ってくださったんで、そこから展示し始めたみたいな。  受け入れてくれたり、面白がってくれたりする人がいたから、展示だとか発表だとかするようになったっていうのが、一つ理由で。  同人誌の方はですね、私が高校生の時とか大学時代の時とかに、コミックマーケットに参加者として参加してて。当時は技術同人誌じゃなくて、普通にアニメとか漫画とかの同人誌を目当てで行ってて。同人誌を出す人っていうのは憧れがあったんですよ。なんで、同人誌を出す側にいつかなってみたいなって思いがずっとあって。  そう思ってたら、技術書典というイベントがあって。しかも技術書典の2が募集開始しますよみたいな時に、ちょうど私、前職の時に異動で東京に配属が変わって、ちょうど東京に来た時だったんで。出展できるかもと思って申し込んで。しかも技術書典は同人誌の書き方まで教えてくれるんで。それでコミックマーケットでいろいろ見てた思いもあったんで、ぜひ同人誌を出してみたいなと思って、っていう理由ですね。 ──ああ、ありがとうございます。あの、私も、この前の技術書典で、あの、出したりとか、やっぱりコミックマーケットに出しててやっぱり、そういうのが興味だっていうのがあったので、やっぱり同じような形なんだなっていうな。そうですよね。実際に出したりした時とか、反応って結構、その、みんな見てくれてすごい嬉しいなっていうのがあったんですけど。実際どうですか、出したりとかしてて。  ああ、そうですね。ネタによるんですけど。最初に出した、あの OS5 っていうのの、あの同人誌は。OS5 っていうか、あれ英語で書くとファイブって読みますけど。あれに関しては、三〇〇〇行ぐらいで全部収まってるんで。全部ソースコードを印刷してコメンタリーをつけるみたいな。この本一冊に OS の全コードとコメントがついてますみたいな。それは結構ウケたんで、一回その場で完売して。  技術書典2がすごかったのは、当時その場で追加印刷っていうサービスがあって、その場で増刷っていうのがあって。イベント内に出展者が、ちょっと増刷したいですっていうと、何時間後とかに増刷された同人誌が届くという、恐ろしいサービスがあって。 ──すごい。  多分もう今やれないと思います。 ──そうですね、出展者の数も多いんで。  当時は出展者の数はそれほどでもなかったのか。それでも秋葉原 UDX に結構出展してましたけど。  すごいウケましたね。でも、ちょっとその後、調子に乗ってというか、独自な方向性に進んで、あまりにも独自なものを出したりするとウケなかったりというか。面白がってくれる人もいれば、内容が内容なんで、立ち読みして、ありがとうございましたという方もいたりとか。 ──結構ありますね。やっぱり手に取っていただけるっていう、実際に会ってっていうのは、なかなか今までなかったので、すごい私も感動したというか、嬉しいというか。  そうなんですよ。もう本当に、同人誌を手に取って、面白いですねって言ってもらうとか、買ってくださる時とかは、もうめちゃめちゃ嬉しいですね。自分の気持ちを一〇〇パーセント入れて作ってるんで。もう本当、自分の趣味というか、自分の好きを詰めて作ってるので。それを同じように好きだ、面白いねって言ってくれるのは、何物にも代え難い喜びというか。 ──本当にありがとうございます。今と話、結構やられてきてて。今、一番主に、へにゃぺんて、大神さんで、今やられていることっていうのは、どういったものをやられている。  あ、はい。あ、そうは、今はですね、もうというか、これまで結構独自な方が、自分が好きなものというか、自分独自っていうところをすごく重視して突き詰めてやってたんですけど。ちょっと、これも私、アニメとか映画とかからすごく影響を受けていて。特にアニメとか映画の監督とか、漫画の作家さんとかに影響を受けるんですけど。  独自な方向性に突き進んでた時は、押井守監督ってご存知ですか。『攻殻機動隊』とか。 ──そうですね、有名です。  あの監督にすごく影響を受けてた。監督は未だに結構一部には人気で、いろいろ映画監督、今でもやってますけど。当たり外れがすごい監督で。ですね、確かに一回、天使のたまごという作品を作る時には、業界から干されたみたいな。でも、やっぱり、自分、それでも自分の色を出すというか。あれだけ自分の好きにやって、作家性というか、色を出すっていうところは、やっぱりいいなっていう。  そこから影響を受けた時は、本当に誰にも伝わらなくてもいいから、自分がこれが最高だと思うものを作ろうっていう風にやってて。それが、バイナリ生物学だとか、そのあたりで。  その後にですね、数年前ぐらいですけど、幾原邦彦監督っていう、『少女革命ウテナ』だとか、あと『輪るピングドラム』だとか、そういうアニメの監督をされてた、プロデューサーもされてた方の作品を見た時に。あの方の作品は、確かに独自色はすごく強いんですけど、なんというかですね。  ちょっと、どっちが良い悪いじゃないんですけど。よく、同世代の監督として、庵野秀明監督と同世代の、年齢的に同世代なんですよ、幾原さんっていうのは。  庵野監督との違いみたいなところで見ると、庵野監督は、もう自分が見てきたウルトラマンだとか仮面ライダーとか、今でも自分でそれを映画にしちゃうくらいですけど。でも、エヴァンゲリオンの時から、そういう自分の好きだったものをパロディとして入れるというか。『トップをねらえ!』なんかは完全にパロディですし。なんで、それで、自分の好きをそういう形で表現するっていう。自分の好きを作品に入れて、人にも面白がってもらう形にするっていうのが、エンタメ監督としてすごいところなんですけど。  幾原監督は、七〇年代チックな匂いがする、古めかしい感じの演出をする、昔の舞台演劇みたいなところを入れつつ。そこが多分、結構独自な演出のところですけど、そこは多分好きな趣味を入れてるところだと思うけど。内容のテーマとして、誰かを救おうとしてる物語。視聴者を、話の中で、このある不幸せだった人を、なんかこの、視聴者に幸せになってほしいっていう思いを入れてるように見えるんですね。  特に『輪るピングドラム』なんかは、あれは地下鉄サリン事件をモデルにしてて。あと、話の上では、地下鉄サリン事件で亡くなった人を、運命の乗り換えみたいな、そういうことを劇中で呼んでますけど。そういうことをすることで、なんとか、もう逃れられぬ運命という形で亡くなってしまった人を、なんとか救うっていう風な物語にしていて。  結構そういう社会的なテーマを。庵野監督も『シン・ゴジラ』の時に、福島のことをモチーフにしてたんで。社会的なテーマは庵野監督が扱ってない訳じゃないんですけど。庵野監督の、自分の好きを好き放題入れて、分かる人は分かってくれればいいみたいなノリよりかは、幾原監督はもっと、なんか自分の好きを通して人に寄り添うというか。そういう風なところがすごく影響を受けて。  特に『輪るピングドラム』は、話の芯のところに、『銀河鉄道の夜』っていう宮沢賢治の、話の芯に入ってたりとかして。あれなんかは、本当の幸せってなんだろうみたいなことがテーマにあって、話なんで。  そういう風なことを見た時に、今はすごく幾原監督だとか、あと富野監督とか、そういうところに影響を受けて。独自じゃなくて。その独自なものを、私が独自にやってきたことっていうのは、結構人に面白がってもらえるっていうのが経験上あるんで。独自なことをやってて、これはビジネス的に何の価値もないよなって思ったんですけど。最近は面白がってもらえるっていうところがあるから。その、面白がってもらって、だからこそ。  技術的に何か大きいアップストリームに貢献していく方向性じゃなくて、むしろ OS とかよく分からない人に、OS をちょっと分かってもらうみたいな。エンジニアはもちろん面白がってくれたらいいんですけど、エンジニアじゃない人にも楽しんでもらえて、OS ってものに親しんでもらえるきっかけになるみたいな風になっていけば。私が独自で変にやってきたっていうことの意味も、そこになんか報われるのかなって最近は思ってるので。なんで、最近は独自であり、自分の好きを詰め込んで、それで人を面白がらせるっていうのができたらいいなって思ってますね。 ──そうですね、まさに OSC の時とか、人間 OS とか、実際に見せて実演していただいたりとかしたんですけど。確かにあれ、OS について、一緒にいた子はよく知らなかったりとかしてたんですけど。やっぱり見てた後に、やっぱ面白かったっていうのが出て。実際に OS が分からないような人でも分かるようにっていうのは、すごい感じてる、すごいなっていうところを感じて。実際に紙に記入してシステムコールを再現したりとか。  まずは面白がってもらいたいってところですね。OS に関して分かってくれたら一番いいですけど。まずは、なんかよく分かんないけど面白いねっていうだけで、まずは全然いいというか。まずは私の OS っていうコンテンツ、変な OS っていうコンテンツで、人を楽しませたいなっていうのが、ちょっと今の思いですね。 ──こういう活動とかって、結構もう約一〇年以上とか続けられてる中で。やっぱりその途中でいろいろあったと思うんですけど。やっぱり一番難しいなって考えたりとか、今最近も困っていることというか。実際に活動していく中で、何かしらの壁とか、そういうところっていうのは何か感じてるところっていうのはあったりします。  そうですね。一番は技術的なところっていうよりかは、なかなか、ここまでのレベルでの共感者は、なかなかやっぱり得難いというか。  今回の SecHack にしても、私の大神ゼミには二つ応募コースを挙げていて。一つは、私みたいに独自な、何か人のためになるというか面白い形で OS を表現するっていう、OS に関するコンテンツ制作。それは OS のものを作るでもいいんですけど。そっちをやるか、あるいは。  OS じゃなくても、自分の好きな技術っていうもので何か作品を作るっていう。当然それは、私がこういう独自な活動をしてるっていうことに共感はいただいた上でね。でも、少なくともゼミに入ってもらったら、週に一回は私と会うことになるんで。こういう私の心情とかポリシーみたいなところに共感というか、その話を週に一回聞いても苦じゃないぐらい。私のこういうやり方に全く同じことをしてくれなくてもいいんですけど。せめて週に一回聞いても苦じゃないぐらいには共感してくれるっていうのは条件の上で、自分の好きなことをやるっていう、二つ用意したんですけど。結局、大神ゼミとしては、二つ目の持ち込みの方のみになりました。  なので、ちょっとやっぱり OS っていうレイヤーで、なんかそういうちょっと変なことをやるみたいな。変なことをやるにしても、やり方が私は変すぎるとかもあるかもしれないですけど。そういう意味で、OS を通して自分を表現するというか。  漫画家の人だとか映画監督の人とかは、結構作家性が強い人っていうのは、コンテンツがちゃんとエンタメとして。押井監督の場合はあまりにも作家性が強すぎてエンタメとして成立しないやつもありますけど。あ、ともかく、作家として、そこにメッセージを入れるというか。物語のストーリーラインとは別に、裏にこの作家の人とか映画監督が言いたいメッセージが含まれてるっていうのがよくありますけど。  そういう風に、OS に関しても。OS って、単なる、私にとっては、漫画が描けないから、自作 OS って形で表現してるっていうつもりなので。OS も同じようにメッセージを入れられるんじゃないかなと思って、そういう試行錯誤を特に近年はやっていて。  人間 OS に関しても、あれは、同人誌を書いている間は OS の開発をしていないなっていうジレンマがあって、それを解消した形でもあるんですね。あれ自体がちゃんと OS として、日本語という形のマシン語として成立しているので、本の執筆中は OS を開発しているってことで言えるわけです。OS5 の同人誌の場合は、コメンタリーをつけている間は本を書いているのであって、OS を作っているわけじゃないじゃないですか。  その他の同人誌に関しても、すでにある程度作った OS に関しての解説みたいなことになるので、本を書いてる間は OS を作ってるってことにはならないんですけど。人間 OS に関しては、本を書いてるイコール、あれが OS の開発にもなってるっていう。そういう自分の個人的なジレンマを解消するっていう形で、今回メッセージを入れてみたっていう。  そういうレベルで、なんか OS を表現手段としてやるみたいな、そういうところにまで共感して、じゃあ自分はこういう作品を作ってみたいとか、そういう風に影響を与えられたらいいなと思ってるんですけど。なかなかそのレベルで共感してくれる人はいないので。  それはちょっと私が面白いものを作れてないっていう、ちょっと未熟なとこでもあるんですけど。ちょっとそれが最近の悩みですね。なんか、もっとちゃんと面白いものを作らないとなっていう。 ──です。っていう感じだと、その、私、あの、RPGOS とか、その多分キャンプの方でやられて、あの、OS すごろくとか、そういった感じで。そういう何かしら、その OS を何かと一緒に作って、何かを伝えるっていうことを機にいろいろやられてるって感じになってるってことなんですかね。  実際に、そうですね、それを結構大事にして。RPGOS なんかは、幾原監督の話、幾原監督の影響を受けて最初に作ったものだったり。  そうですね、あれなんかでも、結構、方針、大きく方針転換したのは、これまではフルスクラッチで作るって言って、一切、もうフォントも自分の手書きの文字をフォントにしたりとかして。なんか全部自分で作るからこそ、自分独自な OS だって言えるんだっていう気持ちでやってたんですけど。  高畑勲監督って、亡くなられてしまいましたけど、あの監督って実は絵が描けないんですよ。高畑監督は絵が描けなくて。絵コンテとか描く時も、自分の段階では。後に出版されてる絵コンテは綺麗に清書されてるんで分からないんですけど。どうやら高畑監督が描く最初の絵コンテは、もう棒人間みたいな形のやつでコンテを切って、それをアニメーターの方に清書してもらってっていう風にやってるらしくて。  なんで、それで言って、なお、それで言って、じゃあ、映像の、そういうアニメーションの絵作りみたいなところには興味ないのかって、全然そんなことはなくて。『かぐや姫の物語』なんかは、あれは線で描くっていう、絵は結局線なんだっていうところに行き着く。自分で絵を描かないのに、そこに表現方法としてそういう風に思い至るっていう。  で、それで自分は一切絵を描かないんで、宮崎駿監督みたいに、これはこの絵の感じ、宮崎アニメっぽいねみたいな感じはないんだけども。なので、高畑監督の場合は作品によってキャラクターデザイナーによって変わっていきますけど。でも、高畑監督作品は高畑監督作品にちゃんとなってるっていう。  なので、自分の独自性っていうのは、別に何も全部自分で作らなくてもちゃんと出るんだろうなと思ったところから。RPGOS なんかは、なるべくコードを書かないで、ありもので組み合わせて自分の世界観を作ろうと思って。RPGOS は RPG の素材を使ってますし、ゲームエンジンを使って、コードは書かなくちゃいけなかったんでコードを書いてますけど。やり始めたっていう、方針転換があった作品でありましたね。  一番重要なのは、人に楽しんでもらおうっていう風な思いがあったんで、RPG っていう表現方法にしたりっていうところが大きいですけど。 ──はい、いろいろな手段でやられてるからこそ。今、高畑監督のっていうような話だったように、独自がいろんな手段で表現されてるっていうのは、確かにそれは感じたりとか。実際、作品を見て、大神さんのだなっていうのは確かに感じたりっていうのはあったので。なるほど、ありがとうございます。 ──最後に、四つ目の質問なんですけど。AI とかっていう話を、オープンソースの OSS とか、僕もサポートでいろいろ言ったりとかしてる中で、最近テーマとして AI が上がってきてたりとかしてる中で。結構皆さん、いろんなまちまちの意見をお持ちで。ある方はどんどん AI を使ってどんどん開発してみたいな LT とかやられてたり。もう一方の方は、例えばその Wikipedia の方とかだと、AI によって明らかにアクセス数が減ってて困って、とかお伺いとかしてて。実際に、このオープンソースとか開発されてる中で、近年の技術とか AI とかっていうのは、ご自身の活動に影響とか与えたりとか、どう変わっていくんだろうなっていうのは、考えたりとか感じたりとかされたりとかしてますか。  それはもう、私の方針転換と同じタイミングで AI が発達し始めたんで。なんで、AI が出てきたからこういう風に方針を変えた、ではなくて、高畑監督の作品をちゃんと見てからっていう影響なんで、順番は逆なんですけど。今の私からすれば、私、今も AI 全然使ってるんで。なんていうか。  あんまり、もう近年は、自分でガリガリコードを書くっていうところに、あんまりモチベーションがないんですよ。結果的にものが出来上がるっていうのが好きで、手でガリガリソースコードを書くところに快感を覚えるっていうタイプではもうないので。なので、もうソースコードとかは自動的に出来上がるなら、それでいいじゃんで。  結局、アニメーションの監督が自分自身で絵を描くんじゃなくて、アニメーターから上がってきた絵を作画監督とかがチェックをして、これはちゃんと上げていいものかどうかっていうチェックをするっていう、むしろそっち側に興味があるというか。そういう映画監督みたいなやり方で OS を作りたいな、コンテンツを作りたいなって思いがあったんで。自分でソースコードを書くとかまで、モチベーションがそこではなくなってきたんで。  とはいえ、OS を作るモチベーションがあるんで。私の今の活動からすれば、AI はすごい、よくこのタイミングで出てきてくれたみたいな、使わない手はないなみたいな思いではありますが。OSS というか IT 界隈で見ると、多分 AI の発達によっていろんな影響を受けるんだろうなって気がしますね。 ──そうですね。いろいろな考えを持ってる方がいらっしゃって、なかなか。OSS でもどんどん使っていこうよっていう方がいらっしゃれば、結構慎重な方もいてっていうところで。この間も OSC の名古屋で松本さんとかも、もはやもう、その AI に任せて自分でコードを書いてないみたいなのもされててっていうところで。なるほど。実際に、そうですね、確かにその映画監督のようにっていうのは、今すごいしっくりときたというか。  そうですね。結局、映画監督って自分で絵を描いてなくても、特に実写の映画監督の場合は自分が出演してなくても。当然、自分が出演する映画監督ってあんまりいないんで。自分が出演してなくても、ちゃんとその監督の作品になってるっていうので考えると、AI も結構道具だろうなっていう気はしてますね。今のところはですけど。どうなっていくか、将来的なことは分からないんで。 ──ありがとうございます。最後に、今後、実際に多分これからも活動を続けていかれると思うんですけど。今目指してるものと、これからもっとこういうことを、今までやってなくてこういうことをやってみたいというか。オープンソースとしてやっていきたいっていう活動って、何かあったりとかされますか。  それはですね、作品にちゃんとメッセージを入れて、なおかつ多くの人に面白がってもらえるようなエンタメ性を持った形で、何かものを作りたいっていう。それは RPGOS をもっといろいろ突き詰めていくとできるんじゃないかって気はしてるんですけど。そこが目指しているところで。  特にそれに関してすごく今影響を受けてるのは、もうちょっと前からずっとそうですけど、富野由悠季監督ですね。あの監督って言えば、ガンダムを作ったので有名な人ですけどね。ガンダムが、それより前のロボットアニメと何が違うのかって。  それより前のロボットアニメで、子供向けで、マジンガーZとかそうですけど、宇宙怪獣と戦うっていう、そういう明確に悪と分かるものと戦うっていうところだったのが。敵も人間であり、かつて宇宙に移民させられた人間であり、っていうところに、戦争っていう形にしたっていうのと。  何よりも色濃く出てるのは、富野監督自身が団塊の世代って呼ばれる世代の人で、当時学生運動とかに関わってた人たちの一人。なおかつ、ちょっと複雑なのが、富野監督、学生運動をやってた当時の大学に対して、東大を燃やすとかやってたのが有名ですけど。暴動する若者側じゃなくて、富野監督が大学側だったんですね。  当時の学生の中でも、みんなが大学に対して抗議してた人だけじゃなくて、ちょっとそれおかしいじゃんって大学側につく学生とかももちろんいたんですけど。大学側に就いてたんですよ。なんで、まさに富野監督ってアムロなんですよね。シャアっていうのが当然学生運動側で。後の東大全共闘の映画とか見るとよくわかります。  なんか学生運動をやってた人ってもうイケメンが多かったらしいんですよ。なんか結構、なんかかっこいい人が多いというか。なんで、それがシャアに仮託されてるというか。もう、女にもてて、イケメンで、で、理想主義で。だから、結構すごく突飛なことをするっていう。東大を燃やしちゃったりだとかで。なんか、そんな短絡的なことをしても人は良くならないよっていうことを、アムロがこう言うっていう。  それって、もうまさに富野監督の、もう人生がそのままそこに出てるんですよね、ガンダムって。作品の中に。それでいて、こんだけ流行ってるっていう、もうちゃんとコンテンツとして面白いっていう。これはもう、あまりにもちょっとすごいことすぎて。  それで言うと、団塊の世代みたいに人生を大きく揺るがすような体験というのが。私はゆとり世代って言われる世代なんですけど。ゆとり世代とかは特に無くて。Z 世代の方とか大学時代にコロナが来て本当に大変だったとか、そういうのが本当にあるので。なんか、もうちょっとなんか、こちらこそ申し訳ないなと思うくらいに、なんですけど。  そういう風に、自分の人生ってものをちゃんと作品に落とし込んでいて、この人の人生が作品に出てる。この映画を見てると、この人が目の前で喋ってるように感じるみたい。それでいて、押井監督みたいに完全にもうエンタメになってないじゃんみたいなのじゃなくて、ちゃんとエンタメになってるっていう。それを、そういう風に OS で表現できたらいいなっていう風なのが、今の自分の理想ですね。目指すところは富野監督みたいな。 ──そうなんですよ、富野監督を。  理想は高く、ということで。ちょっとそんな風になれるとは、ちょっとまだ明言はしないですけど。 [語注] 川合秀実、OSASK OSASK は川合秀実氏が個人で開発した OS。著書『30日でできる! OS自作入門』(二〇〇六年)は、自作 OS の入り口として広く読まれた。SecHack365 のトレーナーでもある。 坂井弘亮 『12ステップで作る組込み OS 自作入門』などの著者。OSC などで自作 OS の発表を重ねてきた。SecHack365 のトレーナーでもある。 Mona OS ひげぽん氏が二〇〇二年に 2ちゃんねるの掲示板で開発を始めた自作 OS。掲示板の住人を巻き込んで作られた。 fumi2kick、ぽえりな fumi2kick は rerofumi 氏のサイトの名。『ぽえりな Linux 萌え萌え大作戦』は二〇〇四年に秀和システムから出た本で、壁紙、ウィンドウマネージャ、GTK+ のテーマ、アイコンなど、Linux のデスクトップを飾る方法を扱う。OS 擬人化と同じ時期にあたる。 Flash 動画 Adobe Flash 形式で作られた動画やゲーム。二〇〇〇年代のウェブで流行した。面白 Flash 倉庫は、それらを集めた個人サイトの一つ。 ISDN、ADSL いずれも電話回線を使った旧世代のインターネット接続。ISDNは上下とも六四キロビット毎秒で、ADSLはそれより高速だった。 TOK2 かつてあった無料のホームページ提供サービス。広告の表示を条件に、容量無制限で使えた。 ふたばちゃんねる 画像を投稿できる匿名掲示板。 OSたん、OS娘 WindowsなどのOSを女の子として擬人化する、二〇〇〇年代の匿名掲示板発の文化。 TRON、μITRON、TOPPERS TRON は坂村健氏が提唱した OS の仕様。μITRON はその一つで、TOPPERS はその実装。 ブートローダ、ユーザーランド ブートローダはOSを起動する最初のプログラム。ユーザーランドはOSの中核(カーネル)の外側で動く部分。 connpass 技術系の勉強会やイベントを告知・募集するサイト。 OSC オープンソースカンファレンス。全国各地で開かれる、主にコミュニティが出展する催し。 技術書典 技術書だけを扱う同人誌即売会。 アップストリーム 派生元となる本家のプロジェクト。 SecHack365、セキュリティ・キャンプ いずれも情報セキュリティ人材の育成を目的とした、国の事業による長期・短期の講座。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/01/ ======================== OSSの生活史 第一集 第二篇 一歳の時に、パソコンにお茶をかけて壊したらしいんですよ 語り手=岡本晃朋 聞き手=大川貴久 2026-07-17 46分20秒 ──はい、ありがとうございます。じゃあ始めていけたらって思ってて。まず簡単に、岡本くんがソフトウェアとか、そういったものを触るきっかけとか、そういったものが何だったのかとかって、覚えてたりしますか。その足取りというか。オープンソースとか、コーディングとか、そもそもそういうところから。  パソコンとか、昔から家にあったから触ってた、っていうのが一番正しいですよね。なんだろうな。なんか、まあ、両親から聞いた話で、僕はね、パソコンにお茶をかけて壊したらしいんですよ、一歳の時に。  一歳の頃からもう家にあって、ずっとあったらしくて。逆に言うと、壊れたパソコンを自由にいじらせてもらえたんですよ。だからそういうので、分解して基盤の知識をつけたりだとか。新しいパソコンとかも使い、ずっと小学生から使っていて。なんかは、プログラミングとかにも自然に触れるような環境にいたかなとは思いますね。回答になってますかね。 ──あの、本当に、全然雑談だと思ってもらって。なんで、じゃあもう小学校の頃とかから、もう全然プログラミングとかやってた感じですか。  そうですね。なんか、ずっとやってましたね。最初はいわゆるブロックプログラミング、Scratch とか、そういうものもやってたけど。それよりは普通に Arduino だったりとか、ああいうものを使ったハードウェア。今も結構やったりしますけど、ハードウェア系をもともとやってましたね。  動くと楽しいですから。 ──なるほど。そうですね。もう、ハードウェア系は。 ──えっと、で、結構その、全然そういうことを進んでっていうところで。ハードウェアもやりつつ、ソフトウェアとかもやってるような。その、例えば GitHub とか、そういうのとかって、何がきっかけで使い始めたとか、そういうのは。  はいはいはい、ありますね。なんか GitHub を使い始めたのは、単にプロジェクトマネジメントのツールが欲しいなっていうのと。中学か何かの時に、自分のプロジェクトを同じ部活の人に共有しないと、みたいなことがありまして。そういうところで知ったんですよね、Git っていう存在を。もともとはオープンソースとか、単純に自分の作ったものを公開する場所としてだけ捉えてましたね。 ──でなんか、その、結構コミュニティにたくさん入ってるイメージがめちゃくちゃあって。その、今回の話を聞こうと思って、RVC とか以外もいろいろ幅広く入って。そういう情報って、どっから持ってきて、なんか入るとか。初めて入った時とか、覚えてないかもしれないんですけど、覚えてたりとか。  結構覚えてます、最初に入った時は。そうですね、入ったのは、私もともと映像制作とか、作曲とかをずっとやっていて、そういうコミュニティに入ったのが最初なんですよね。例えば作曲コミュニティとか入ったら、音源のプラグインとか自作してる人とか、エフェクターとか、やっぱりいるんですよね。ハードウェアもソフトウェアも。そういうところで、エンジニアのコミュニティの方にもどんどん参入していったって感じで。  そういうふうなサーバーって、通話ベースでいろんなことを話しますから。そこで結構インターネットに慣れていったかな、という感じがしますね。インターネットが、高校生になるまでなかった人間なので。そういうところで。 ──そういうコミュニティの入り方っていうのは、なかなか経験してなかったんで。そういうところが、なるほど、あるのかなっていうのが。その、調べた感じだと、高校生の頃からいろいろ結構やられているのかな。高校生の頃からの実績とかがたくさん出ていたりとかっていうところで。高校生の時は何をやられていたのか。特にオープンソースだけじゃないんだけど、自分の活動としてどうやってきていて。 ──じゃあ、オープンソースとかだと、今オープンソースっていうところで RVC の話とかをよくしてたりとか。それに関わったきっかけとかって。  覚えてますね。関わり始めたのは、コミュニティの方で流れてきたのが一番最初なんですよね。いわゆる Stable Diffusion であったりだとか、そういうようなクリエイティブに AI が本当に流れ始めた時で。私は普通に論文とか読んでるだけだったんですけど、そういう時に、オープンソースとして公開された音声合成ライブラリだって。  めちゃくちゃコードが汚くて、読めなかったんですよね、正直。自分って、こういうふうなところにぜひとも参画して、そのプロジェクトをより保全していきたいな、という気持ちがあったので。ある意味の承認欲求かもしれないですけど。最初はコミットをしだしたのが最初ですね、あのプロジェクトは。 ──えっと、もうそれからどれくらいやられてます。結構もう。  そうですね。なんか高校生か中学生か忘れましたけど、結構やってますね。で、なんか今日ボスがまた、なんか久しぶりに、あれ、プルリクエストをマージしてたので、ちょっと、お、って思ってたんですけど。まあ、一応、二年くらい前に開発を終了してアーカイブしようかな、みたいな話があったんですけど。なんか勝手に動き出してるので、どうなってるのか、ちょっと私も覚えてませんが。 ──そんな感じで。プルリクとかは結構出してる感じなんですか。全然、結構出してたり、っていう。  そうですね、結構プルリクは出してると思いますね。もちろん、普通の開発者とかに比べたら少ないとは思いますが。どこでいくら出したかって、見れないと思いますけど。 ──そうですよね。  RVC とかだったら、結構コード書いた記憶だけはあるんですけど。コードを書いた、コミット数だったら見えるのかな。コミット数にして一一一コミットか。RVC だけですけどね。RVC だけで書いてますね。  これ、なんかあれ、いわゆるスカッシュマージだけど、覚えてないですけど。その PR 一件につき一個のコミットになっていたと思うので。そんなに PR を出した記憶ないんだけどね。分かんないです。 ──ここを見て汚いから保全したいっていうのは、なかなかすごい。パッと見た時に、そんな何か思うぐらい汚かったというか、改善できるなって自分で思った、って感じだった。  私だったらできるな、っていうのが。単純に、技術にすごい興味があって。中身、いわゆる論文がなかったんですね、あのプロジェクト。今もないんですけど。  なんか中身どうなってるんだろう。なんか敵対生成、じゃないわ。えっとね、なんだっけな。ベクトル量子化を使ってるんだ、みたいなことがライブラリから見て分かるんですけど。あと、あれ、VITS っていうふうな、また別の音声合成をベースにしてるとか分かるんですけど。なんかその時代で多分、一番フロンティアなくらい性能が良かったので。これってどうやって、そういうふうな性能を実現しているんだろうか、であったりだとか。そういうところに興味を持ったのが最初ですね。 ──すごい。すごいよね。なるほど。今、研究してたりとか、そういうところに直接的に関わってるっていう感じなんですか。  RVC とかで見つけた技術とかですかね。そこら辺、結構関わってると思いますね。  昔からコーディングとか、機械学習とかも。高校に、なんだっけな、なんかゼロから始める機械学習みたいな本があったので、そんなのを読んでたんですけど。それを PyTorch でプラクティカルにやってみようって思って。製品としてやったのは、あれが初めてかもしれないですね。一応それまでも、いくつか機械学習のもので、例えば楽譜を自動で音から生成するものとか作ってはいたんですけど。それ以上に、ちゃんとしたものを作ったな、という印象があります。 ──僕、岡本君は生物学を結構メインでやってるイメージだったから、そっちの方までって。  ああ、それはちょっと、悪い友人に歪められただけなので。 ──いや、もうちょっとそれも、何かもしよかったら聞かせてもらったりとか。今やってることとか、何か聞かせてもらえたらいいですか。  今やってるっていうのは、その私の研究とか。あとは今、その歪められたって言ってたから、そういうのに興味を持ったきっかけじゃないけど、関わるきっかけ。生命系の話になるけど大丈夫ですか。 ──全然大丈夫です。  私の中高が、スーパーサイエンスハイスクールっていうふうに呼ばれる、文科省がお金をくれるところだったんですよね。多分ご存知だと思いますけども。 ──そうですね。僕もそこ、SSH でした。  そうなんですね。まあまあ、それはよくて。だからそういうところで、他にもやっぱり、その研究してるメンバーみたいな人がいて。何か、とある子が、大阪大学の SEEDS って分かりますかね。東大の GSC だっけ。高校生向けの講座みたいな。あんな感じで研究できるやつがあって。そこで免疫学の研究をしていた友人がいるんですよね。  私は元々、情報一本でやってたんですが、その人の研究を見て、これええなって思って。気づいたら、そっち側にいたみたいな感じなんですよね。  なんか、あともう一個あるのが、うちの、いわゆる大学附属で、しかも国立みたいなところがあって。なので大学の設備とかいっぱい使えたんですよね。そういうところで、脳波系であったりだとか、そういうふうなものを貸し出してもらって使ったりとか。逆に、私が被験者になったりとか。そういう経験もあって、生体情報であったりだとか、それ以上に人の仕組みだったりとかに興味を持ったっていうのもあると思いますね。 ──今どういうのをやってるのかっていうのを、ちゃんと聞いたことがないなと。高校時代から一貫してそんな感じでやってるんですか。  いや、そんなこともないと思いますね、本当に。だから最初の方は、その音声合成、合成じゃないわ、その楽譜を自動で作るやつを作ったりだとか。ニューラルネットワークで初めて遊んだ時ですけど。あとはやったものだったら、シンセサイザーを作ったりとか。 ──結構、二〇二一年にハッカソンで多言語翻訳。  なんで知ってるんですかね。ありましたね。 ──そういうのをやってるからね。その、音声から移ったっていうのは、それが、今の話がきっかけだと。  そうですね。それの方は結構あると思いますね。今の SecHack は音声に戻ってきましたけど。 ──音楽もなんか結構、エレクトーンフェスティバルとか、なんかいろいろ出られたりとかね。  ちょっと恥ずかしいんだけど。そうですね、なんか音楽だけは昔からやっていたので。逆に、なんかそれ以外できることがない気がするので。今もずっとやってますね。なので、楽器の演奏だけは。 ──楽器はちなみに何が。  ピアノみたいな感じですけど、それの電子楽器バージョンみたいなものをやってますね。他のやつはやめちゃいました。 ──実際に、今までオープンソースとかもやってたのと、生物学とかって交わったりとかするんですか。  いや、結構してると思いますね。多分私、その生物学の領域にいる人間としてはコードが書ける方だと思うんですよね。多分。もちろん、なんか、いくらでもいますよ、すごい人は。そうなんですけど。オープンソースで培った技術であったりだとか、あとなんか、プロジェクトの保守性の話であったりだとか。  研究者、特に生物系とかって、その場で使える解析コードを書いたら OK みたいな感じで。いざ論文を出した数式を見て、それが再現可能かって言われたら、大体できないんですよ。なんでかって言うと、コードが間違ってるから。じゃあ公開してくれ、っていうのが起こる。まあ、それがね、Nature レベルでもやっぱり起きるんですよ、実際に。あれ、今ちょうど一週間前に、再現されても、そんなんでぶち切れてましたけど。  まあ、一回それは置いといて。なんか、そういうふうな時に、じゃあ、なんか逆に、なんか私が関わったものだったら、そういうのを綺麗に保つことができますよ、であったりだとか。オープンソース的な観点だったら、あとは、そうですね。逆になんか、自分がそういうふうなコードを見た時に補修できる、であったり。人のコードをある程度読める能力とかはあると思いますね。  なんか、オープンソースで、まあ、いろんな人のコードを見たりだとか。プルリクエストも、なんかいくつか私がレビューしてマージするみたいな作業も、やっぱりありますから。なんかそういうふうなところで目が鍛えられたのかなとは思いますね。 ──確かに。オープンソースって、意外とそういうところで鍛えられるのかな。  そうですね。そういうふうなことがあるかもしれないですね。 ──今、実際にオープンソースになんかコミット、最近出したりとかってしてますか。  そうですね。最近はちょっと忙しくてできてないですけど。なんかいくつかやりたいなと思ってスターを付けてるプロジェクトは、まあ、何百とあるんですよね、実は。 ──ああ、そう。なんか、さっき GitHub を見たら、めちゃくちゃスターがついてて。  あ、そうか。見れるんか、あのスターは。 ──ああ、二二九とかで。  そうですね。まあ、普通になんか研究で使うものもあった。ただ、なんかこれこうやったら改変できるな、であったりだとか。で、なんか一番上、なんか SpeechBrain とかだったら、これもうちょっとだけ性能最適化できるな、みたいなことを思っていて。コードを見てたら、まあ、そういうのをやっていこう。まあ、やるために置いてますね。 ──そうですね、多分そういう感じの技術的なことを使って、いろんなところで繋がってるっていうところで、割とベースになってるんじゃないかなっていうふうには思います。  そうですね。そこはそう思いますね。 ──もうなんか、知識が多くて。全然知らないことを、いや、ありますって言って出してきてくれるんで、本当にいつも本当に助かってます。 ──今、活動していることって言うと、大学での専攻と、あと他に何をやってるっていうのを、メインでやってるっていうのが。  そうですね。あと、なんか大学での研究活動よりも、他の研究機関とかでの方の活動の方が多いですね。そうですね、なんか、人のつながりで、今も国立情報学研究所の方にはお世話になってますし。今、研究研修生として受け入れてもらっていたり。 ──それは今、生物学の方の分野でやってるっていう。  まあ、そうですね。生物と情報のちょうど狭間くらいかなみたいなところでやってますね。いわゆる、人間を模倣したような、バイオインスパイアードとか、ブレイン、ニューロモーフィックコンピューティングみたいな言葉がありますけど。人の神経活動だったりとか、そういうふうなものを模倣したようなネットワークだったりとか、人の網膜モデルを再現した、とか。いろいろとあるんですけどね。そういうふうなもので性能改善を狙えないかな、みたいなことを考えてますね。 ──全然、私が今、入力も。いやいやいや。そんなつもりは一切ないので。初めてで。あとは SecHack をやってるって感じですか。  そうですね。SecHack もやらせていただいてますね。SecHack はその、音声系で戻ってきて。  なので、技術ベースでやってるんですかね。  やってますね。 ──結構、聞いてた感じ、その岡本君が好きでやってるものと、研究で入ってるものが結構交わってるかなっていう感じのイメージを聞いてて。最初の方に話してた話と結構変わってて、直接聞いたことないんで、できれば聞きたいなというところがあるんですけど、お願いしてもいいですか。  その方は、ちょっとあれを未踏と勘違いして、そういうようなことを言っておけばいいかなと思ったので。恥ずかしい勘違いですが。実際そんなことはなかったですね。ちょっと方針転換はしましたね。  今やってることとしては、音声の保護ですね。今、大川くんもこの動画を録音というか、議事録の方として録音されているけど。こういうのって、私、大川くんっていう名前と、大川くんの声と、今僕が「大川くんで静岡大学だよね」っていう言葉を言うだけで、大川くんの所在とかが全部。すごい大切な個人情報になっていくと思うんですよね。そういったものを保護する技術みたいなものを考えています。  こういうところで、応用先としても、医療だったりだとか、より安全な音声保護であったりだとか。他にも、個人情報っていうふうなものの扱い自体を変えるみたいなところまで、第三としてスコープには入れてますけど。  オープンソースの RVC とかに使ってきた音声合成、あとはそういうふうなところでできた東大の方とか、いろんな人とかから得たそういうふうな情報とかも持ちながら、実装していこうというところになっておりますね。 ──実際に、ポスターを見て、どういうふうにやるんですかっていうのが結構気になったっていうところがあって。あれ、どういう感じで、POC まではできてるって話だったんですけど。あれはどういう技術とかっていうのを教えてもらったり。  いいですよ。詳細に話すと後から変更になった時に困るので、概要だけに。話すと一時間話せますから。  音声っていうふうなものは、なんかもちろん、特徴っていうのがいろいろと、私たち抽出することができるんですよね。例えばですけど、今私が話している声の音程、F0 とかピッチみたいな言葉を使ったりしますけど。であったりだとか。あと、イントネーションであったりだとか。あと、私、結構あるのが、その言葉を話す速度。だから、この単語は早いけどこの単語は遅い、みたいな感じで、結構人によって抑揚みたいなものが生まれるんですけど。こういうふうなものは十分に特徴量として扱うことができるはずなんですよね。  そういうふうなものを、まず音声から取り除くというか、抽出しようというところが最初にあるんですよね。長く話しすぎる。簡単に言いますと、音声から特徴を抽出して、特徴のない音声みたいなものを、人がもう一回可聴になるように合成し直す。そしてもう一つが、権限を持った人が、権限によって一部の音声的な特徴を復元した音声も作成することによって。その用途に応じて、その用途に必要な情報だけを持った音声みたいなものを提供することで、プライバシーの保護みたいなものを目指していこう、という。 ──ありがとうございます。権限の管理とか、どうやって考えてるのかなって、結構パッと聞いた時とか。その、どういう段階とかっていうのが、結構、パッと聞いた時に気になってですね。どういうことを考えているのかなって。  そうですね。逆に私は、そこの鍵の部分が、全然本質。保守は保守だけど、そこまで大事だなと思って、あんまり触ってはなかったんですけど。得た特徴量みたいなものを、普通に鍵を使って、RSA とは違いますけど、暗号化してしまったらいいだけの話で。鍵の保守性みたいなセキュリティの話は、また別途ありますけど。そういうふうなものを適切に管理してあげれば。いわゆるシステムなのか、ファイルエクステンションなのか、まだ分かりませんが、そういったものの実装になるかなと。  ちょっと回答になってるか分かんないですね。フォローアップがあれば知りください。 ──そういう感じになるのかなっていうふうに思ってたので。さすが、そういう感じでできるよね、って話をされちゃうね。 ──そうですね、いろいろ結構やられてるっていうところで。なんか今まで、そういうオープンソースとかも含め、いろいろ活動とかをやってきてて。そういうところでの活動で、課題とか、今まで難しかったこと、そういうところに関わる上で、課題とかって何かあったりしました。それとも現在進行形で。課題とかあると思うんですけど、今感じてるなっていうのは何かあったりしますか。  オープンソースだったら、やっぱりそのコミュニティの育成であったりだとか、開発者のコミュニケーションが、やっぱりすごく難しくなってきますよね。  そうですね、今は大丈夫ですけど。昔だったら、コミュニケーションって基本的に英語を使わないといけないけど、中学生とか高校生の時は全然使えなかったよね、っていう。言語の壁があったりだとか。  コーディングの思想とかも人によってやっぱり異なりますから。このアーキテクチャにこれはダメでしょ、みたいなものを突っ込んでくる人もいれば、動けばよしって言いながらそれをマージする人もいれば。そういうところの、いわゆる理念、コーディングルールみたいなものを、どうしても統一するのが難しいこととかは、今も問題というか。私がまだ上がりたてさんの時かもしれませんが、難しいなというふうに感じてますね。  あとは、オープンソースを使う人たちの倫理というか、そこらへんもしっかりと作っていく必要があるなって思っていて。多くのオープンソースが、いわゆるライブラリだったりとか、結構根本の部分だけど。私が関わるのは結構その実装の部分、というか、実際に作るアプリケーションとかの方のものに関わっていきますので。GitHub とかの、意味のない PR だったりとか、イシューみたいなものが、やっぱり来るんですよね。  そういうところで、いかに利用者側の。利用者側の、なんて言うんだろう。まあまあまあ、そうですね、本当に言葉が出てこない。何かを高められたりとか。私だったら、わざわざ Discord サーバーみたいなものを用意していて、そこで勝手に解決してもらうようなエコシステムを作る、であったりだとか。そういったところは今も課題になってくるのかなって思ってます。 ──結構、オープンソースだからそこの GitHub で完結するのかと思いきや、結構みんな Discord を使ってるイメージがあって。そうですよね、入ってどんどんやってくっていう感じになってて、っていうところで。実際、GitHub 上だけだと完結しないですかね。  できると思うんですけどね、正直なところ。やっぱり分けたいってところはありますね。開発者たちのコミュニティとしての GitHub と、ユーザーのコミュニティとしての Discord みたいな感じで分けたりだとか。  そうですね、そういうのがあった方がいいですし。なんか RVC はちょっと特殊で、ちょっと WeChat の方にコミュニティがあったりとか。開発仕様のね、中国の研究者が主に集まっているようなところがあったりだとか。なんかいろいろとありますね、そういうのが。 ──えー、なるほど。コミュニティってなかなか難しいです。今、言語の話が出てて、そうかそうかと思って。確かに英語とかって難しいです。そうですよね。  最近、本当に中国語メインのプロジェクトも多いですから。読めないなと思いながら、ちょっと勉強しましたけど。RVC のリリースファイルとかみたいな、全部大体中国語で書いてある。今は AI も発達して言語の壁はほとんどないですけど、昔はちょっとそれも辛かったかなとは思いますね。コードの中に書いてあったりとか、最悪ですよ。 ──コストが上がっちゃうから。なるほど。それで言うと、やっぱり AI とか、なんかそういうのが結構最近出てて。結構ああいうのって結構助かる。  そうですね。結構積極的に使おうとは思ってますし、実際使ってますね。オープンソースのプルリクエストに AI をそのまま使うっていうのはあんまりないですけど。例えば、保守性を保つためにコードのレビューをしてもらったりだとか。ミニマムなチェンジとかで、AI がどういうふうに行動するのか分かる部分であれば、任せてしまって自分はレビューだけする、みたいなことも十分ありますね。 ──はいはい。この頃、その AI を使う人って結構、人まちまちで。オープンソース、そうですね、意見が分かれがち。  いやー、そうですよね。 ──どんどん使って、確かに使っていけたらいいなっていうのは。  そうですね。そこもやっぱり、利用者のマインドっていうか、分かりませんけど。アビューズではなくて、ちゃんとした利活用みたいなところの線引きができる、みたいなところは、やっぱり非常に大事だなというふうに思ってますし。  私もちょっと前にやらかしましたけど。AI だけを使ってやってみると、自分の思想とかから外れた、あとは自分の思考の枠組みから外れてしまうと、制御できなくなってしまうというのがよく分かりますので。 ──じゃあ、今の話、聞けたらなっていう。うまくいかなかったりとかの話とか、聞けたらなって。  そうですね。例えばですけど、本当に時間がなかった時に、ひとまず AI に資料の叩きを作ってもらおう、というふうに思って。そうすると、自分自身が予想できる結果じゃないものが、いっぱい出てきてしまうんですよね、生成物の中って。なってしまうのが本当にダメで。  何が必要かって、今になって思うのは、十分なタスクの粒度の分解だったりとか、AI の生成結果っていうのが、自分の認知というか、理解できる範疇にあること。そういうふうな中で AI を利活用していくっていうのは、すごく大切なんだな、っていうふうなことを、そうですね、最近はすごく感じてますし。ぜひとも他の人々とも、そういうふうなことを理解してほしいな、っていうふうに思っていますね。 ──そうか、AI をいろいろ使ってっていうのはある。確かに僕も、その AI を使って、資料とか、ある種プロジェクトに対して貢献しようとしてしまおうとすると、なかなか難しいところがあるっていうふうに感じてて。やっぱりそれを、オープンソースとか、実際にそういうとこだと多くの人が関わってくるんで。確かにあるなっていうのを、今聞いてて、すごい感じましたっていう。  そうですね。やっぱり、いるコミュニティっていうところの育成っていうのが、一番大事ですよね。 ──そういうところだと、なんか最近、コミュニティとか、コードとかでは関わってないくても、なんかそのコミュニティとかに関わったりとか、そういうこととかしたりしてます。  結構してますね、やっぱり。それこそ高校の時からの関わりであったり。皆さん研究をやっていらっしゃる方とかで集まったりだとか。神経系の、海外にもいたりだとか。あと、なんかやってるのは、JOAI、日本人工知能オリンピックみたいなところで、その高校生の育成をしてあげたり、その後のその子たちの研究の面倒を見てあげたりとかしてますね。基本、壁打ちの相手だったりとか。 ──はいはい、してます。なるほど。多分、今まで教えてもらう側から、教える側にっていうところ。  そうなんですよね。 ──コミュニティの関わり方も確かに。オープンソースとかもいろいろあるんで、そういうのができたりするといいですね。  そうですね。はいはいはい。 ──すみません、もうちょっと話せます。あともう少しだけ。岡本君、オープンソースとか結構、いろいろ個人的に、なんかそのコミットはしてないけど、なんか触ったりとか、そういうことを結構してたりとか。  そうですね。結構なんか、自分自身が使うプロジェクトとかはオープンソースのものが多いですし。製品じゃなくてオープンソースのものを使ったりだ。神経系とかでも、例えばなんですけど、ネズミに電極を刺させてデータを取るんですけど。そういうふうなものを使える形にノイズを除去したりとか、スパイクソートみたいなものを行うときには、オープンソースのライブラリみたいなものを用いることがほとんどですよね。  ああいうふうなものって、閉じてなくて、公開されてるものが多くて。なんか、探すときはまず、そのオープンソースを探すみたいな感じだったりする。なんか、これを使うのが当たり前だよね、みたいなものがあったりするんですけど。そうでなかったとしても、結構オープンソースのものを使うことの方が多いですかね。なぜかって言ったら、自分で手を加えられますから。  例えば、エコシステムを作り上げて、一連の作業を自動化しよう、であったりだとか。だからそういうのは、オープンソースで公開してないけど、なんか自分自身でプライベートで持ってるリポジトリみたいなものが、いっぱいありまして。 ──そういうのがたくさんあるんだろうなっていう感じの。リポジトリが、プライベートをめちゃくちゃコミットしてたりとかするんで。そうですね。というところで、実際なんか最近、そのオープンソースを使って、なんかちゃんと作ったのって、なんかあったりします。その、実際オープンソースとして出してないけどっていうのだと。  そう、出してないけど結構いっぱいありますよ。その作ったもの自体は。何があるか。オープンソースのものを裏で使ってますよ、みたいな。それこそ、なんか今回作った SecHack のプルーフオブコンセプトも、裏で動いてるのは、その音声合成の、RVC ではないですけど、とあるライブラリ、オープンソースのものを使っていたりだとか。そうですね、いや、結構使ってると思うんですけど。どういうのが知りたいですかね。 ──本当に最近とかで、全然なんでも。  そうですね、最近だったら、他にも、例えば最近その神経系でのオートメーションを組んだものもありますし。あとはこれは、強化学習とかでちょっと実験してみたときの。これ、なんかよく分からないライブラリを入れた記憶があるんだが。忘れちゃった。  結構なんか、オープンソースって、なんかやっぱりコードが見えている分、正しさが保証されるとまでは言いませんけどね。なんかそういうの、逆に自分で見ることもできますから。一切ブラックボックス化せず、自分のシステムに組み込めるところでは、すごく利活用しやすいものだと思ってますね。 ──使ってて、っていうところで。結構その、神経系でも使うんだっていうところが、正直。  そうですね、結構使いますね。逆になんか、進歴はなんか、逆になんかそういうふうな製品を作ってると、オープンソース思考なのかな、分からないですけど。そういうところがありますけど。一方で、例えば脳波だったりとか、イメージング技術になってくると、あまりオープンソースはないかな、みたいな印象はありますね。 ──もう、じゃあ使うものが用意されて、でもそれを使う。  ですね。なんでかっていうと、その、いわゆる機械が必要じゃないですか。クソデカい、寝っ転がるためのあれが必要ですから。それと一緒に付属してくるんですよ。そうなったら、オープンソースでやるというよりかは、なんかその企業の方で用意したソフトウェアを用いてやる。すでにインストールされている状態でいただく、みたいなことの方が多かったりしますね。 ──やっぱり。ありがとうございます。そうですね、最後ってわけでもないかもですけど。結構今後っていうか、今いろいろコミットとかは結構してて、でも最近できてなかったりって思うけど。今後なんかいろいろ SecHack を通じても、多分こういうのを言った、オープンソースで公開してるとかあると思うけど。なんかそのオープンソースとかについて何か思ってて、なんかこうしたいとか、そういう思いが結構あったと思って。なんか今後、それを通していきたいとかって何かあったりとかしますか。自分の活動として、何かを公開に関わることって。  ぜひとも関わっていきたいですし、できるだけ自分の成果物をオープンにしたいというところはありますので。そういう意味だったら、今までコントリビューターとしての活動が多かったけど、なんか一個、自分のプロジェクトを持ってみたいなところは、みたいなところはありますね。  なんか一個作ったやつが何かあるんですけども、GitHub のスターが一〇〇くらいで止まっちゃっていて。私も最近ちょっとメンテナンスができてないんですよね、そういうふうなものって。なので今後は、なんか的だけ、その責任感あるとは言いませんが、いいプロジェクトをいい感じに保持するみたいなところを目指していきたいし。オープンソース、結局コミュニティの育成がすごく大切だと思っているので。どんなものを公開するかにもやっぱりありますけど。  立場にも立っている、その開発者側と、やっぱりその分離した状態で何かしら用意してあげるとか、そういうところの整理だったりとかは頑張っていきたいなと思っておりますね。回答になってますかね。 ──いや、全然なってます。ありがとうございます。ちなみに、その一〇〇ぐらいで止まってる自分のっていうのが何なのかなっていうのを、今リポジトリをさーっと見ながら。  やめてほしいな。Stable Diffusion の拡張機能みたいなものですね。なんか画像を、あれ、BLIP とか CLIP って分かりますかね。 ──はい、分かります。  あれをなんか、そうですね、組み込んであげて。なんか画像から、そのなんか、テキストプロンプトみたいなものをジェネレートするみたいなものを作って。よくよく考えると、めちゃくちゃ悪用しやすい、すごいものを作っちゃったなと思いながら。そういうふうなものが一〇〇スター。この中学か高校生か、高校一、二年で作った記憶があるんだけど、よく覚えてないですね。 ──やっぱそういうのって、見られるとやっぱ嬉しいというか。使ってくれたりとか、PR とか来たりするんですか。  そうですね。PR 一件来てますね。なんか回した記憶はあります。 ──スターちょうど一〇〇だ。ちょうど一〇〇、キリキリだ。やっぱそういうのって、やっぱスターがついたりとか、やっぱそういうね、メンテちゃんとしなきゃなっていう感じになったりとか、持ち弁になったりとか。それとも淡々と。  嬉しいとやっぱり嬉しいですけどね。なんか自分の作ったものが、確かに有意義なもので、その価値が認められるとは言いませんが。そういうふうなところで嬉しいところはありますけど。別に、スターが多いから少ないからみたいなところよりかは、私はキュリオシティドリブンな、好奇心の方で動いてる人間なので。  まあ、あったら嬉しいけど、まあ、それに関わらず普通に続けていくだろうなとは思います。逆に、スターが多いから継続的にメンテナンスしますかって言われると、それを保証できない。今の自分では保証ができないので。自分がエンジニアになるなら絶対ありますけどね。そうではない気がするので。  そういうところでも、コミュニティの育成としては、共同でメンテナンスできるメンテナーみたいな人を探して、プロジェクトに組み込んでいくみたいなところは、必要になってくるんだなと思ってますね。 ──確かに。そうですね。めちゃくちゃ、なんか今リポジトリ見てて、めちゃくちゃ動いて活発じゃん。全然活発。  ありがとうございます。 ──いやいや、そんな。いやでも、その岡本くんはすごい、その結構いろんな技術に対して方向が向いてて、結構手で触って動かすってことをやってるイメージだったので。  そうですね。逆に、手を動かさないと何も理解できないので。 ──本当そう。なるほど。ごめんなさい、急に来て、タイトルもちゃんと分からないままやってもらって。  いやいやいや。大川くんですから、別に話してても違和感なかったですよ。 [語注] RVC Retrieval-based Voice Conversion。話し手の声を別の声に変換する、オープンソースの音声変換ソフト。 Stable Diffusion 文章から画像を生成するAIモデル。公開されたことで派生ソフトが多数生まれた。 VITS、ベクトル量子化 いずれも音声合成に用いられる技術。VITSは音声合成のモデル、ベクトル量子化は情報を離散的な符号に置き換える手法。 PyTorch 機械学習のモデルを記述・学習させるためのライブラリ。 スーパーサイエンスハイスクール 文部科学省が理数教育の重点校として指定する制度。SSHと略される。 SEEDS、GSC いずれも高校生向けに大学が開く、研究に触れる講座。SEEDS は大阪大学の「SEEDS プログラム」、GSC は東京大学の「グローバルサイエンスキャンパス」。 スパイクソート 脳に刺した電極で記録した信号から、どの神経細胞の発火かを仕分ける処理。 ニューロモーフィックコンピューティング 脳の神経回路の仕組みを模した計算方式。 F0 音声の基本周波数。声の高さにあたる。 SpeechBrain 音声処理向けのオープンソースの機械学習ツール群。 スカッシュマージ 複数の変更を一つにまとめて本家へ取り込む方式。 JOAI 日本人工知能オリンピック。二〇二四年に始まった国際人工知能オリンピック(IOAI)の、日本代表を選ぶ中高生向けの大会。 BLIP、CLIP いずれも画像と言語を結びつけるAIモデル。画像から説明文を作るなどに使う。 国立情報学研究所 情報学の研究を行う大学共同利用機関。NIIと略される。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/02/ ======================== OSSの生活史 第一集 第三篇 僕は未だに、オープンソースの文化がよく分かってない 語り手=大澤文孝 聞き手=大川貴久 2026-07-23 51分45秒(冒頭欠) ──ご自身が初めてパソコンに触れたときについて教えてください。  そこからですか(笑)。本当に僕はコンピューターが好きでした。その理由は、どんなこともできるからです。それでこの世界に入りました。もともとは、電子工作が好きで、そこから始まりました。 ──いまは月刊『I/O』のライターさんをしているとのことですが、『I/O』は、電子工作が主だっている雑誌ですよね。  『I/O』は、これまでいろいろ変遷がありました。僕が読んでいた頃は、本当にプログラミングの雑誌だったけれども、スタートはマイコン。最初はマイコンを扱っていたんだけれど、そこからパソコンが登場してソフトウェアの雑誌になった。投稿雑誌として、プログラムコードが掲載されるようになって・・・・・・。それから投稿色は消えて、マルチメディアの時代になったらCDが付いたりして、一般寄りに寄っていった。その後にアングラの時代があって、いわゆるハッキングとか、悪いことするような雑誌が出たりとかして。そして今、電子工作中心の世界に戻ってきた。そんな感じなんですよね。五〇年もあれば、いろいろ変わるよね。 ──私も『I/O』は読んでいたのですが、そういう経緯があったのですね。そうするとソフトウェアに実際に関わったのは、ある種、『I/O』がきっかけだったりするのでしょうか。  そうですね。学生の頃から『I/O』の編集部に出入りしてた。もう四〇年ぐらいになりますかね。  『I/O』には、一時期、添付CD-ROMが付いてた時期がある。そのCD-ROMには、いろんなソフトが入っていて、CDドライブの中に入れると、自動的にランチャーというか、メニューが起動するんだけど。そのメニューのプログラムを作ったのは僕。 ──そうなんですね。  あとは、社内の著者の印税計算するようなシステムも、僕が作りました。 ──学生さんのときから入って、いろいろやられてたんですね。  はい。本当に学生時代ですね。 ──すごい。じゃあそこで、どんどんそうしたところでソフトウェアに関わっていくような機会が増えていってというところなんですね。  そうですね。ただ当時はインターネットはなくて、いわゆるパソコン通信。今って、インターネットがあるからいろんな人と交流できるけど、当時はあんまりないから、本当に、内輪だけの話ですよね。 ──他の方にお聞きしたときにも、まだインターネットがない当時からいろいろやられている方は、何かコミュニティに関わっていたというところをお聞きしています。  そうですね。会えるのは、パソコン通信のオフ会ぐらいでした。ほとんどオンラインで、実際に会うという機会は、本当になかったです。 ──それからだんだん経っていくと思うんですけれども、そこは『I/O』さんと関わっていって、どんどん繋がりが広がっていく感じだったのか。それとも、また別のところで、いろんな関わりが、増えていったのでしょうか。  どういう方向の話かもありますが、僕の仕事のひとつ「執筆」という意味だと、工学社で執筆していたら他の出版社さんからも声がかかって、いろいろな書籍を書かせていただいて、いまに至ります。 ──執筆以外の広がりは、どのようだったのでしょうか。  執筆の媒体として、雑誌と書籍があるわけですが、雑誌がたくさんあった当時は、いろんなコンピューター雑誌に書かせていただきました。  大川さんが知ってるところだと、インプレスの『インターネットマガジン』は、もしかするとギリ知ってるかもしれない。若いから知らないかもだけど(笑)。あとは、翔泳社の『Visual Basic マガジン』というVisual Basic だけの雑誌とかもあった。ほかにも、セキュリティだけの雑誌とか、ほんとうにいろんな雑誌があった。  そんな良い時代もあったものの、だんだんと雑誌の売り上げが減って、雑誌自体が休刊などで少なくなっていきました。  そんな時代なので、少しずつ開発の仕事にシフトしました。業務委託。だから、今でも、業務委託という形で開発をしている一方で、書籍の執筆もしている。  最近は、初心者の方とか、いわゆるプログラミングを勉強しはじめる方が増えてきたので、スクールの需要も結構ありまして、講師業もやっています。 ──本を実際に書かれていて、(売り上げが)減ってきた頃って何年頃とかだったんでしょうか。  二〇〇〇年ぐらいじゃないですか。 ──そんな早かったんですね。  ちょうどムックって呼ばれる、いわゆる雑誌形態なんだけど、定期発売ではない形態の雑誌がありまして。そういうのがいっぱい出たときに、バブルがはじけました(笑)。  だんだんと出版不況になっていって、コンピューター雑誌が売れなくなっていく。おそらくその頃になると、インターネットでの情報、いわゆるメディアニュースみたいなやつ。今で言えば、PC Watch とか ITmedia とか。CodeZineとかもそうだけど。そういうメディアが、雑誌の代わりになっていった。そういう時代ですよね。 ──確かに、今もそういったものがよく読まれているというところで。  そうなんですよ。だから今、雑誌は結構厳しい。そういうメディアと戦わなくちゃいけないから、厳しい! ──なるほど。インターネットがそれこそ発達してくると、先ほどパソコン通信のオフ会の話もあったと思うんですけれども、そうなると実際、ネットでの関わりの幅は広くなってくるのでしょうか? それともリアルでの関わりが、変わらず多いのでしょうか。  僕は、ネットとか通信上で知り合った人っていうのは少ないですね。 ──そうなんですね。  逆に言うと、OSCに出たり、OSCの懇親会とか出たりとか、そういうところでいろんな人と出会いました。だから、人と関わるという意味では、OSCに参加するまでは、かなりブランクがありました。 ──OSCとか、そういうところに参加された経緯を聞いてもいいですか?  OSCは、僕ではなくて、もう一人、一緒にやってる小笠原という人がいて。ちょうどコロナ禍だと思うんですけど、その小笠原宛に、『ちょっと講演しない?』というお誘いがあったんですよ。どういう経緯で呼ばれたのか分かんないけど、おそらく、新しい人を呼んで OSC を盛り上げたいとか、いろいろ思惑あったんじゃないかと思います(笑)。いずれにしても、そういうかたちで誘っていただき、それから仲良くさせていただいてるという経緯です。 ──順番が前後してしまうのですが、その小笠原さんが主催されているモウフカブールについてです。実際こういうコミュニティとかって、どういう経緯でされているのか。結構、私も OSC に行くたびに毎回お目にかかるのですけど。  モウフカブールというのは、元々、同人誌のサークルです。スタートの発端は、コンピューターとは全然関係ないコミケです。コミケで写真集のサークルとして始まった。今年もコミケで、コンピューター島じゃなくて写真集島で参加しました。 ──サークルカット見てたら、出られている。  はい。コミケはコンピューターの分野での参加じゃないんです。モウフカブールは、そんな感じの同人活動をしていたんだけど、そのうちに技術書典などの技術同人誌の即売会イベントが登場して、だったら技術書の同人誌も書こうかということで、今に至ってます。 ──実際にお仕事で書籍も書かれている中で、同人誌も書かれるとなると、住み分けは、どのようにしているのでしょうか。  それはもう明確で、部数というか規模ですね。商業の書籍ですと、部数の制約があります。ミニマムでも一〇〇〇部以上、ふつうは二〇〇〇部とか三〇〇〇部とか売らなければ、どうしてもペイしないので。それ以下しか見込めないようなネタは、残念ながら同人誌にしています。  だからニッチなネタとか。あとは書籍では、そうですね、伝えにくいやつとかですかね。書籍って長いスパンで売らなくてはいけないので、どうしても今、旬で書きたいけれども、これはおそらく内容が変わるみたいなのがあるじゃないですか。それは商業的にはちょっと厳しいので、さすがに先に同人誌でちょっと固まってから商業誌かな、っていう感じもあります。ですから、その辺で住み分けています。 ──最近はClaude Codeについての本を書かれているようですが、やはり売れるといいますか、人気があるから、そういう分野を狙うということでしょうか。  そうですね。とはいえ、やっぱり出すタイミングも当然あると思いますけど。おかげさまでClaude Codeの本がすごく売れてるけど、あれが例えば、じゃあ三ヶ月前に出したら売れたのかとか。逆にもっと早かったら売れたのかとか。逆に、もうちょっと遅くしたほうが売れたのかっていうのは、ちょっとそれは分かんないよね。 ──書籍は、二〇〇〇年頃から継続してやられているのでしょうか。  書籍はもっと前から。一九九〇何年ぐらいからやってた。一番最初に書いた頃って、いつだったかな。https://mofukabur.com/のバイオグラフィにあるんですが。確か、小笠原と大澤の両方載ってるんだけど。下の方に大澤文孝の著作があって。出版年月順の一番下見ると、一九九六年がスタートですね。  大川さん、生まれてないかもですね。 ──いや、そうですよ。私は二〇〇五年生まれなので。書籍はやはり、その時の流行りに左右されるものなのでしょうか。  そうですね。「こういうのをやりましょうよ」というネタを持ってくるのは編集部なので、僕にはわからないところもあります。ですから、逆に、編集部側から「新しいネタ」を知るというような、勉強になる部分もありますね。  例えばJavaの記事を書いたときの話をすると、それこそベータ版とかアルファ版のときに、編集部から話があるわけですよ。当時はオラクルじゃなくて、サン・マイクロシステムズだけど、その発表会に行って、お前話聞いてこいって言われるわけです。話を聞いて記事書いてというような、勉強しながら書くというスタイルでのスタートになります。 ──実際に書かれる際に、キャッチアップされてからやられるって感じだったんですね。  そうですね。全部ほぼほぼそうです。それが得意だからということではないです。 ──私は、本を書くというのは、ご自身が得意な分野について解説されているような認識だったので。  認識は合っていると思いますよ。いわゆる職業ライターじゃない人は、当然専門家として、例えばウェブに強い人がウェブ、ネットワークに強い人がネットワークについての専門書を書く。そういうのは、もちろんあります。ただ僕の場合は、カバー範囲は、そこまで上級者ではなくて、入門書から中級ぐらいまでのところがカバー領域です。ですので、幅広い分野でわかりやすくというところを目指して担当しています。僕はふつうに開発者なので、エンタープライズ系など、個人では手が届かないような実機・実務が必要なところ以外は、ほぼカバーできます。 ──本もそうですが、いろんなことを初心者に教えるセミナーをしたきっかけのようなものはありますか?  特にはないけれども、OSC は大きなきっかけでした。それより前にも、二〇〇〇年ぐらいですかね。マイクロソフトのAccessというデータベースソフトに関するイベントで、話す人がいなくて、呼ばれたことがあって、おそらくセミナー経験のスタートはこれだと思います。そのときは、すごかったよ。大々的な会場でね。たぶん、会場に四〇〇人ぐらいいたと思う。マイクロソフト社のイベントで、主催は翔泳社さんだったと思う。  そこからしばらくセミナーはしていなかったんだけど、さきほどお話ししたようにOSCからお声がけいただき、四〇分の枠をいただいてお話ができるということで、いろいろ経験しているうちに、慣れてきました。  それと別に『SEプラス』とか『Schoo』とか、どういう経緯でお声掛けいただいたのかは覚えてないけれども、そういうところでのセミナーもするようになりました。 ──実際にお声掛けいただいて、実際にご自身で学習された上で、皆さんにお伝えするような形でやられているのでしょうか。  そうですね。とはいえ講演の方は、まっさらなところから依頼というよりも、本という著作があるから、それについて解説してほしいということほうが、さすがに多いです。要するに、「本を書いているんだから、このくらいの内容は知っているだろう。」という前提でお話がきます。講演は、お客さんがいるものですから、これができるだろうみたいな見込みだけの新分野への依頼は、さすがに来ないですね。  例えばウェブについての著作があるから、ウェブについて語ってほしいとか、セキュリティの著作があるから、セキュリティについて語ってほしいとか。明確な根拠があってご依頼いただくケースがほとんどです。 ──話は変わって、今度は、開発に携わったきっかけについて教えてもらえますか?  わかりました。開発については、はっきり言うと、人材不足。年中、人が足りない。そこでたまたま、ちょうど雑誌の仕事も少なくなってきていたので、「暇だったりしない」みたいな形で、とある会社にお声掛けいただいて。デスマーチみたいなところで仕事をはじめたというのがきっかけですね。 ──そのまま、書籍を書かれながら並行してずっと開発もされているのですか?  そうですね。たいへんではありますが、開発は面白い経験。やっぱり、書籍を書いていると、(扱うものが)どうしても最先端とか新しいものになるでしょう。ところが実際に現場に行くと、そんなことは全く、最先端なんてどこにもない。泥臭い作業だったりする。  今では違うけど、僕が最初に入ったときは、例えば分かりやすく言うと、雑誌や書籍では、クラスとかオブジェクト指向っていう話を僕は書いてる。けれども、現場は全くそうじゃない。そういうギャップがあるから面白い話で、それを知った上で雑誌や書籍を書いていく、そういういいきっかけになりましたね。 ──なるほど。現場を実際に知りながら。  そうですね。現場を絶対に見なくちゃいけないと思っています。ですから今でも現場を離れていないです。 ──そういったものが、フィードバックとして書籍といいますか、同人誌とかになるんですかね。  まさにそうです。書籍は特にそうですよね。そしてフィードバックという意味だと、OSC はとても大事です。いろんな人の現場で使ってる意見が聞ける。ときどき作ってる人も混じっているから、作ってる設計思想まで聞ける。こういう機会は、めったにないチャンスですよね。  少し話はズレますが、技術的に分かって使えるのと、その思想がどうなのかっていうのを知って使うのでは、すごく違うと思ってます。特にフロントエンドの業界。ReactとかVue.jsとかいろいろあると思うんですけど、どうすればどうなるっていうのは、全然普通に分かる。それは、ドキュメントとか読めば分かる。そうじゃなくて、その機能が何のためにあるかっていうのを理解しないと、使いどころを間違えるんですよね。だからそこを理解する上でも、いろんな人の意見を知りたいっていうのが、やっぱりあるんですね。  使いどころというか、その機能やソフトウェア、ライブラリが何のために生まれたかを意識していかないと、間違った使い方をする可能性があるなと、最近強く思っています。 ──OSC では、いろんな技術に触れる機会があるだけでなく、開発者の方とのお話も伺えるというメリットもあるのですね。ありがとうございます。少し話が変わってしまうのですが、今度は、いま関わっているPLATEAUについてのお話をお伺いしてもよいですか?  PLATEAUを始めたきっかけは、知り合いの編集者から話があったからです。真偽は知りませんが、僕に声がかかってきた理由は、幅広い技術を知っているからだと聞いてます。PLATEAUは総合格闘技じゃないけど、めっちゃ分野広いんですよ。地図なのでGISが基本なんだけれども、3D地図の描画という意味だとUnityの話もある。それからウェブの文脈でJavaScript・TypeScript の話もあるし、データ変換や活用の文脈ではPythonも出てくるというように、めっちゃ幅広い。  編集さんは、そういう幅広いところができる人を探していたようです。 ──ドキュメント担当ということをお聞きしましたが、具体的に、どのようなところを担当されているのでしょうか。  そうですね。PLATEAU のチュートリアルのページって全部あると思うんですけど、それの執筆と整理と、原稿整理とか全部担当してる。三六個ぐらいコンテンツ。 ──今三九ありますね。それ全部。本当に、先ほどおっしゃった通り、その JavaScript から Python から。  その中に、ロボット制御の ROS とかもあるのよ。 ──そうなんですね。ソフトウェアっていうか、ハードまで。  もちろん、全部監修の方がいて、元ネタや素稿はもらえます。専門家にお話を聞いてそれをまとめたりとか、あとは専門家の方の元の原稿を整理するとか、もしくは専門家の方にネタだけもらって僕がサンプルコードを書くとか。いろいろパターンがあって、専門家さんの都合の良い方法でやらせていただいています。 ──ユースケースなどもすごいですね。かなり詳細に書かれています。専門家がいるとはいえ、技術を基本的に理解した上でやらないと難しいところなのですよね。  そうですね。分からないところは監修者に聞いていくのですが、結構、これめんどくさいんですよ。例えば先ほどのROSとかだと、ROSの環境をまず用意することから始めなくちゃいけない。さすがに、そこまでやるライターってそんなにいないんですよ。僕はそういうところから全部含めてやっているので、幅広い知識が求められますね。 ──本当に、これらすべてに全部通じていらっしゃるからこそ、こういったところでいろいろやられているのですね。  とにかくプログラミング言語が多岐にわたるのもあるし。それだけでなく、データ構造もわかる必要がある。もちろん、監修者がプログラムを書いてくれることもありますが、もし間違っていれば、それを指摘しなくちゃいけない。間違っているケースはあまりないのですが、そのプログラムを動かすときの前段階の準備を省略してくるケースは、そこそこあります。何かのライブラリが足りない、コンバートしておかないといけない、このデータをこのフォルダに置いておかないといけないなどですね。そういうときは、前提として何か抜けてるんじゃないと質問する。  専門家は専門家向けに書くので、前提が抜けてることは、結構あります。それを補足するのも僕の仕事です。 ──それは、初心者に向けた本を書いているからの経験ということでしょうか。  そうですね。そういう補足をするのは大事な仕事です。 ──ありがとうございます。これまで執筆や開発、講師、それからPLATEAUのようなサポートなどもやられてきたわけですが、そういうことを二、三〇年間やられてらっしゃる中で、課題とか、行き詰まったりしてきたところなどについて教えてください。  そうですね。これまで行き詰ったところは特にはないというのは、感じてないです。おそらく、ないんじゃなくて、うまく回避してきただけだと思いますけど。とはいえ結局やっぱり、一人でやるから時間の制限は当然あるので、その時間の制限を超えることができないという課題はありますね。一方で、特に技術的な困難がどうこう、みたいなのはほとんどないです。  じゃあなんでも仕事として受けるのかというと、そういうわけでもない。今でもお断りしてるのが、エンタープライズの案件。いわゆる高価な機材を用意してとか、サーバー何十台も用意して実際に検証してほしいとか。そういう傾向の原稿を書いてほしいというのは、お断りしてる。実際できないしね。あとビッグデータもできないですね。僕、そんなにたくさんデータもってないから。 ──そうしたなかで、変わってきたところはありますか?  変わってきたところは、はっきり言えます。この業界、コンピューター好きの人だけじゃない業界になりました。  今まではコンピューターが好きな人がこの業界に入ってきました。ところがここのところはそんなことはなくて、コンピューターの好き嫌い関係なく、優秀な人が入ってくる業界になりました。その優秀な人たちはコンピューターのことを知らない。いやごめん、知らないというのは言い過ぎ。そこまで詳しくないぐらいにしとく(笑)。だけれども、優秀だから勉強すればすぐに習得できる。だからこそ僕が例えば講座をする需要があるし、本もそういう基礎的なところを理解するための書籍の需要がある。  正直言うと、昔だったらコンピューター好きの人がこの業界の大半だったから、僕がいま講座していることとか、本に書いていることとかって、改めて言わなくても、みんな知ってた。だけれども、いまは、そういう時代じゃない。そうした基本をきちんと言わなくちゃいけないし、整理してまとめなくちゃいけない時代になってきたと思いますね。 ──なるほど。好きな人だけではないからこそ、初心者向けであったりとか、そういったものが出てきたっていうことですね。  この業界、好き者が集まってきたから、あんまり良くない傾向として、勉強するためのロードマップとか、そういうのが揃ってないんだよね。だから、いつでも人材不足。人を集めようと思ってもコンピューター好きな人ばかりじゃない。コンピューター好きな人を集めたところで、人が全然足りないから。だから今後は、そういう教育のプロセスをもっとちゃんと用意しなくちゃいけないなという危機感があります。 ──それはどういうところで感じられますか? 本を書く、コミュニティ、同人誌などいろいろありますが。  コミュニティの方は、おおむね好きな人しかいないので以前からあまり変わってないです。同人誌の即売会については、昔は、コンピュータ好きな人しか来なかったのに、いまでは初心者の方が、こういうのがないかなっていう方が増えてきて、この変化を大きく感じます。セミナーというところで言うと、OSCはどちらかというと好きな人たちだからちょっと違うけど、一般的な講演会、たとえばデブサミ(デベロッパーサミット)みたいなところ。ああいう会場の懇親会とかでチラッとお話しすると、初心者の人とかに出会えます。そういう人たちと話すと、どういうところに困っているのかとかが分かる。新しくこの業界に入ってきた人たちと、どこから勉強するか、何に悩んでいるのかという話ができる機会が、もっと増えるといいなと思います。 ──私自身もそこまで技術に詳しいわけではないんですが、OSCなど、コンピュータ好きの人がたくさんいるところに関わると、いろんなお話をお聞きできると感じています。そうした最初の入り口として、何かセミナーなどがあると、とても嬉しいなと思っています。やはりウェブだけだと、どうしても分からないことが多いと思っています。  とにかく今、技術の幅が、とても広いから、何が基本で何が応用なのか、これとこれが繋がってるのか、繋がってないのか、分かんないでしょ。そういったところは、何か整理できるような形とかした方がいいと思うし、そうしないといけないなと思ってます。おそらく、こちらから、どこが迷ってるのとか、どこが分かんないのっていう風に聞いても、そもそも何が分からないかが分からない人も多いと思う。 ──確かに。  だからそこを踏まえて、もう少しなんとかしていかなくちゃいけないですね。 ──それで言いますと、近年モダンな技術といいますか、それこそ AI みたいなものがある程度台頭してきて、それこそ何が分からないのか分からないままでも、ある程度形になってしまうような状態にもなってきていると思います。ある種、バイブコーディングのようなものもありますが、そういったところに何かしら感じられていることはありますか。  AI は当然僕も使ってるんだけど、まず大前提として、AI は反対とか賛成とかするっていう話じゃなくて、もうあれは使わなければスピード的に勝てないものだと思ってます。ですので、どういうふうに使うかは別として、効率化、スピードアップという意味では、AI を使わなければならないというか、勝てないものだっていう認識、立場です。  その上でお話しすると、たとえば、先ほどおっしゃったバイブコーディングの話になりますが、バイブコーディングは個人で使うには全然いいと思いますけど、プロダクト作りとしては基本ダメだと思うんですよね。なんでダメかっていうと、どういうことをするかが分からないからです。  逆に言うと、どういう動きをするかをきちんと、例えばテストコードを作るとか、仕様書を書くとか、仕様書通りに動くことを確認するとかしているのであれば、全く問題ないと思います。一番怖いのはやっぱり、挙動が分からないものはそのまま使えないっていう、それだけの話ですね。 ──実際に AIを使ってコードを書かれてますか?  はい。AIでコード書いています。当然、AI が書いたコードは確認しています。ただ正直、今後も人間が目視確認できるかどうかというのは、ちょっと分からないと僕は思っています。人間が見切れないだけの量のコードを書いてくる可能性が、今後あるからです。  なので今後、場合によっては、コードは見ない。ただテストは作って、テストの結果だけを見る。いわゆるブラックボックスだけど、外の表面上に問題がないかだけを確認するということはやる、という流れになっていくかもです。ただそれだけだと当然、セキュリティなどテストで表面化しない問題は残る。そうした問題については、生成AIを使って内部レビューするような形で、誤魔化していく方向に流れるのではないかとみています。 ──十分に確認はちゃんとしないと使えないっていうところは、やはり変わらない。  テストだけ通れば、その中は何が書いてあってももう、しょうがないじゃん。そもそも今、人間が書いてるコードだって、テスト通れば、まあちょっと…、と思っても、ということはあるでしょう。もう、そういう時代ですよ。 ──実際に書籍に書かれる際に気をつけているところはありますか? たとえば、AI の使い方もそうですが、モダンな技術、DockerやAWSでも。AIに限らず、モダンな技術は、ある種、抽象化して見えないようにするものでもあると思うのですが。  確かにそうかも知れませんが、あまりそこまでの意識はないですね。AWS 使うことは問題ないし、AWS の注意点も特にない。ただおっしゃるように、AWSを使うと、中身をよく知らなくてもインフラ作れる。Docker だって中がどうなってるか分からないけど docker runで動く。もちろん危険性はあるけれども、まずは、動くならそれでいいんじゃないかという思いはあります。  AIについて言うと、作られるコードが危ないのもそうだけど、AI の、特にエージェント系のやつだと、勝手に動いて勝手に壊すじゃないですか。それをどうするかという話があります。僕はコンテナの中で動かそうよということを、もう強く強く言ってるわけですけど。コンテナじゃなくてもいいですが、何らかのかたちで守って、限られた場所で使うならいいのではないかなと思います。もちろん、そういう時代だからこそ、この下の仕組みを知らなくちゃいけないのは、それは事実ですよね。なんとかしなくちゃいけないとは思いますが、良き回答はないですね。時代の流れですし。 ──ありがとうございます。ここまでで一つまとまったところとして、今後多分、書籍の活動であったり、同人の活動であったり、いろいろやられると思うんですが、今後も何か変わっていく中で、していきたいことについて教えてください。  AI が手に入ったことで、今までよりも簡単に試行錯誤ができるようになりました。ちょっと自分でコードを書くのがめんどうくさいなと思ったことが、すぐにできるようになりました。そういう意味で、いろんなものを今までよりもたくさん作っていきたいなと思っています。今までって、めんどうくさいことは、本当に手につけられなかったんですよ、アイデアがあったりしてもね。だけど、AI によってそれがなくなるから、もっといろんな人がいろんなことにチャレンジできるようになると思います。  あと、生成 AI について言うと、この間 OSC で、とある人とも喋ったんですが、僕らシニアのエンジニアにとってはすごい力になるんだけど、若い人は、よく全体が分からないものを使うから結構厳しくて、このままだとシニアはもっと強くなるだけだよね、と、そんな話をしました。若い人が AI を使うためには、全体の仕組みとか、これをこうすればこうなるはずとか、そういう俯瞰したところを理解していかないとダメな時代になる。細かいコマンドがどうこうじゃなくて、確かこんなコマンドあったはずとか。表面上動いてるから中のプロトコルはこのはずとか。そういう想像ができるようなところ、全般的な知識を手に入れると、AIの真価が発揮されると思います。 ──これからは細かいものよりも、全体感としてどういったものを知っておくのが大事だと。  細かいところをやらないとその全体も分からないというのもあるから。そこはジレンマですね。ですから、どこで細かいところを体験するのかという課題は残ります。 ──ありがとうございます。一時間お話いただいたというところで、他に私の方から、多分かなりお伺いできたというところでいます。  最初にご依頼いただいた「オープンソース」について、少しお話しましょうか。  オープンソースについては、文化を理解しなければならないと思っているのですが、白状すると、僕は未だにオープンソースの文化がよく分かってないです。雑誌や書籍などでオープンソースを紹介していくのはもちろんしていくし、それが普及に一役買いそうな気はしているけれども、紹介の仕方によっては、タダですから、みんな使ってくださいとなってしまう。表現によっては、タダ乗りとかになっちゃう。それは避けたいと思っています。なのでオープンソースの人たちが、どういう形で紹介してほしいのか、どういう風に使ってほしいのかとか。そういうところを、もう少し知りたいというところがあります。 ──そうなんですね。私が確認した感じでは、あまりオープンソースの技術について書かれてる本がない印象なのですが、そういった側面があるからでしょうか。  オープンソースって、下手に僕が語っちゃうと「それは違うよ」みたいなのあるでしょ。人それぞれでオープンソースの捉え方が違うから、オープンソースについて語るのってすごく難しいと思います。 ──OSCとかでは、オープンソースにどういう人がどういう思想でやってるかとか、そういったことをお聞きしたいです。  そうですね。僕もそういうところが聞きたい。関連するかどうかわからないけど、この前、OSCの宮原さんと二次会で、『僕みたいなオープンソースにあんまり関係ない人が、どうやってOSCに関わって貢献するといいですか』って聞いたんです。そうしたら、『とりあえずこういうふうに来てくれるだけでいいです』って言ってくれた。まあそうかも知れないけれども、それはそれとして、どういう感じでオープンソースとして付き合うのが、嬉しく思うのかを知りたいというのは、根本にあります。  例えば、オープンソースを実際に使ってて、「こういう改良があるからどう?」みたいな提案をするのは貢献するひとつの方法だと思うけれども、やり方を間違えると、それっていいけど誰が実装するの? とか、下手するとタダ乗りっぽく見えちゃうこともある。こういう文化というか見え方とか、そういうのが難しそうだなぁと感じています。 ──私も同じような感じで、やはりどう関わったらいいのかみたいなところが分かりにくいと感じることがあります。  僕は少し思うことがあって、オープンソースに関わる人って、企業の人が給料をもらいながら働いてる一方で、本当にまったくのボランティアで、オープンソースに開発・コミットしてる人もいるんですよね。それを同列に扱うと、なんかちょっと話が違ってくると思っています。  企業の人たちはお給料をもらってて、そのお給料の範囲内でオープンソースに関わってるわけでしょ。つまり仕事。そうじゃなくて趣味の個人が、オープンソースに関わる場合、それは生活の個人的なリソースをどれだけ割くかという話になる。おそらく企業の人たちは、例えばこれ直してとかプルリクもらったとき、仕事ならそれでやると思うけど、個人だったら、こんな面倒くせぇって思うことだってあるでしょ。だからそこは区別して考えなくちゃいけない。仕事でやってるのか、理念でやってるのか、それともまったくの趣味でやってるのかっていうところは分けなきゃ。  Linux Foundation とかの貢献で、たくさんの企業さんがサポートして大きくなり、できることも増えたし、スピード感も増してきた。つまり、オープンソースの力がすごくなってきている。それが確かに事実だと思うけど。そういうパワーのあるオープンソースだけじゃないので、一緒くたにするのはいけないなと思っています。 ──そうですね。いろんな方々に今回お話を伺っているのですが、それこそお仕事で関わってらっしゃる方もいらっしゃいますし、好きで関わってらっしゃる方もいるので、どういう関わり方がいいのか考えています。  オープンソースってビジネスと関わる部分もあるし、コミュニティと関わる部分もあるし、いろいろあるから。難しいよね。 ──難しいなっていうところで、今回いろんな方に、OSC に来た方はじめ、いろんな方にお聞きできたらなっていうところがあったっていうところなんですけども。今後いろんな方にお聞きして、それをどういう感じだったかっていうのを報告とかできたらいいなという風に思ってます。  オープンソースについてどう思うかは、いろいろ聞いてみるといいですね。 ──そうですね。ぜひ、そんな感じで皆さんに聞いていけたらいいなと思ってます。ありがとうございます。オープンソースについてもお話いただいて。  またOSCとかで会いましょう。 ──よろしくお願いします。ありがとうございました。 [語注] I/O 工学社が発行する月刊のコンピューター誌。一九七六年創刊。読者がプログラムを投稿する時代を経て、現在は電子工作を多く扱う。 マイコン マイクロコンピューター。一九七〇年代から八〇年代の、個人向け小型計算機の呼び名。 パソコン通信 インターネット普及以前の、電話回線で中央のホストに接続して掲示板や電子メールを使う仕組み。 インターネットマガジン インプレスが一九九四年から二〇〇六年まで発行したインターネット専門誌。 Visual Basic マイクロソフトのプログラミング言語。かつて専門誌が存在した。 ムック 雑誌と書籍の中間の形態。発売日が定期でない。 PC Watch、ITmedia いずれも一九九〇年代後半に始まった、コンピューター関連のニュースサイト。 モウフカブール 語り手が小笠原種高氏とともに活動する創作サークル。コミックマーケットでは写真集を、技術書典では技術同人誌を頒布している。 技術書典 技術書だけを扱う同人誌即売会。 サン・マイクロシステムズ Java を作った米国の計算機メーカー。二〇一〇年に Oracle が買収した。 Schoo オンラインの動画学習サービス。 OSC オープンソースカンファレンス。 デブサミ Developers Summit。開発者向けの講演イベント。 PLATEAU 国土交通省が進める、日本各地の3D都市モデルを整備・公開する事業。データはオープンライセンスで提供される。 ROS Robot Operating System。ロボットを制御するためのソフトウェア基盤。 React、Vue いずれもウェブ画面を組み立てるためのJavaScriptのライブラリ。 バイブコーディング 生成AIに任せてコードを書かせる進め方。 Linux Foundation Linuxをはじめとするオープンソースの開発を支える非営利団体。企業からの資金で運営される。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/03/ ======================== OSSの生活史 第一集 第四篇 私らが採用したら、オープンソースが死んじゃうと困るんですよ 語り手=大釜秀作 聞き手=大川貴久 2026-07-18 56分24秒 ──まず最初に、ソフトウェアであったり、パソコン等に触ったきっかけとか、そういったところから教えていただければ。  そんな古いところ? いつだろう、高校生ぐらいですかね。シャープのポケットコンピューターっていうコンピューターがあったんですね。あれを買ってもらったのが一番最初ですかね。PC-1211 という名前の、横長の、電卓のお化けみたいな、そういうやつですね。あれを触ったのが、自分の初めて持ったコンピューターということになりますですね。 ──だから、そこから入ったから BASIC とかですしね。そうですね、かなり、今画像を拝見してるんですけど、本当にこれくらいの電卓のような形のもの。なるほど。こういうのでプログラミングみたいな、こういうので BASIC とかをされてたっていうことですか。  実際、雑誌にね、プログラムが結構投稿されてたりするんで、そういうのを打ち込んでみたりとか。あとは高校生なんで、プリンターも一緒に買ったんですよ、確かね。なので、いろんな数字の処理をさせるのにポケコンを使ってやったりとかはしてました。 ──実際じゃあ、それはもうお趣味でやられてて、ずっと続けててっていう感じ。  ずっと、というか、それが一番最初に触ったものということになりますね。大学になったら、いわゆる普通のデスクトップのコンピューターを周りの人間が結構持ってたんで、それを使わせてもらったりとかいうことはしてました。ただ、自分でデスクトップのコンピューターを買ったのはずっと後で、大学院生ぐらいになった時に。けど、仕事用というか論文書き用みたいなことではなくて、完全に遊び用で、X68000 というシャープのコンピューターを買ってるんですね。 ──でも、そうですね、今見てますけど。なるほど。でも、まだその当時だと、やっぱりパソコンは皆さんが一人一台今持ってるような状態では、やっぱりなくて。  全然違いますね。八ビットの Z80 のコンピューターでも三〇万、四〇万してましたので。そうそう簡単には買えないという。 ──確かに。そう、なるほど。  プログラミング言語は、そういう意味で言うと、高校生の時には BASIC を使ってましたけど。大学に入ってからは、情報工学科の人らが持っておられるので、コンピューターをね。それを借りて遊んでみたいなことをやってました。その時に初めて真面目に学んだプログラミング言語というと、Pascal なんですよ、私は。  なので、いわゆる行番号から、そこから外れて、Pascal でいろんな数値計算のプログラムを書きました、作りました、みたいなことをしてましたですね。その後に Turbo C とか、C 言語というものが世の中に出てきて、手に入るようになって、ということですかね。  C 言語もちょっと使ってみたけど、C 言語の書き方も Pascal 風になってるんで。私の、基本的に一番最初に真面目に取り組んだ Pascal の書き方で、今でもいろんなものを書くとき、PHP でもね、そんなような書き方になっちゃってるんですけど。やはり手続き的な書き方といいますか。 ──そうですね、C 言語が登場する前に。そうですね、私、他の方はいろいろもうすでにパソコンがあるような、生まれてからパソコンがあるような方が結構多かったので。そうですね、パソコンが今まで身近にない方っていうのは、なかなか。  C 言語が登場する前、というと間違いなんですよ。C 言語が手に入るようになる前。 ──普通にね。なるほど。  C 言語自体はもう、UNIX のコンピューターで、多分世の中にあったはずなんで。 ──実際、そうなってくると、パソコンとかがそれこそ一般的にご自身で持たれるようになってからっていうところで、ソフトウェアとかそういったところをより深く触っていくっていうような感じになってた、っていうよりは。今、オープンソースの活動とか、そういったところにつながっていった。  そこにつながるからは、ちょっと遠いですね。どっちかというと、私、ハード好きなんですよ。大学の時には X68000 とか買ってますけど、C コンパイラとかいろいろ買ったりもしてますけど。どっちかというと、自分で線を引いて八ビットのコンピューターを作ったりとか、いうことをやってました。そっちの方が楽しかったんですよ。 ──そうですね、私も最近、小さいマイコンとかを触るようになったんですけど。ああいったもので実際にプログラムを書くっていうのは。  そうですね。その時は Z80 のコンピューターはあまり作らずに、MC6809 やったっけな、モトローラの。最近だと MC88000 とかいうのは、最近でもないな、だいぶ前ですけど。RISC コンピューターとか。さっき X68000 と言ってましたけど、MC68000 っていうチップがね、乗ってたと思うんですけど、あれの八ビットのやつ、6809 っていうのがあるんですよ。それがね、とても、個人的にはすごい綺麗なアーキテクチャになってて、好きだったんですよね。八ビットのくせにカーネルモードがあったりとかね。いろいろあるんですよ、面白い。  そういうことを見てると、いわゆる OS 側、サービス側に飛んでって仕事して、いわゆるユーザー側に戻ってきて、ユーザー側のプログラムを走らせて、みたいな。そういう構造とかもね、そんな頃に、こんな風に世の中を作ってるんだ、みたいなのを理解した覚えがありますね。 ──実際に、それはご趣味でハードとして作られてて。一体どういう用途でとかっていうのは。  完全に遊びです、それは。 ──どういうプログラムを動かしたりとか。  そこからラジコンの、モーターを動かしたりとか。ラジコンじゃない、リモコンですね。モーターがつながって。そういうのをやってましたね。 ──いいですね。そこからソフトウェアに移るっていうところっていうのは、結構大きく離れてるというような、先ほどもおっしゃってたと思うんですけど。  ソフトをやってるという意味では、今は会社ですけど、当然この当時は大学じゃないですか。大学にいた頃は、いわゆるソフトウェアをいじくるような研究室にいたんですよ。いわゆる学部学生の時は画像処理の研究室、医療画像処理とかやってたんですね。そんな時に初めてデータフロープロセッサーとかもね、扱って。  それもだから、行番号どころかね、プログラムがいわゆるノイマン型のプログラムじゃないんですよね、データフローなんで。それで画像処理を高速化するんや、みたいなね。そういうようなものをプログラミングして、こういうプログラムを書いたらこんな処理ができました、みたいなのを論文で書いたりとか。昔々なんで、その程度で論文になるんですけどね。  そういうことをやったりとか。あと院生になってからは、人工知能の研究室に移ったんで。人工知能に関するもの、ベースのものとしては LISP とか学ばされたんですけど。私自身が、データフロープロセッサーって爆速で処理しますみたいな話なんで、そっち系が好きなんですね、基本的に。早い処理が好きなので。いろんな、たくさんのノードを束ねて並列に推論を行うようなモデルみたいなのがちゃんと作れるか、とかいうような、こういうものを研究して論文を書いてましたですね。  ちょうどそれの時に、同学年といいますかね、同じ研究室で同期の人間は、いわゆる、あれだ、名前が出てこない、今の AI のベースになってる。名前が出てこない、最近ね。いわゆるニューラルネット。ニューラルネットの、いわゆるループでもって学習していくっていうのについて。それが初めて世の中に、割と論文で出始めた頃なので。数学的に、あの時は、それがちゃんと学習していったら学習結果が収束していくのかどうか、みたいなのを研究してた子がいましたね、同期にね。 ──今、私、情報学部なんですけど。ちょうどニューラルネットワークとかを使って、どういう風になっていくかとかを、まさに今、当たり前、既存の知識としてやってるっていうところで。今もお聞きしてて、そういうのが確立された時代っていうのが。  そうですね。計算力がまだまだないんです、世の中には。ちょうど RISC のコンピューターが出たかなぐらいの世界で。なので、全然、ループを回してもむちゃくちゃ時間がかかるんですよ。層が一層でもね、すごい時間がかかるっていうのを、もうずっと何日も計算を回して、結果どうだ、みたいなのをやってたのが、同期にいましたね。そんなのが隣にいたので、面白かったですけどね。 ──そういったところでソフトウェアについて関わっててっていうところだったと思います。それはお仕事で続けられてたっていうことなんですか、ソフトウェアに関わるのですか。  今のは完全に大学の研究でやってた話ですね。 ──大学を卒業された後とかに、ソフトウェアに関わり続けるっていうのは、ご自身のお趣味でやられてたりとかですか。  それで、今度はそれから会社に入るわけですけど。そうすると、直前の研究内容とか、そういうのを斟酌して、いわゆるソフトウェアの開発の事業部に入れられたんですよ。私自身、希望としてはハードウェアを作りたいとかね、人の教育をしたいとかね、そっち系の希望を出してたんですけど。お前はそういうソフトの研究室から出てきたんだから、ソフトをやれ、というような話で。  ちょっと今、これ、つながってるビデオ会議の私のアカウントを見てもらったら分かるんですけども、今の所属が、入社した時の所属そのままなんですね。昔々、そこの会社は UNIX ワークステーションを作ってたんですよ。そこの部署に配属されたんです。 ──当時ですと、まだ商用 UNIX が出回ってて、Linux が出る前っていうことですね。  そうですね。その当時はやっぱり、私がちゃんと把握してないんですけど。やはり日本の中でいくつか商用 UNIX を売ってる会社があって、それぞれがサポートを提供してるっていう感じだった。そうですね、うちとか、オムロンとかが作ってたんですね。オムロンは結構、今でもオムロンの UNIX マシンだったっていう人がいるんですけど。うちは結構、中堅の会社にガサッと納品するような格好で。あまり有名じゃないんですけどね。作ったのはだいぶ古いんですよ。  そういうのを作って売っていたので。それでソフトの開発はやらされたというか。UNIX ワークステーションを使って何か応用製品を作れ、みたいな格好になったんですね。 ──実際、どういった形で活用された製品っていうのは、何かお伝えで教えていただける範囲で。  入って割と早いうちに何をやらされたかというと。最初はね、さっき言ってたモトローラの MC68000 シリーズの CISC のプロセッサーを入れた UNIX ワークステーションだったんですけど。途中から MIPS っていう会社のね、R2000 とか R3000 とか、あの辺のチップを入れた RISC の UNIX ワークステーションを作り始めたんですね。そのハードが、要するに RISC になったら MIPS 値だけはすごく上がるんで、性能が一〇倍になったみたいなことを言うわけですよ。その、ハードウェアを使って別製品を作ってください、というのが仕事で与えられて。  プロジェクトとしては、警視庁の信号制御装置。ああいうところの OS としてそれを入れなさい、とか。  たくさんの信号機のデータを送ったり、逆に、信号機の近くに超音波センサーとか並んでるんでね、混み具合とかを測るんですよ。そのデータが上がってきたりするんですね。それを定期的にデータを入れて計算して、データをまた流して、みたいな。そういうことをやるような仕組みが、いわゆる交通管制センターにあるんです。そこに納品する計算機として入れてください、って言われた。  性能が一〇倍以上になっているから、一〇分の一のリソースでできるんじゃない、って言われて。そんなわけないでしょっていう話をして。だいぶそこでいろいろ言って、上の方にも納得いただいて。信号制御を、UNIX ワークステーションの中にいきなりデータを突っ込むんじゃなくて、いわゆる小亀って言ってましたけど、サブ基板がずらっと並んでて。そこにまた、ある程度処理できるような CPU をずらっと乗っけて。そこに交差点情報をシリアルで流し込むと、そこである程度処理してから上側に送って、上側というか RISC の UNIX 側にデータを送って。さらにそこでもう一度処理して、大きな、いわゆる指示用のパラメータを落としてもらって、また下が計算してそれを下流に流す、みたいなね。そんなような構成にしてもらって。そういうのをやりましたよ。ほぼ初仕事に近いと思います。 ──当時からかなり UNIX が、組み込みといいますか、基幹システムみたいなところで使われてる。  そうですね。その時はもう、初めてだと思います。UNIX の OS で、いわゆるそういう信号制御のセンターのところに入れるみたいな話。 ──じゃあ実際に、UNIX がちゃんと使われ始めたっていうところっていうことなんですね。  そうですね。それ以外の使われ方だと、普通に CAD の端末とか、そういう扱いですね。 ──実際じゃあ、そのままお仕事を続けられていく中で、ソフトウェアをどんどん触っていかれていって、今に繋がれていますか。オープンソースとか、そういったところに関わっていかれたっていうような。  オープンソースは、もうひとひねりあって。社会人が長いんで。さっきまで言ったのは事業部門だったんですけど、そこから今度は研究所に移れって言われたんですね。私自身がずっとハードを作りたい作りたい言ってたもんで、ハードを作らせてやるから研究所に移れ、というふうに言われて。  研究所に移って、今でいうと NVIDIA の、ジオメトリーを計算するような IC ってあるじゃないですか。あれ、一つの大きな LSI になってますけど。あれを、LSI なんかまだまだ作れないような時代だったので、あのレベルは。なので、ちょっと計算が早いような RISC の、ただデータバス線だけ大きいような CPU をタンデムで乗っけて、ジオメトリーの計算をひたすらガーッと流して、みたいな。そういうような CPU 基板みたいな。それが基板になってますけども。全然能力は低いですけども、NVIDIA のチップと同じようなことをやってるんですよ。そういうやつを設計して出したりとかは、させてもらいました。  そういうのがあるんで研究所に移ったわけですけど。研究所に行くと、今度はインターネットにつなごうね、みたいな話が出てくるわけです、その頃はね。ただ、インターネットと言っても、みんなその頃は電話でつないでる、UUCP でつないでる。電話でデータをバケツリレーしてるネットワークがインターネットだったんですよ。何をやってるか、というと、メールの配送と、ニュース、電子ニュースの配送ぐらいしかやってなくて。そもそも IP なんか全然つながってないんで。というようなのをやってる人たちがいて。  大学は、その前からいわゆる IP ネットワーク、WIDE やったかな、そういう学術ネットワークみたいなのがあって、IP でつながってたりするんですけど。そこになんとかつなぎたいみたいな話をやってた人がいますと。私、だから大学の時に、そういう大学の研究室に端末がたまたま来て、そこで私、ニュースとかで遊んでたり。それをどうも知られてたんで、お前やれ、手伝えという風になって。うちの電子メールの仕組みとニュースの仕組みを維持するというようなお仕事の手伝いをやり始めましたと。  そこら辺からなんですよ、いわゆるオープンソースに近いものに触れてくるのは。  ニュースの中にですね、プログラムを配ってくる人たちがいるんですね。fj とか言って、フロム・ジャパン。日本でそういうことをやってる人もいるし、comp 何とかとか、いわゆるアメリカ中心ですけども、研究者たちがいろんなものを投稿するようなニュースグループがあって。そこに、ライセンスとか、そういうの、全然その時は何にも書いてなかったんですけど。こんな面白いプログラムがあるよ、みたいなのをポンポン投稿してくれるような人たちがいっぱいいた。そういうののうちで、役に立ちそうなのをピックアップして、会社の中、研究所ですけどね、そこで動かしてみて、みたいなことをやり始めたのが、割とオープンソースに近い動きですかね。 ──今、フロム・ジャパンとかについて調べたり。実際そういうニュースとか、そういったものをみんなで共有するような文化の中でっていうこと。なるほど。  なので、そこら辺で。ちょうどそれと同じぐらいですかね、NCSA Mosaic とかが出てきて、ワークステーション上で Mosaic ブラウザを動かして、これはすごい派手だ派手だ、みたいな話が出つつ。でしばらくすると今度、IP ネットワーク、IP 接続かな、UUCP じゃなくて本当に IP でインターネットにつながるみたいな風にもなってきて。でゲートウェイを作る手伝いをしたりとか、そういうことをやってました。  なんですが、今度はその後、私、研究所から情報システム部に異動するんですよ。で、情報システムで何をしたかというと、研究所でつないでたメールの仕組みを丸ごとガサッと移管されてきて。全従業員にそれの ID をばらまくと。メールサーバーをとんでもなく増やすと。ゲートウェイももうちょっときちっと整備して、会社の中のネットワークも全部 IP で接続するようにして。DOS、MS-DOS の 3.1 から Windows の 95 とか 98 とかに従業員のパソコンを変えて。で、E メールの使い方はこうだよとか教えて、ブラウザ、ネットスケープの使い方はこうだよとか教えて、みたいなことをするのが、情報システムでやり始めた大きな仕事です。  そうなってきた時のベースの仕組みで、初めてオープンソースを使ったらどうか、という話が出てくる。もともとフリーのソフトをいっぱい使ってたじゃないですか、fj 何とかで。その辺でいろんなものがあったんですけど。オープンソースという言葉が、ネットスケープがオープンソース化したぐらいのタイミングで出てきて。それで、いろんなものを使って作ったらどうや、みたいな、当時の上司から言われて。  ただ、自分で、要するにオープンソースとかいう話が出るより前から、結局、流れてくるソースコードを使うか使わないか、何かトラブルが起こった時に直さなきゃいけない、全部自分でやらなきゃいけないと。オープンソースも基本一緒ですよ、ということでいくと、自助努力の範囲でできるものでないと全社員向けには提供できません、というふうに、頑なに拒んで、というかね。やばいからね。 ──会社の方からそういうオープンソースを使ったらどうかって言われたりっていうことがあったそうです。  そうです。上司が結構ラジカルな人でね。そういうことを言いたがるので。 ──なかなか当時だと、使わないっていうのは。  多分、情報システム部では私個人ぐらいしか関わってなかったんで、見える範囲は。メールとニュースとゲートウェイあたりは分かるけど、OS は無理です、と。Linux が出てきてるやろって言われましたけど、その当時 Slackware ぐらいしかなかったんですけど。無理です、こんなもん、見てられませんと。一番最初にそういうのを展開したときは、OS 部分は、その当時は Solaris だったんですけどね、Solaris 2.何ぼみたいな感じになってたんですけど。それで OS 周りは全部揃えて、そこの上に、いわゆるオープンソースのサーバー類を載せるという構成で、従業員向けの仕組みを提供すると。  そこからオープンソースというのに関係してくるわけで。ネットスケープがもろもろあって、Firefox、Thunderbird とかに変わるじゃないですか。その頃に、いわゆる Mozilla Japan さんが、実は声をかけてきてくれたんですね。私らが、ネットスケープから Firefox、Thunderbird に変えますと、社内に実装を変えますという風なことを言って。オープンソースをそれなりの規模で採用してるし、しかも IT ベンダーじゃないところで採用してるっていうことで珍しい、みたいな格好で、日経さんとかに取材されたりとか。そういうのも、ちょっともしかしたら時間関係が前後してるかもしれないですけど、同じくらいのタイミングで Mozilla さんからも、どういうことをされてるのか取材したいです、みたいなお話が来て。Mozilla の瀧田さんとかとお話ししながら。Firefox は今でも社内でずっと使ってるような格好になってきます。  Mozilla さんは会社の形を取ってますけど、そうじゃない、Mozilla 組だった頃からね、実は使ってはいたので。いわゆる、なんだっけな、OSC だったかどうか分かんないですけど、そういう展示会とかでお話がつながるようになって。で、うちで使ってるんですよ、みたいな話とか、そういうことをさせてもらったりとかして。そうすると今度は、OSC の場で、いわゆる事例として紹介してくれ、みたいな話がパラパラ来るようになりまして。  で、ちょっと時間が後だったんですけど、OpenOffice.org というのも使い始めたので、それもこんなの使ってますよ、みたいな話を OSC なり、そういうことを日経でも取り上げられたことがあります。 ──そうですね。記事を拝見させていただいて。結構全社で。  そうですね。今でもインストールベースは非常に多いですよ。 ──そうなんですね。未だに OpenOffice.org は、今 LibreOffice になりましたか。じゃあ基本的に、未だに LibreOffice を使って。  使ってるとは言えない。なぜかというと、インストール基本セットみたいなのがあって、そこには LibreOffice とか入れてあるんで、インストールベースは多いんですけど。コロナの時に、全員にマイクロソフトの ID を付与してるんですよ、Teams を使うために。そうすると、全員が今度は MS Office を使えるんで。高いから買えない、買えないから LibreOffice を使ってます、みたいな層がいなくなってるんですね、今は。  ただ、MS Office で何か脆弱性が出てやばいわ、みたいな話になった時には、ちょっと代わりに使う用のものは入ってるよ、っていう。そういうようなことになってますね。  というあたりから、オープンソースの人たちとはちょっとお付き合いが始まる、みたいな。そんな感じになります。それが二〇〇五年とかぐらいですかね。 ──なるほど。オープンソースにそれこそ関わっていく中で、実際にオープンソースを支える側といいますか、オープンソースソフトウェア協会みたいな形で関わられていくと思うんですけど。そうしたものも、今の流れの続きでっていう形で関わられていったっていうことなんですかね。それとも何かの一つ。  オープンソースの、私個人の付き合い方というと、実は二面性があって。いわゆるコンピューター好きの人という意味では、オープンソース好きです、と。それがベースにありますと。それがベースにあるんですけど、関わってるっていうところまではいかないはずなんです、それだけだと。  関わってるのは何でですかっていうと、実は、会社の仕事として全部やってます。 ──今までの会社の仕事と関わりながらやっていかれている。なるほど。  基本的に、オープンソースって、みんなが使って盛り立てていかないと死んじゃうものじゃないですか。私らが会社で採用したら、オープンソースが死んじゃうと困るんですよ。私らが困るから、死なないように応援したいです、というのの活動の中で、今みたいなことを起こしている、というようなことです。 ──じゃあ実際、そういったお仕事の一環で、オープンソースの団体であったりとかに関わるような形をされてる。なるほど。  そういうことをずっと続けてて。先ほどちょっと言いましたけど、ラジカルな上司がいますって言ったと思うんですけど、その人がですね、実はオープンソースソフトウェア協会にも入ってたんですよ。  中に入ってて、やっぱりよく分かんないので、大釜またやれ、と連絡してくるわけです。元上司なんで。関わってるというか、協会に入ったのはそういう理由です。だから、自分で手を挙げて、ぜひ入れてください、というわけではない。ただ、入った限りは、そもそもオープンソース全般については応援したい立場はあるので。元上司から言われてますけど、その時の私の直上の上司のところを通じて落ちてきた話なんで、仕事としてやりますよ、としてもらって、今に至るということですね。 ──実際のお仕事の延長線上であるっていうようなところで。やはりオープンソースを守っていかなければ、というか、継続していく。なるほど。  とは言いながら、ベースはオープンソース好きなんで、うまくいくようにという方にバイアスはかけますけど。基本的には、いわゆる会社の仕事として、オープンソースというものがちゃんと発展していくように。もっとダイレクトに言うと、我々が使ってるオープンソースが死なないように、というようになる。  同じように、うちの会社になるんですけども、ある時からデータベースの方も PostgreSQL を主体的に使います、というふうになります。そうすると、PostgreSQL のユーザー会の、いわゆる企業ユーザー会みたいなのが多分あると思うんですけど、そこの設立を、私じゃなくて、別のデータベースとか社内システムを作っている人たちで関わってきたりとか、いうふうな動きになったりとかしてますよ。  それも、PostgreSQL がダメになるとまずいので。企業ユーザーがいっぱい集まって、これ結構使いやすいデータベースなんで、みんなで使いましょうよ、と。情シスの人、SQL を凝るので、他の DB じゃダメなんですよ。複雑な SQL が通らないので。PostgreSQL だと結構通るので、そんなに大きなシステムでなければ、基本的にどこでも役に立つはずです、ということなので。それを広めていくという活動をされていると思います。 ──なるほど。会社全体でそういった形で関わっていってということをやられている。なるほど。いろいろ調べたところだと、最近だとセキュリティの分野も、オープンソースとかの部門でも CSIRT とか、そういったところをやられていたりというところ。最近のお仕事としてやられてらっしゃるのかなっていうところなんですけど。もしよろしければ、そういったところ、近年お仕事としてやってて、そういったところが OSS とも関わったりとかあるんですか。  どうなんですかね。えっとですね、それで言うと、実は、うちの会社って IT ベンダーとかじゃないので、IT の技術力がそんなに高いとこじゃないという風に認識してるんです。そうするとね、何でもかんでもオープンソースを使ったれ、にはならない。自分で責任を持てる範囲でないと使っちゃダメよ、っていう風に基本的な方針は立ててるんで。いわゆる採用するっていう風なことを真面目に検討するようなチームが、一応、世代が代わりいろいろあって形も変わってるんですけど、ずっとあるんですよ。  そういう意味では、何でもかんでも盲目的に採用するんじゃなくて、一応評価した上で、これだったら使える、コミュニティ的にも大丈夫そうだし、いいんじゃない、っていうようなものしか使ってない。ということは、結構少ないんですね。オープンソースをよく使ってる会社って言われてますけど、使ってる本数は多いんですけど、種類は少ないんですよ。 ──そういう意味で言うと、脆弱性にぶち当たる数は少ない。ちゃんと精査されてるから。  そうですね。ちゃんとしてるところを基本使いなさい、っていうことをしてるので。何か脆弱性が出てきても、割とすぐにパッチが出るとかいうことになって。そういう意味では、あまり苦労は実はしてない。何でもかんでも使っていいっていう風にしてないから。 ──逆に言いますと、それの作業がやはり、やられていらっしゃる。そういうチェックであったり、審査とかをっていうのが、やはり大変だったりっていう感じなんですか。  そうですね。それなりに分かってる人間でないと、やっぱり判定できないので。そうですね、それをやれる人は選ぶと思います。 ──そういったことを最近は主にやられてらっしゃるというか。  私はやってなくても、次の世代の人たちがやってますよ。  そうですね。形はあるんで、同じことはずっとやってます。 ──現在は、実際どういったお仕事に関わられてますけど。  所属はそうですね、SEI-CSIRT 室というところが本務になってて。ここはグループ全体のサイバーセキュリティの統括って言ってますが、統括なんでね、実働しないんですよ。ちゃんとやれっていうだけで。基本的には。なので、しんどくはないっていったら嘘にはなるんですけど、そんなに、何か起こってとか、何か導入してとかいうことを自分でやることはない。  それをやるのは実働部隊でやって。例えば社内システムだったら情報システム部がやりますとかありますし、工場だったら生産技術部がやりますとか。私たちが作っている製品とかに対してセキュリティレベルを上げますという話については、事業部門のいわゆる開発部隊がやります、となって。いわゆる CSIRT、PSIRT の実働部隊をいっぱい作っている。  関わってる人たちというのがリストになってたりするんですけどね。いわゆる、全部別に辞令が出るわけじゃなくて、あんた、こういうやつもやってくださいね、っていうようなことを言ってやってもらってる人たちが、昔数えたとき、七〇〇人ぐらい。逆に言うと、それぐらいの人たちでやらないと、多岐にわたりすぎてるんで。 ──そうですよね。そういうところに対してやってくださいっていう。なるほど、そういう立場ですね。  あと、それ以外に社外とのやり取りですかね。あとは上の人たちとのやり取り。そういったところをやってる部署になります。あと、全体方針かな。会社グループ全体の方針作りっていうところですかね。 ──実際に、実働というよりは、やはり全体的に会社としてどう使っていくかっていうところ。  セキュリティという意味では、そういうことになります。オープンソースだから商用だからって区別してないですよ。統括的に、ソフトウェアに対してある程度審査して、そういうものを採用するかしないかっていうところを判断するようにしています。 ──そういったところでやると、オープンソースだから商用だからみたいな理由でなったりならなかったりっていうのは、やはりそういったところはない、っていうか。  そういう意味で言うと、販売元、商用だったらね。オープンソースだったらプロジェクト、コミュニティ、そこは見ますよ。やっぱり一度会社で採用しちゃうと結構長い間使うものなんでね。うちの会社なんかだと一〇年使うのは普通なんで。そういう意味で言うと、なんか怪しいことしてるところは、やっぱり避けますですね。避けようがないところもたまにあるんでね、マイクロソフトさんとかね。そういうところは仕方がないかな、というのはありますけど。 ──そういうところと実際、採用するってなったら、関わりに行くといいますか、何かしらアプローチを取ったりっていうことを実際されてるっていうことですか。  そうですね、基本的にはそんな格好ですね。とは言いながらね、いわゆるお金の契約で済むところは、そこで済ましてるかもしれないです。だから Linux でも、無償の Linux とか使ってた時もあるんですけど、結局は、ちゃんとドライバーまで、何か問題があった時は修正してよね、っていうことを言いたいので、有償のサービスがあるところと契約して使ってます。ライセンス料を払ってる方法ですかね。そこで済むのは、それでやってます。 ──なるほど。そうなってくると、やはり商用とオープンソースで結構出てきてて。いまだにオープンソースを使い続けてる理由といいますか。なんとなく商用とかに置き換わっていったりっていうことも逆にあったりっていうことはあるんですけど。逆に言うと、商用がオープンソースに置き換わるみたいなこともあるんですか。  基本的に、社内システム、基幹システムの構成はこんなんだよ、というのも標準で決めちゃってるんですよ。そこは今、ベースは Linux の上に、うちで開発した、いわゆる基幹システム用のフレームワークみたいなもの。あと、それの上や下やらにオープンソースが刺さってて、っていうようなものをベースにしてて。それはもう、ここ二〇年ぐらい変わってない。変わってないというか、中身は差し替わってるんですけど、その構図は変わってない。  そういう意味で言うと、Windows OS が入ってくるっていうことは、まあ少ないです。ないわけじゃない。ないわけじゃないというのは、Windows OS でしか動かないようなソフトウェアを使いたいとか、いうような時ですかね。あとは、Windows のパソコンが皆さんのコンソールになっているので、そいつを制御するとか、監視する、管理するみたいなものは、だいたい Windows ベースの OS の上に乗っかってますんでね。その部分はある程度の数は並んでしまいますね。それはそれで別に禁止してるわけではないので、いわゆるアプリケーションプレイヤーとして使います。 ──はい、ありがとうございます。会社の方ではそういった形でやられてて。オープンソースのソフトウェア協会の方だと、大釜さんが独自に何かやられてたりとかっていうのは、何か最近あったりとかは。特にあったりっていうわけではない。  独自にはない、というか、そういう概念がほぼなくて。オープンソースソフトウェア協会、一応理事をやってます、なんですけど。理事もやってますが事務局もやってて、事務局長っていうことになってますよね。そうなると、いろいろ勝手にやろうと思ったら勝手にできちゃうんですけど。そんなことをやったらいろいろ怒られるので。ちゃんと事務局会議なり何なりでもって、毎月ですね、方針を確認して、次はこんなことをやろうか、みたいな話も相談しながら。理事・事務局、だいたい五、六人ぐらいで毎月やってるんですけど。というのをしながら、方針を決めて。  自分たち独自のイベントごとも年二回から三回ぐらいやってます。OSC の参加はなるだけ出ます。特に地方とかは、いろいろコネクションを作りたいところもある。  あと最近はですね、ちょっと前は若い子が全然来なかったんですけど、最近また学生さんが来るようになったので。学生さん向けに、ちょっと、「オープンソースとは」、みたいな話を展開できるような配り物を作ったりとか、いうようなことはやってますね。基本的に相談した上で。実は割と私だけに近いんですけど、いろんなものを作ったりとかするのはね。私の方でお金も管理しているもんですから、いろんなところに制作発注したりとかするのも私の方で手配するというような格好になってますね。  会長さんとかは、現地に来てもらって講演してもらったりとか、もの配るのを手伝ってもらったりとか。逆にメインで座ってもらったりとか。あとは何かな、懇親会の方はどっちかというと会長さんに出てほしいんで。この前は懇親会でいろいろお話いただいて。そんな感じですね。独自では動いてないです。 ──でも、かなりボールを持っていろいろやられてるっていうような形なのかなって。  そうなんですよね。そこそこいろいろやってるのに、独自でやったら死んでしまうわ、とか。 ──ありがとうございます。そうですね、じゃあちょっと最後の方になってくると思うんですけど。今、オープンソースとか使われてて。最近とかだと、今までオープンソースで、結構最近それこそ私たちのような学生であったりとか、結構盛り上がってるといいますか、ある種活発になってきていて。環境もある種モダンな開発環境といいますか、AI であったりとか、そういったものが出てきていて。オープンソースもコミュニティが、AI を使ったコミュニティ、いろいろ難しいところが出てきているように、傾いから見て思うんですけど。そうした中で、近年そういったところで課題ではないですけど、変わってきていることとか。そういったところで難しいなとか、悩んでいらっしゃることとか、そういったところとかって何かしらあったりとかありますか。  悩んでるところは、何年か前は、本当に若い人がいないねっていうのは悩んでたんですよ。OSC に来てもいないねっていう話があったので。ちょっとどういう理由か分からないんですけど、最近増えてきておられるので、そこは悩みは解決した、というか、何もしてないんですけどね、こっちは。なんか人が来てくれてるなっていうのがある。  逆に、興味を持ってくれた人が、なんか、返ってこなくなるみたいなことにならんようにしないといけないな。それにはどうすればいいかな、っていうところは気をつけておかないといけないかな、というふうに思います。  あとは AI 関係は、会社で使う場合もそうなんですけど、まずコード生成については、コードがライセンス違反を起こしてないかが心配ですね。だから、AI を活用してコード生成までやってオープンソース化したら、Black Duck あたりから、ここのオープンソースから取ってきてませんか、なんて言われたらまずいわけで。会社側もそうなんですが、会社側でいろんな開発で作ったやつを AI でコードを作ります、って言ったときも、それ大丈夫か、みたいなのが常にあるので。そこは時間の問題だと思ってるんですけどね。ある程度解決されてくるだろうと思うんですけど。今は心配、心配。心配だけど、時間が解決するはず。偉い人たちは解決してくるはず、っていうふうに思っています。 ──実際に活用する。実際にもう社内の方では活用されてらっしゃるっていうような。  テスト的にはやり始めてはいます。本格的にはまだやってないはずです。  あとね、製品の方にそういうものを入れられると、それはそれでもっと困るんで。  そこはちょっと心配してる。製品の開発環境は、こっちからちょっと見えないところもあるんでね。心配ですね。 ──そうですね。それこそオープンソースに AI を使ってライセンス問題が、みたいなところが。実際に社内で採用されてらっしゃると、なかなか難しいところがあるのかなっていうのは、すごいお話を聞いてて感じてたっていうところで。やっぱり心配っていうところになるんですかね。  一応、公式に心配しなくて大丈夫ですよって言ってるのは、GitHub 上の Copilot ぐらいだったと思うんです。要するに、ライセンス違反を起こさないようなものを作りますよって言ってくれてたと思うんです。ただ、会社のシステムを GitHub で作ると変えたら、それはそれでまた別問題が起きるんで。そうですね、ちょっとね、というところはありますね。  あとは最近だと、AI で脆弱性がいっぱい見つかって、修正のプルリクがいっぱい飛んでいって開発者が激怒して、みたいな世界がありますけど。元のコードはよろしくないって言ってくれてるんだから、そこはやっぱり直していくんだろうな、と。今まで見つからなかったものを AI が見つけてくれた、っていうことではあると思うので。ただ、今は大量に来すぎてるんで、っていうことで、産みの苦しみに近い状態になってんのかな、っていう風に思います。  やっぱりオープンソースだけじゃないんですよね。商用でも、例えばマイクロソフトさんのパッチが、ここ三ヶ月とんでもない量があったりとかね。Chrome のパッチがえらい頻度で飛んでくるなとかね、ありますでしょ。なので今、ソフトウェアはみんな多分 AI でもいろいろチェックされてて、いっぱい修正させられてると思うので。そこがある程度落ち着いてきたら、どっかで収束するはずだと思ってますから。時間の問題だろうなと思いつつ、ちょっと心配してます。  これは心配してます。体力があるとこは大丈夫なんですよ、MS さんとか Google さんとか。体力があるとこはいいんですけど、体力がないオープンソースプロジェクトは、多分、対応しきれないみたいなことになっちゃうんじゃないかな、というのはちょっと心配してますけど。 ──ありがとうございます。そうですね、最後と言いますか。今後、ソフトウェアに、多分これからもお仕事として関わって、お仕事も含めいろいろ関わっていかれると思うんですけど。今後どういった、今まで通りというか、何かしら関わり方に対して、今後どうしたいとかっていうところとか、何かしらお持ちだったりとかしたら、もしよろしければ教えていただきたいなというふうに思うんですが。今まで通りであれば、そういった形というのもすごくあると思うのですが。  そうですね。端的に言うと、結構忙しいので、こんな風にしたいですみたいなことは、まだ今、頭が回ってないのは実情ではありますが。何かきっかけがあって、その形が変わるような、今までもちょこちょこ経験はしてますので。時が来れば何か変わるんでしょ、っていう気はしてます。それが楽しみなのかどうなのか分かんないですが。気が付いたらこんなことになってましたわ、みたいな話はあるかもしれないです。  自分自身は、今の状態でタスクがいっぱいあるんで、大変は大変なんですけど、充実はしてるんで、別にいいかなと。OSC であちこち行かせてもらって、そこで若い人とお話。特にこの間なんか、横に居た人は高専生でしたからね。一八歳ですからね。 ──そうですね。そうなんですよ、高校二年生とかだったり。  そうなんですよ。高校二年生の人が右隣にいて、右斜め前に Ruby のまつもとさんがいて。どういう状態や、とか思ってましたけど。みたいなことがあって、楽しいなと思ってますんで。楽しいうちは、そのまま頑張っていきたいと思ってます。  あとは、基本的には、好きな世界が広がればいいなというのはあるので。オープンソースに限らず、プログラムをみんな楽しく使ってもらえるというところが広がれば、非常に嬉しいかなと思ってるんで。そうなるものに何か関われるなら、関わるようにしたいかなと思ってます。  個人的にはゲーム大好きじゃないですか。 ──最初は X68000 ですからね。そうですね、これでプログラムを作ってゲームとかされたりとか。  暴走族みたいに、処理が早いのが好きな、その辺からなんですよね。CPU を遊ばせたくないんですよ。 ──今でもゲームは結構やられてるんで。  そうですね。オンラインのゲームとかやってますよ。 ──いいですね。ありがとうございます。すみません、もうそろそろお時間、一時間ぐらいお話いただいて。すみません、貴重なお話を一時間ありがとうございました。  お役に立っていればいいんですけど。 ──もう、ぜひこういう形でいろんな方に。本当に当時と言いますか、私も UNIX とかを現役で触ってるような方とか、実際どうだったのかって知らなかったっていうところが正直なところで。こういう皆さんの温度感とかをすごく知りたいなっていうところがあったので、すごい貴重なお話をお聞きすることで、すごい嬉しく。ありがとうございます。 ──はい。でもまた、ぜひ OSC の方はかなり、また今年も何回か参加させていただければと思っているので。もしそこでお会いできたりすればということで。  分かりました。 ──はい。すみません、お時間いただきありがとうございました。  来られるんですか、OSC 京都は。 ──ちょうど私、大学の試験がちょうど被ってしまってて。一〇月の東京は行けると思うんですけど。  そうですか。ごめんなさい、東京、私はいないんで。またどうぞよろしくお願いします。 ──ありがとうございました。よろしくお願いします。お時間ありがとうございました。 [語注] PC-1211 シャープが一九八〇年に発売したポケットコンピューター。電卓の形をしていて、BASIC が動いた。 X68000 シャープが一九八七年に発売した個人向けコンピューター。ゲームの表現力で知られた。 Z80、MC6809、MC68000 いずれも当時の CPU。Z80と MC6809は八ビット、MC68000は十六/三十二ビット。 CISC、RISC CPU の設計思想。命令を多く持たせるのが CISC、単純な命令に絞って速度を上げるのが RISC。MIPS 社の R2000・R3000は後者の代表。 Pascal 手続きの構造を明確に書かせる、教育にも用いられたプログラミング言語。 データフロープロセッサー 命令を順に実行するのではなく、データが揃った処理から動かす方式の計算機。 LISP 人工知能の研究で長く使われてきたプログラミング言語。 UUCP 電話回線でデータをバケツリレー式に転送する仕組み。インターネット普及以前の電子メールとニュースを支えた。 ニュースグループ、fj 話題ごとに記事を投稿し合う分散型の掲示板。fj は日本国内向けの一群で、from Japan に由来する。 WIDE 日本の大学や研究機関を結んだ学術ネットワークの研究計画。 NCSA Mosaic 一九九三年に公開された、画像を表示できる初期のウェブブラウザ。 Slackware、Solaris 前者は初期の Linux ディストリビューション、後者はサン・マイクロシステムズの商用 UNIX。 Mozilla、Firefox、Thunderbird ネットスケープの公開されたソースを源流とする、ブラウザとメールソフト、およびその開発団体。 OpenOffice.org、LibreOffice 無償で使えるオフィスソフト。前者から分かれたのが後者。 PostgreSQL オープンソースのデータベース管理システム。 CSIRT、PSIRT 組織の情報セキュリティ事案に対応する専門チーム。製品を対象とするのが PSIRT。 Black Duck ソフトウェアに含まれるオープンソースとそのライセンスを検出する検査サービス。 Ruby のまつもとさん まつもとゆきひろ氏。プログラミング言語 Ruby の作者。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/04/ ======================== OSSの生活史 第一集 第五篇 便利だな。ちょっと寂しいけどね 語り手=橋本和麿 聞き手=大川貴久 2026-08-01 40分47秒 ──みんなに初っ端から聞いてたりするのは、パソコンとかソフトウェアとか、その最初に触った時っていつだったかな、っていうところ。  分かんない、が答えなんだけど。なんか、少なくとも小学校時点ぐらいで触ってたはずです。低学年で触ってても、正直おかしくないと思う。三年ぐらいの時点では親のパソコン、ノートパソコンを触ってた記憶があるので。もっと古いのも多分触ってるはずだから、それぐらいかな。 ──何をやってた、パソコン使って。  パソコンは、そう。みんなパソコンを使っていろいろやってたと思うんですけど。最初にその、明確に覚えているところで。 ──いっちゃん最初は。  いっちゃん最初は、YouTube。  触ってみようとしたけど、その時はさすがに無理で。で、こうやって個別の名前って出していいの。 ──全然大丈夫。  どっから話していいかな。ウディタっていうのがあるんですよ。もっといろいろできるわ、みたいな。ウディタっていうのがあって、それでいろいろ作ったりしてたかな。っていうのが、僕の覚えてる最初。 ──じゃあもう、それをやってたから直接的にプログラミングにつながった。それとも、プログラミングがやりたいから。  どっちって言われると微妙。気づいた時には触ってたけど。プログラミングというか、そういうのを、パソコンでもの作るのが最初は、ウディタじゃないか。ウディタはいろいろ触ってたけど。  一応、Scratch を県文か何かでやってて。県文っていうのは、県文化センターみたいなやつのイベントで、そういうの触ってみようみたいな企画。一回触った気がする。そういうのを知って、っていう流れでやったんじゃなかったかな。  それこそ本当に、小学校の中学年ぐらい。 ──そういうきっかけだったのか。ウディタを触って、プログラミング言語は。  そうね、小学校の高学年か、もしくは中一ぐらいかもしれないので。中一の頃触れたか。それぐらいかな。中一ぐらいの時に C++。なぜか第一言語に C++ を選び、いろいろやって、分からなくて。  でも、どっちも同じぐらいのタイミング。一回挫折して復帰するのに、どっちかだったはずだけど。どっちが先かって言われると、覚えてないけど。でも、どっちも並行してぐらい。その後はどっちもやってたけど。 ──実際それを学んだってことは、やっぱり作りたかったからやったってこと。今までのだと、作りたいから学んでたんだと思ってたんだけど。  その時点では、そんなにだと思う。学ぶって方が。普通に、おもろ、って。  きらめかせながらいじってたかな。途中が楽しかったね。学んだりとか。 ──結構いろいろ幅を広げていってるような気がするんだけど。幅っていうのは言語だったりとかもそうだし、学ぶ範囲もそうだし。それから次のステップっていうところは、きっかけとかは。  でも、それは、なんか、これだとこんなんできるよ、みたいなのを聞いてから、その次だったらどうだろう。Python かな、とかは。Python に関しては、楽だよ、というか、いろいろ使われてるからやった方がいいよ、みたいなのだった気がするけど。C# とかは、僕が入ってたコミュニティが Unity で 3D とかいろいろやるから、おもろいよって言われて。じゃあ C# やるか、みたいな感じで。  やったり。今こうやってるのも、いろんなとこで、こんなんやるのが便利だよ、みたいなのとか、普通にやってって言われたのもあるけどね。勉強してるのかな。  あとは、周りの人がやってるみたいなのを。ウェブ系は、僕は結構、周りの人がやってたから多いかな。Vue.js とかは Misskey とかが採用してたから、Misskey にちょっといろいろやるのに勉強したりしてたし。Next.js は、インターネットの知り合いがそういうサイトを立てたりしてたから。おもろい、こんなんあるんだ、と思って。その人も GitHub にいろいろ上げてた人だったからね。それを読んで、こんなんあるんだ、これってどういう記述してるんだろう、みたいなのをやってたかな。 ──今、結構、言語についてだったけど。今、話の中でもあったけど、結構このソフトウェアというかプロダクトより、作る、学ぶ過程が楽しかった、っていうところで。その次じゃないけど、多分ソフトウェアとか、GitHub とかに興味を持つっていうのは、その直線上にある。なんかきっかけがあった。それとも、何かやってたら。  なんかどうだろうな。正直なところは覚えてない。なんだけど、まあ、割と、その周りの人がやってるのを見ちゃったのか。 ──周りの人っていうのは。どういうところにいたの。コミュニティ。周りの人っていうのを、どこで知り合った。  この辺に関してはマジで、プログラミング関係なくて。ニコ動、いわゆるニコニコ動画の関連のコミュニティみたいなとこで知り合った人が多いかな。 ──そういうコミュニティって、どこにあったの。Discord とか、そういうこと。  Discord もあるけど、最初のそういう人たちの出会いは、割と Twitter だったりとか。  でコミュニティに入って。こういうのなんですけど、その人の Discord サーバーみたいなのに、いろいろやってるとこに入れさせてもらってて、というか、たまたま入って、みたいな感じになって。Discord で、後半 Slack とかやってたけど、今潰れちゃってるけど。みたいなとこで、その人と交流するのもあったし。その人が作ってる拡張機能とか作ってたんだけど、そういうのを議論というか、こんなんやるよ、みたいな。そうやって、せっかくだし手伝おうか、みたいなので。  そこから、手伝うためにちょっと勉強したのがあったりする。GitHub でそれをやってたから、イシューを立てたり、イシューに対して。その時ちょうど僕もいろいろ、ウェブ系の技術を勉強してた時だったから、やってみるかって言って、イシューを拾って PR を投げたり、みたいなとこから始まったから。本当に GitHub とか触ったの、多分その辺なんじゃないかな。 ──それっていつぐらいとか、なんとなく。  でも、中学校の真ん中ぐらいの気がする。本当にその辺のコミュニティに入ってたのはね。そういうのは後半とか、高一とかかもしれない。 ──そっか、ニコ動とかから来るんだ。結構、技術に入って、技術って感じのイメージがあったから。  そうじゃなかったね。たまたまニコ動でやった人が。僕は技術に興味があったから、そういうところでコメントしてみようって気になったのはあるだろうけど。ニコ動で知り合って、結構技術系のところの交流に参加させてもらって、その人がやってるプロジェクトとかにいろいろ貢献するのに GitHub を使い始めて、みたいなのが多い。  別に教えてもらった記憶はないから。 ──じゃあ、それも自分で学んだってこと。  うん。普通に、やってみようってググったら出てくるから。あの時 GitHub の日本語ページ、あんまなかったかな、分かんない。GitHub のマニュアルみたいなのとかを調べて、こうやってやるんだ、ってやってたから。 ──でその人のやつだけじゃなくて、他のをやるようになってたっていうのは、GitHub に入ったから。それとも流れ。  実際そういうので、結構イシューとかもらって PR を立てて、っていう流れも知れたし。やっていいんだ、みたいなのを知ったからね。 ──Misskey とか、そういうとこを選んだきっかけじゃないけど。そういうのは他にもやってると思うんだけど、どういうとこやったりとかしてるのかとか。  普通に身近なのが多い。普段使ってたり、あとは知ってる人がやってたりするとかかな、やっぱり、って感じがするかな。  Misskey とかは、それこそ本当に、それよりはもうちょっと後だけど。Twitter が崩壊するちょっと前ぐらいからだったかな、僕は Misskey は。だからそれぐらいの時から始めて、その時にはそういうのをやるようになってたから。Misskey のソースコードはどうなんだろう、とか。イシューというか、俺がやりたいのに、ちょっとそのソースコードが違くて、みたいな。一般的な実装とはちょっと違うよね、これ、みたいなのがあって、それを直したりしてた、みたいなのがあるかな。 ──割と自分で立ててやる、みたいな感じ。  自分が立てたのぐらいしかやってない。自分が立てたけど、多分デュプリケートだったから、デュプリケート元のやつを直した、みたいな。最初ではないかな。最初ではないけど、主だったって感じ。そういう感じの方が多かった。  別に僕は、その、積極的にコントリビュートする人間では、残念ながらない。 ──他のところとかはどうなんだろう。最初の人から離れてってやっていくのも、やっぱり割とイシューを立てて自分で、っていう感じだった。それとも、立ってたのを取っていく。  あんまり、立ってたのを取っていくは、僕やってない気がする。立てたりとか。自分が困ってるイシュー、すでに立ってたっていうのもあるけど。自分が困ってる内容で、まだ解決されてないのが立ってなければ立てるけど、あるやつだったら、あるやつを解決する、みたいなのが。  完全に自分の域のためにしか動いてないって言われると、そうなんだよ。 ──いやいや、それはそれです。なるほどね。じゃあ結構、使いたいドリブンで動いてる。  使いたいものドリブンっていう感じで、今も割とその感じでやってる。最近は PR を投げる機会が減っちゃったからあれだけど、そんなのが多いかな。 ──そうやって言うと、使えたりするソフトウェアとか触るときに、OSS だったりとか、そういうのを意識したりとかしたことある。Misskey とかも結構そうなの。  まあ、割としてると思う。なんか、意識したい、いつ意識した、とかっておかしい気がするけど。  別に、OSS であることがどうの、っていうのは、多分最初の方は思ってないっていう。純粋に、エラーとか、動かないってなった時に、なんで動かないんだろう、って気になった時。気になるんだよね、僕は。って時に、OSS じゃないとどうしようもないじゃん、っていうと。自分で直せる、みたいな。直せる快感みたいなのもあるし、どこがおかしくてこうなってるんだろう、みたいなのを探求できるものってなると、OSS になってきて。  だから、OSS がどうの、というよりは、そういうことができるから、OSS を好んで使ってるって感じかな。 ──結構その、自分で使うものを選んだりするとか、そういう時に、じゃあもうちゃんと自分でいじれるものを選ぶんだ。  そうね。 ──最近立てたやつはどんなやつ。これはどんな感じなんですか。  これのどれだよ。全部、全部。その各段です。 ──何で立てたのかとかさ。  何で立てたのかとか。あと多分、ついに前から自宅サーバーをやってたから。 ──それこそ自宅サーバーの話を聞き。そうなんだ、いつからやってたの、それって。結構、他の人がやってたっていうこと。  それもやっぱり、きっかけは他の人がやってたっていうのだと。多分、コミュニティ的にはそんなにやってる人はいなかった気がする。技術系の話もちらほら Twitter とかで流れてきてたから、あるのは知ってたけど。コミュニティが、っていうよりは、これも興味だったけど。  YouTube で見たのか Twitter で見たのか分かんないけど。サーバーって自分で立てれるんだよ、みたいな話とかで知って、立てたくなって。立ててみたくなった、が正しいんだけど。その時はもちろん、知識も何もないから。それでずっとやってたけど、ノーパソとかで、使われなくなったノーパソとかで適当に立ててた。そこからずっと続けてた。  あれかな、俺 Misskey 最初かもしれないね。 ──サーバーを立てたのか。なるほどね。それも興味があったから。  Misskey が本当の最初ではないけど。いわゆる LAMP 構成のサーバーは最初に立てたけど。その後にしばらくして、ちょっとしてから Misskey を立てて。そこからずっと Misskey で、今は Mastodon だけど。 ──変えた理由とか。Mastodon に変えた理由とか。結構書いてあったけどな。  これは純粋に、Misskey の思想が合わなかったの。それは若干マイナスの面があるから、言うのもなんだけど。  いろいろな機能が放り込まれていったりする。あるだけいいよね、みたいな思想だと思うんだけど。Misskey は使わない機能が多い。重さは実はあんまり変わらなかったんだけど、普通にいろいろごちゃごちゃしてたりしてて、使わないなみたいなのが多かったから。シンプルな方が触りやすいし、使いやすいし。機能とか変えるにあたっても、探すのは楽だから。っていうので。  Misskey をずっとやってきてて、絵文字とか、Misskey の文化は割と好きだったから。絵文字互換の Mastodon のフォークなのを見つけたから、そっちに移行した、みたいな。Mastodon だけど Misskey と繋がる、みたいな。  もともと、それって両方とも ActivityPub で連合されてるんだけど。絵文字に対応してるか否か、絵文字とかいろいろあるんだけど。Misskey ってもともと、その ActivityPub 関係ない、ただの Misskey ってソフトウェアだったから。 ──そうなんだ。  だから、あれはただの掲示板みたいな感じから始まってる。途中から ActivityPub を喋れるようにしたよ、みたいなもんだから。ActivityPub を思想として作ってるわけじゃない。Mastodon とかは、そういうの結構元から ActivityPub とか、あともう一個前のやつ、何でしたっけね、OStatus みたいなやつがあって。そういうのからずっとやってきてるから。  そういうのに対応しようっていう思想は、やっぱり持ってるっていうのがあって。シンプルでもあるし、そこにフォーカスしてるしね。っていうので、結構 Mastodon の方が僕に向いてるのかなと思って、移行してみたっていうのがあるかな。 ──ねえ、Misskey に入ったとか、そういうところに行ったきっかけを聞いてなかったかも。  Misskey に入ったきっかけは、純粋に、割とコミュニティだね。さっき言ったその、知り合った人が、Twitter が不穏になってきた頃ぐらいから Misskey に移行してサーバーを立ててたし。僕もその流れに一緒に乗ろうと思って立てた、みたいなところがあると思う。 ──結構どうなの、戻ってないし、そういうのがあったりとかしてるような風に僕は見えたんだけど。Twitter とか。別の新しい ActivityPub とか、Bluesky とか、そうなの。ActivityPub じゃないけど、別のものに。  戻っていく人は、主に非技術者だと結構多いんじゃないかなと思う。実際、いろいろとめんどくさい仕組みっていうのは、裏側を知ってないとめんどくさい、みたいなのがあると思うんだよね。そもそも ActivityPub である理由っていうのはないので、彼らにとってはね。帰っていくねとは思う。 ──続けている理由は。ActivityPub だから。  ActivityPub は、自分でいろいろ通信を触れる面白さがあるし。僕の場合は、周りの人が ActivityPub に住んでるので。一時期、僕は Bluesky に移住してたんですけど。だけど ActivityPub の方が知り合いが多いので、ActivityPub に戻るか、みたいな雰囲気で今ある。 ──結構みんなでワイワイする場所を求めてる、っていうことだよね。  正直、ワイワイは今できてないんだけど。知ってる人いるし、ここは眺められるから、これで十分かな、みたいな感じで。 ──結構そうやって、なんかいろいろ行ったりしてると、なんだろうな、課題じゃないけどさ、なんか難しい時とかってなかった。技術的な困難もそうだし、移行するのも今、葛藤があったみたいな話もそうだと思うんですけど。  技術的困難で言うと、そんなに、っていうのもあるかな。常に学び続けてるわけじゃん。だから、それでやっぱり対応できた。新しいのをやるってなったら、ついでにいろいろ知っときたいな、好奇心を満たしときたいな、みたいなのがあるから、調べたりしてるかなと思う。 ──それ関連で知識がどんどん広がって、いろいろやったり。  後ろ側で動いてる AT プロトコルとか、いろいろできそうじゃん、おもれー、っていろいろ勉強してたりしたから。そのせいでいろいろ、AT プロトコルの方ができること自体は、僕的には広そうだな。結局、人がいないから AT プロトコルに戻っちゃってるけど。  AT プロトコルとかは、最初は Bluesky で始まって、アカウントの基盤とかが AT プロトコルに一つあるから、そこにいろんなものを生やせるじゃん、おもろ、って。いくつか僕も生やしてみたりしたんだけど。こんな感じで、おもろ、っていろいろ生やしてたり、触ってみたりしてるって。  例えば最初のサーバーに関しては、僕がいろいろ実験しまくってたり、そもそも冗長構成とか組んでなくて、ストレージが来たんだりとか、あったんだけど。っていうので、ぶち壊しまくってたから。  ディスクの不調っていうものを、僕は知らなかった。なんかエラー出てんな、ってググったら、データベースが壊れてるらしいわ、ゼロで埋めとけばいいらしいわ、ゼロで埋めよう、って。ぶち壊しまくった結果、いろいろ整合性が取れなくなりました。その時はやっぱり、データベースを知らなかった、ちゃんと分かんなかったから。  知らなかったね、あの時はね。その後はやっぱり、ちゃんと勉強した。壊した機会。そのまま突っ込んで壊したとか、変なことしたいとかなっていろいろいじったことはあるけど。データベースが裏でどう動いてるかっていうのは、そんなに知らない。知らなくていいことが多かったから。知ることが必要になったら、その都度も勉強する。それで対応して、それで今まで来てる。  二回ぐらいのサーバーぶち壊しを経て。二回目は、普通に受験でサーバーを閉じた。 ──やっぱり管理し続けなきゃいけない。難しいんだ。  電気代も、使わないから閉じて、知り合いのところに転がり込んだ。ちょうどそれぐらいの時にあれだったから。Misskey にアカウント移行機能が追加されて。投稿とかは移行されないんだけど、移動でリダイレクトしてくれるから。それだけ設定して、そろそろいいだろう、ってぐらいで閉じた。 ──じゃあ今は新しいサーバー、自分のサーバーに移ってやってて。ネット活動、ほら、俺よく知らないからさ。  そういうこと以外には何も起こってない。だから、自分で興味あるものにコントリビュートしてるが、それ以外は特に。そんなんだと思います。それくらい。  多分あのアカウントをこのところにぶって投げても、多分なんで触れって言われるだけ、みたいなのが多いと思う。 ──それ以外のパスとかしてない。それにコントリビュート以外に。  してないと思う。 ──してない。例えば何がある。本当はこういうのに俺が口出しちゃうけど、アドカレとか書いてるやん。  アドカレは書いたけど、あれはなんか正直、書く気なかったかな。だって誰も書かないんだもん。いや、なんかさ、これは、この辺の話をいろいろ聞きたいなとは思っても、場所がないから。しゃーないから作るか、って。場だけ作って置きたかったんだけど、場所を作ったのが、さすがに一個ぐらい投稿しなきゃだよな、って。泣く泣く投稿した。 ──そうなんだ。  そういう主催のもあれば、なんか ActivityPub のアドカレとかに出した。これはいっぱい出したかもしれないけど。そんなもんでないから。 ──記事とか書いてる人じゃないの。  書いてない。そんなに外にアウトプットする気もない。読むためとか言われたら、そうなのかもしれないけど、僕には知らねえって思っちゃった。 ──でも、コントリビュートはするの。  欲しいから。俺が欲しいやつをぶち込んで、早くリリースされねえかな、ってずっと思った。それリリースしてくれたら、あとはもう何でもいいもん。 ──どういう考え方あるよね。アウトプットする気がない。した方がいいって言われてるんだけど。インプットは積極的に。  おもれー、っていろいろやってるかね。最近インプットするあれもなくなってきたけど。理由はね、AI 君のおかげで。というのは AI だから。  AI はやっぱりすごい。すごいって言い方は変かもだけど。 ──感想的にはどうなの、AI って。どういう感じなの。  便利だな。ちょっと寂しいけどね。 ──寂しい。寂しいんだ。それはなんで寂しい。  細かいことを調べる必要がなくなっちゃったかな。ギリギリ、そこに関しては嬉しいが上回ってますけど、やっぱり寂しいものはあります。そういうのを調べる中で、いろいろプラスで知れたようなことみたいなのがある。辞書が電子辞書、インターネットになったように。調べた間にいろいろ他のとか見れたりする、みたいなのが。  僕的にはプログラムのエラー修正とかでもあったんだよ。ググったら別のが出てきて、これじゃないけど、こういうのも起きるんだな、みたいなのが出てきて。いい好奇心みたいなのが満たされてたから。そこの寂しさはあるよ。そういうの、調べることがなくなっちゃったからね。 ──でも AI はどういう使い方をしてるんですか。  それはもう全部、その分かんないとこに対して聞いて。これこうなんだけど、これおかしいよね、って。こんな感じなんじゃないかな、っていうのは。分かってる言語に対して、分かんない部分を聞いてるって感じ。 ──最近のモダンなのって、割と人間というような、要するに、いわゆるバイブコーディングみたいな、人間が言語を理解しなくても書けるみたいな感じの。っていうのも割と出てるけど、そういうのってどう思う。  便利な世の中になったなと思いますけど。少なくともまだ学生なの、僕の場合。エンタープライズとかに関係ないから、責任とかね。だから普通にそれで済んでるかな。正直、なんかいろいろ責任とかそういう話になってくると、アレなのかなと思うけど。僕はまだ移行できてないけど、周りの人は使ってる人がいっぱいいるから。そういうのは便利な時代になったんだなと思って。 ──さっきの寂しさみたいな話は、感じることはないんだろうなと思うとこはあるけど。寂しい。  バイブコーディングが出てきたとしても、やっぱり手で書きたいと思う。そういうわけではない。手でバリバリ書いて、検索はしたい。正直そんなに。寂しいけど、そういうわけではない。  それよりは、さすがにバイブコーディングまでは僕まだいけてないんだけど、AI と一緒に書いた方が、調べたりしてるよりは楽ではあるので。やっぱり AI は全然使ってるよね。 ──便利なんだね。  便利ではあるよね。バイブコーディングまでいけたらね、いいのかもしれないとか、作業効率が上がるんだろうけど。複数窓を開いてさ、バチバチやってる人たちとか、すげーと思うけど。僕の脳みそは処理しきれねえと思う。  僕は普通に、ちまちまと。普通にプログラムを書いていたのを延長線上というか、電子辞書みたいな感じ。 ──そういう感じなんだ。  コード補完とかしてくれるのも、そうじゃないんだよな、みたいなのがやっぱりあるから。そんな感じ。  一個、壁は越せてないから。バイブコーディングまでも。あれば自分的な壁、個人的な壁。バイブコーディングまで全部を任せるぐらいまでは、覚悟はない。覚悟するからいいと思うんだけど。なんとなくやらないんだよ、いまだに。やるなら自分メインで AI。 ──今後、多分これからもプログラミングを続けていくと思うけど。今後そうやってやっていくにつれて、これからもスタンスは変わらない。  それはそうなんだけど。 ──自分的にどうなるんだろうな、って考えたりとか。  大元のスタンスは多分、変わらないと思うんですよ。バイブコーディングとかになっていくっていうのは、多分だんだんとやっていくことになるんじゃないかなとは思うけど。コードを書く目的みたいなところとかっていうのは、変わらないと思う。自分が欲しいから、っていうか。  これまで通り、OSS ないし何でもいいんだけど、触りやすいものを触って、自分が欲しい機能を投げて、取り込まれるようにするっていう。 ──フォークって言うと、自分でホストしたりとかはしないけど。ソフトウェアホストの、要するに自分メインのソフトウェアホストっていうのは、自分がメインの、メンテナーの一番、自分がオーナーのってことですか。  あるけど、多分ほとんど世には出してないと思うんですよ。人のやつをフォークしたやつ以外は、全部プライベートだと思う。それはなんかパブリックで、純粋に。そもそも、そんなにいろんな人に使ってもらおうと思って作ってないっていうのがあるから。自分専用みたいなソフトウェアばっかだから。公開してもいいけど、やっぱりめんどくささはあるよね。 ──めんどくささもある。  めんどくさそうだと思う。自分のためにしか作ってないので。フォークする分には勝手にしろなんですけど、イシューだったりって話もあると思いますし。自分が使えたらいいから、公開する意味ないみたいな。どんどん変わっていってますし。 ──それはじゃあ今から、昔からずっとプライベートでちまちまいろいろ作ったりをやってると。何個ぐらい。何か二つアカウントがあるの。  今だから、自分が使ってる方もやってるし、今の方に繋がってる方もあれば、インターネットの方もあって。最近だから、もっぱらリアルの方のアカウントばっか使ってますよ。なんか、その使い分けとか、ほんまない気がする。緩やかに。  私はその、リアルのアカウントって必要なかったから、完全にインターネット名義の方で全部ホストしてって、リポジトリを作って置いてたけど。最近はもう、何やろとか言われて、パブリックの方じゃない、リアルの方のアカウントを使うことが多くなったから、そっちでもいろいろなんか置くようになっちゃって。でもなんか、そっちに最近の新しいのを置いちゃってる。なんか棲み分けは、自分の名前に紐づいてるか紐づいてないか。使い分けっていうよりは、純粋にどっち、その時によく使ってたか、だと思う。 ──ちなみに何個ぐらいでした。  二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一……二十一。 ──結構ある。めっちゃあるじゃん。それはもう結構、最近も更新してる。続けてやってる。  いや、あのぐらいはもう古いっすよ。 ──意外とパブリックにしてるのが面白い。意外とパブリックにしてる。それはなんか、気持ちが変わったとかではなく。  普通に、置いておくだけ置いておくか、みたいな気持ち。それで誰かが触ることは、別に今のところ気にしてないですよ。 ──僕以外で触られることは。  別に。触られるが何かに。要するに、なんかフォークされたりとか、スターがついたりとか。スターは別に、つけたらいいじゃないですか。フォークする分、スターをつける分には、好きにしろですけど。PR を立てても取り込まないんじゃないかな。 ──いやー、もう今後もずっとそういうのをやっていくと思いますよ。リアルの方も、プログラムの方があって。私のその、学業的に話しちゃったらそう。じゃあスタンスはもう変わんねん。 ──爆破されるんだ。爆破するんだ。変わったらやめるというか、消すということ。  爆破というのは、どこまで行くかは分かんない。気分次第。 ──でもなんか、終わりはそれ。爆破するってことは、終わりは何か締めたいってこと。  いや、別に普通にフェードアウトしてもいいですよ。その活動、配信者でもなんでもないので。私の一般アカウントなんかで。普通に気が向かなくなったら、フェードアウトしてきますよ。そこ、実際見てくれてる人とかいないわけです。見てくれる人はいるかもしれないけど。 ──じゃあスタンス変わらず、ずっとやってきました。  変わらないんじゃないかな。インターネットのアカウントもいろいろね、また久しぶりに動かしていきたいなと思ってんだけどね。 ──なんで。なんで。  あるいは、また知り合いがいろいろやってるのを見たから、って言われたら多分変わんないけど。俺もなんか動くか、久しぶりに、みたいな気持ち。 ──それはもうやっぱり、見てたらやっぱりやりたくなる。  そうね。なんかやってるな、おもろそうだな、なんかやるか、だね。なんかやったら、おもろいんじゃね。 ──じゃあもう、そういう感じでいいのって、よくない。  あんないよ。いいけど。 ──何かそんな感じがいいのか。逆に、話してることとか。  何だろうね。理系の話ばっかしたけど、そうでもないんだよな、というのはある。最近ね、コンピューターよりね、言語やりたいんじゃない。 ──何言って言うと。  なんか、それ理由はない。理由もなくてもんじゃない。コンピューター、普通におもろそうだから。ちょっとおもろそうなんですけど。 ──でも、そういう人いたよ。全然。  面白いの、本しかないんですよ。ここを見るとね(本棚を指す)、マジ、言語の本しかなくてね。C++ の入門から、Codex から、なんか急にロシア語が出てくる。面白い、面白い本なんですよ。  おもろい、ドリブンです。私の人生。いいと思います。 ──そういう感じで今後もやっていかれる。  やっていきますけど。 ──いろいろ入ってる。情報処理安全確保支援士から、数学から。  いろいろやって。これもやっぱり、面白いドリブン。 ──結構、普通におもろそうだったかな。情報処理安全確保支援士は。  おもろそうだったかな、っていうか。やったらいろいろ役に立ちそうだなと思いますし。この辺の資格に関しては、親もやりなよって言ってくれたっていうのもあるから。俺一人だったら、受けに行くまではしてなかったとか。金もないしね。金なくはないけど、そんなに資格自体の興味も、僕自身はないから。  せっかくなら取りなよ、って。応用情報、基本情報もそんな感じだったよ。こんなんあって面白そうなんだよね、って言ったら、せっかくなら取りなよ、って感じで。試験代をくれて、やってきた。 ──そういう、面白そうなんだけど。  だから今、次に興味あるのはネットワークかな。ネットワークスペシャリスト。延期したけどね。 [語注] ウディタ WOLF RPGエディター。SmokingWOLF 氏が公開している、無料のゲーム制作ツール。プログラムを書かなくてもRPGが作れる。 Scratch MITメディアラボが開発した、ブロックを組み合わせて動かす学習用のプログラミング環境。 Unity ゲームエンジン。3Dのゲームなどを作るのに使われる。記述にはC#を用いる。 Next.js JavaScriptでウェブサイトを作るための枠組み。 ニコ動 ニコニコ動画。動画に視聴者のコメントが流れる、日本の動画投稿サイト。 デュプリケート すでに登録されているのと同じ内容のイシュー。重複。 イシュー、PR GitHub上で、不具合や要望を登録するのがイシュー、修正内容を送って取り込みを求めるのがプルリクエスト(PR)。 Misskey しゅいろ氏が開発した、日本発の分散型SNS。誰でも自分のサーバーを立てられる。絵文字の文化で知られる。 Mastodon 同じく分散型のSNS。多数のサーバーが連合して一つの網をなす。 ActivityPub 異なるサーバー同士が投稿をやりとりするための通信規格。MastodonやMisskeyが対応している。 OStatus ActivityPub以前に使われていた、同種の通信規格。 Bluesky、ATプロトコル Twitterから派生したSNSと、その土台となる規格。 LAMP構成 Linux・Apache・MySQL・PHP を組み合わせた、ウェブサーバーの古典的な構成。 Kubernetes 多数のコンテナをまとめて動かし、管理するための基盤。 バイブコーディング 生成AIに任せてコードを書かせる進め方。人が言語の詳細を理解していなくても動くものが作れる。 アドカレ アドベントカレンダー。十二月に日替わりで記事を持ち寄る、技術界隈の恒例企画。 情報処理安全確保支援士 情報セキュリティに関する国家資格。応用情報技術者、基本情報技術者、ネットワークスペシャリストも同じ情報処理技術者試験の区分。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/05/ ======================== OSSの生活史 第一集 第六篇 モチベーションを高く持っちゃうと疲れるんですよ 語り手=宮原徹 聞き手=大川貴久 2026-08-24 63分 ──まず初めに、皆さんに最初にお聞きしているところとして。パソコンとかソフトウェアとかに最初に触った時とかっていうところから。  あ、そうですね。僕は今五四歳なんですけど、コンピューターに触れ始めたのが、多分一〇歳、一一歳ぐらいですかね。一一歳の誕生日に、当時 NEC の PC-6001 という、ですね。当時はまだパソコンじゃなくてマイコンっていう言い方を。マイクロコンピューターと、マイ・コンピューターの両方をかけて、マイコンっていう呼び方をしてたんですけど。  PC-6001 は、どちらかというと、その家庭向けみたいな感じのやつですね。あれが欲しくて買ってもらって、そこから、まあ自分の手元で騒ぎ始めたっていうのが、もともとですね。  で、その後いろいろ変遷があって。大学時は法学部だったんですけど。いろいろレポートというか、文書を書くときに PC-9801 とかを使ったりとかしていて。で、その流れでコンピューター系の仕事をしようということで、日本オラクルっていう会社に入って、というような感じですね。 ──その小学生の頃から、ずっとその PC-6001 あたりからそのまま継続して使われていて、っていうところ。  はい。もちろん途中で少し離れたりとかいうこともあったんですけど。特に大学に入って触るようになった、改めてまた。ですかね。中学、高校の時は、その後、何か買ったりとかはしてなくて。学校にあった、高校にあったやつを触るとか、なんかそういう感じで、少し距離があったんですけど。大学に入って、また改めて触り始めたっていう感じですね。 ──法学部で使用されてるってことは、普通に大学のレポートで使ったりとか、そういうことだったんですか。  そうですね。結局、ワープロ代わりに使うのが当時はやっぱり多かったので。PC-9801 を使って、文章を書いて、印刷して、みたいな。そういう使い方ですね。 ──そこからパソコンに、もう一回興味というか、そういったところが移ってきて。  はい。オープンソースっていう文脈で言うと、その頃に GNU と出会って。コンパイラだったりとか、Emacs みたいなエディタだったりとか。あと、そこからの流れで UNIX 全般に興味を持ち始めて、っていう感じで。そういう意味では、今につながるコンピューターの興味みたいなのは、大学時代に、まあ趣味でコンピューターを触ってたところから来てますね。 ──じゃあもう、大学生の頃からオープンソースに興味があって、っていうところ。  はい。当時はフリーソフトウェア。で、大学時代は九〇年の四月から、九四年の三月までが大学生の期間なので、ちょうどその頃ですね。 ──そこで乗った興味を、そのままお仕事にされていくような形だった。  結局、他に興味があるものがなかったっていうのもあって。どうしようかなと思った時に、コンピューター業界だったら、その興味のまま。あと、まあ昔から触ってるから、改めて勉強する必要があんまりないなってことで、コンピューター業界に行こう、と。 ──結構、分野が大学の時から変わられているのかなっていうような。  よく法学部なのになんで、っていう話は。 ──実際もうお仕事に入られてからも、普通にコンピューターとしてのお仕事というところでも、オープンソースが関わってくる、っていうようなことも。  実際のところ、オラクルって会社なので。今でこそ比較的オープンソースに理解がある会社だけど、当時はそんなにオープンソースっていう感じではなかったので。お仕事的には、あんまり直接オープンソースとは関係なかったんですけど。  ただ、一部、例えば、今はもうほとんど使われなくなっちゃいましたけど、サン・マイクロシステムズの Solaris。あの OS、Solaris なんかは、そのオラクルを動作させるための主要なプラットフォームだったので。なので、そこに、いろいろと GNU のソフトウェアをインストールして使っていたりとか。  あとは、ウェブ関係をやることが多かったので。そうすると、サーバーとして、当時だと NCSA のウェブサーバーですね。で、そこから、Apache になったりとか。いろんな、あと、ネットワークのサービスとかもいろいろ動かすために、個人的に Linux を触ったりとか。そんな感じでこう触り始めてましたし。  あとは、オラクルは六年いたんですけれども。最後の頃は Linux 版のオラクルっていうのを、えー、会社として出すことになったので。そのあたりから、急速にオープンソース関係が仕事に近くなったっていう感じですね。 ──それはもう、会社としての当時の機運だったっていうような感じ。  一番大きいのが、結構、現場でいろいろ話をしていると、Linux 版のオラクルがあると嬉しいっていう声が多かったわけですよね。  あの当時、そのあたりの私がやってた仕事は、どちらかというと、マイクロソフトの Windows のサーバーを使って構築されるお客さんが多かったわけですよ。小規模なので。ただ、Windows のサーバーって、やっぱり不安定で、こうちょっとトラブルが多いっていうのが、OS 側のですね。  で、それに比べると、あの当時、少しずつですけど、やっぱり Linux を使ったサーバーを、ウェブサーバーとかメールサーバー、あと一部データベースサーバーを動かすっていうのは結構出てきていて。特に、予算がないユーザーさん、お客さんなんかは、無料だからってことで、結構現場では使われ始めていて。で、かつ安定してたわけですよね。  そうすると、やっぱりオラクルみたいな、その商業データベースも Linux 上で動くようになってくれたら嬉しいっていう。オラクルは当時、そういうセグメントのプロダクトとしては結構値段を安めに出してたんですよね。だから、あまり高くなかったんで、Linux と組み合わせても、まあ予算に収まるっていうぐらいのコスト感だったから。やっぱり Linux 版が欲しいっていうお客さんが多かったんですよね。じゃあ、やるか、みたいな感じになってやってた、っていうのが当時の状況ですよね。 ──オラクルを辞められたと言いますか、次に移られたのは、何かきっかけがあって。  はい。これがですね、なかなか面白いというか。当時いた、Linux をやっているグループがですね、ディストリビューションを作る子会社を作るっていう風にスピンアウトしたんですね。僕は全くディストリビューション作りに興味なくて。そっちじゃないんだよなってところで。  たまたま、当時手伝っていた会社が、ちょっと上場するので手伝ってほしいっていうふうに言われて。一回ヘッドハンティング的に誘われて、その会社に一年ほどいて。で、いろいろと経験する中で、なんか自分でちゃんと何かやることを決めてやらないとダメなんだな、っていうふうに気づかされて。  で、何をしようかなといった時に、多分、今後 Linux、オープンソース、そして、ネットワークですね。これが広まってくだろうっていうふうに思って。で、えー、二〇〇一年に、えー、株式会社びぎねっとを、えー、設立した、っていう感じです。 ──びぎねっとっていうのは、社名の由来がビギン・ネットワークみたいな感じの名前で、っていうところで。全体的に目指されていたものは、どういうところだったというか。  はい。これはですね、ちょっとですね、これ画面共有してもいいのかな。当時の設立趣意書的なやつが実はあって、ちょっと。 [図版 二〇〇一年三月一日、「びぎねっと社長室」開設。語り手が画面で示した当時の文章。末尾に「自由に、オープンに。そして、合言葉は『幸せになろう』」とある。] ──はい、大丈夫です。  これがびぎねっと社史という。うまく見えてるかな。はい、そうですね。これがですね、一月に会社設立で。で、三月一日から、今で言うブログですね。まだブログという言葉がなかったんですけど、毎日日記を書いていてですね。これが毎日っていうね。コラムだから。ブログっていう言葉がなかったんで、コラムを書きます、っていう感じで。  で、当時はですね、やっぱりコミュニティの主な通信手段はメーリングリストだったんですね。今はもうメーリングリストなんかほとんど使われなくなっちゃってますけど。  ちょっと大きくしようか。これがちょっと調整してます。で、ここをやっぱりですね、この当時の、やっぱりこう、記録を残しておくと大事でですね。  世の中にはまだまだ、Linux やオープンソースの楽しさとか便利さとか、そういったものを知らない人がたくさんいるのではないか。そういう人たちにもっともっと知ってもらうためにきっかけを作ろう。そのためにはどうすればいいかを考えれば、場を作ること。これがびぎねっとの理念であり、使命であると思っています、と。  なので、とりあえず始めちゃったよ、と。なので、びぎねっとは場なので、参加している皆さんが快適に便利に過ごしていただけるようサービスをするのが使命です、と。で、皆さんからご意見ください、と。オープンサービスですから、と。様々なセミナーやコラムで逐一提供していく場にしていこうと思います、という。  これが三月一日の、私が書いてた、当時の空気感みたいなのがすごく出てますね。だから、非常にこう、この時はマイナーだったんですよね。やっぱり誰が作ったものかわからないようなものを、やっぱり業務システムに使うなんていうのは、考えられないっていうのが、もう、ほとんどの人の意見だったわけですよ。  で、それに対して、いや、そうじゃないよね、って思う人たちが、一定数いたわけなんですよね。ただ、感覚的には一割とかですよね。それは、はい、この時が。  で、それがもう今はもう完全にひっくり返って。オープンソースが、まあ多分、三割を超えると、なんていうか、認知されるというか。イメージ的には、今は多分、六割ぐらいの人がもう、オープンソースでもいい、って言ってて。残りの人が、多分、オープンソースかどうかわかってないけど、サポートがあるんだったらいい、責任を誰かが取ってくれるんだったらいい、みたいな人ですかね。そういうイメージですよね。  そういう意味では、非常に、これをちゃんと書いておいてよかったって感じ。  その後、いろいろこうやってきて。例えば、二〇〇一年五月にリーナス・トーバルズにインタビューしてたりとかですね。いろいろやってますね。Linux 十周年だ。ここがちょうどだから、二〇〇一年が Linux 十周年だったんですかね。  いろんなセミナーやったりなんだりしてですね。で、オープンソースカンファレンスが二〇〇四年九月だ。創業して三年。いろいろ試行錯誤していく中で、オープンソースカンファレンスみたいな場を作るのがいいね、っていうことで、はい、やった感じですかね。 ──オラクルのお仕事っていうのは作る側だったと思って、そこから広めていくところに変わられたところっていうのは、きっかけとかっていうのはあったりとか。それとも自然と。  一応オラクル時代にですね、製品開発の部門とかにも行って、プログラミングもしてたんですよ。Java プログラマーで。まだ出てきたばっかりの Java を使ったウェブサーバーのアプリケーションを作るとかやってたんですけど。全然ダメだったんですよね、プログラミング。あんまり得意じゃなくって。  どっちかっていうと、使う方が得意なんですよね。だから、セットアップしたりとか、あと、システム設計したりする方が得意で。だから、あんまりこう、なんかプロダクト側ではなくて。どちらかというと、お客さん側がどう使うかっていうのを、お客さんの立場に立って考えて、で、こういう情報いりますよね、っていうような感じでやってたのは、どちらかというと、製品のマーケティングとか、お客さんの支援だったんですよね。  はい、それもあって、知ってもらうためにイベントに出たりとか、セミナーを開いたりとかっていうのを、すごく頻繁にやってたんですよ。結構そこのあたりは自由にやらせてくれる会社で。自分でやりたいですって言ったら、勝手に会議室を取って、で、告知をかけて、でお客さんを集めてやってもよかったんですよ。あんまり正式なプロセスがなくて。  そういうのを結構繰り返しているうちに。あと、イベントに出てオフ会やって飲み会やったりとか。今だったらごく当たり前ですけど、ビールとピザみたいな、立食形式のワイワイやるようなやつとか。そういうのも先駆けて、オラクルにいるときにやってたりとかで。  あれ、自分、結構こういうの向いてるな、と。その、場を作る、皆さんの世話役みたいな感じで。はい、集まって、って言って、講師を決めて、聴講者を集めて、で、交流させて、みたいな。これをずっとやってたら、意外と向いてるなっていうのがあって。  なんか、技術もわかるけど、どちらかというと、皆さんにその知識、情報を交換する場を作るっていう方向かな、っていうのが。オラクルにいていろいろやってわかったことなんですかね。そっちの方向に、やっぱり後半はシフトしていって。 ──そのままそれを、びぎねっとのお仕事としてやられていた、っていうところで。  はい。やっていったという感じですよね。はい。やっぱり自分でやると限界あるんですよね。  特に、東京一極集中を解消したいっていうのが、ちょっと裏テーマというか、思いがあって。全国を回ってたんですけども、やっぱりね、人は集まんないんですよ。東京は集まるんですけど、それ以外の地域に行くと、やっぱり人を集めるのがすごく大変で。これは厳しいなと。  じゃあどうするか、って。で、いろいろ話を聞くと、情報はすごく欲しい。東京でいろんなイベントやってて羨ましいんだけど、東京に行くのがちょっと大変っていう、みんなが。  あ、そっか。じゃあ、なんか、こっちで、イベントをやって。で、講師の人たちは、出張で、えー、遊びに来てくれるぐらいの感覚で行って。で、うまいもんを食わせに行けば、絶対みんな来るだろう、ね、っていうノリで。じゃあ、ちょっとみんなで行くか、みたいなのをやりたくて。  で、まずは一回、まず東京でコアになるコミュニティとか、協賛してくれる企業さんを集めて OSC を二回やって。で、よし、じゃあ北海道に行くぞ、沖縄に行くぞ、みたいな感じで。二年目は北海道とか沖縄とかにみんなで行って。で、翌日は、じゃあ北海道で、いろんなとこ見に行くぜ、とか。沖縄だと、よし、みんなで車借りて美ら海水族館まで行くぜ、とか。  いう感じで。それ以外のところも、うちに来て、って言われたら、行きまーす、って言って開催して、みんなを引き連れていって。現地の人たちもわーっと集まってもらって、交流会やって、で、遊びに行って、みたいな。特に最初の十年はそういうノリですよね。  みんなで、いわゆる OSC コミュニティが出来上がってきたから、喋れる人、情報発信できる人たちで、わーっと行くぞ、って。今でもそのノリですけど。あっち行ったりこっち行ったりして。情報発信したい人たちは、日程と場所とか諸々を決めてくれてるから、それに乗っかって行くだけでいいみたいな。いうのがメリットですよね。 ──地域っていうと、どれくらいの地域で実際今までやられてたっていうのは。  ちょっと数えてみましょうか。一回しかやってないようなところもあるんですけど。北海道、岩手、福島で宮城、えー、そして千葉、東京、静岡、えー、金沢、石川県か。で、なんかちょっとガーッと飛んじゃうけど、島根。ちょっと戻ってきて、愛知、名古屋、大阪、京都。で、四国は四つですね。で、山口、あ、広島、山口。福岡。一九ぐらい。  今だから、ほぼ毎月だから、単純に言うと年間十か所以上ですかね。ちょっと入ってなかったところがあるかもしれないですけど。 ──もうそこは、とりあえず実際やってみてどうだったかっていうところで、どんどん試されてるってこと。  結局やってみて、成果がそこそこ出たら、来年もやってもいいよね、っていう感じの。基本的に人数はあんまり気にしてないわけですよ。熱量というか、やりたいっていう人。  あ、そういう意味で、鹿児島でやったことあるんですけど、一一人ですからね。今思い出しましたけど。でも別にいいんですよ。で、現地の人が半分、行った人が半分ぐらいでも、実はあんまり気にしていなくって。  なんか、現地にいて、で、東京とかなかなか行けないっていう人たちがいて。で、そういうところにも行ってみたいって人たちが、やっぱりいるわけですよ。で、交流したいっていうのがある限りは、まあどこでも。  ただ今、開催がちょっと多すぎて、小さい開催を差し込めないっていう。そこは現実的な問題なので。そこはやっぱり、OSC とは関係なく、なんか結構細かいテーマで勉強会とかが開かれるようになって、ものすごく増えたので。当時は勉強会っていう概念がなかったので。それに比べると、今はもう勉強会も勝手にやれるので。  そこはもう、なんか OSC の役目としては、もう少し地域として大きめな、メタな交流会をやっといて。あとは細かい勉強会をそれぞれ、えー、日々はやってくださいね、っていう住み分けなのかな、っていうですね。 ──じゃあもう、その OSC が目指してたものが達成されつつある、というか。  一番基盤になるところ。例えば全人口が全国にあるんだとしたら、そこの、さっき三割って言いましたけど、だから三割ぐらい。これでまず抑えられれば。  なんとなく今だから、connpass のイベントのグループだと多分 OSPN が八〇〇〇人ぐらい、YouTube のチャンネルも八〇〇〇人ぐらいなので。母集団としてはかなり、いわゆる一個のトピックで、もっと AI とか言うとものすごく集まるけど。じゃなくて、逆にオープンソースコミュニティみたいな、若干、なんか、マイノリティに近いようなところで八〇〇〇人いるのは、まあそう、なんていうか、ネットワークとしては強力なんじゃないのかな、っていう気がしますね。  ただ、本当はやっぱり一〇〇〇〇人を目指しているので。あと二〇〇〇人ぐらいをどうやって増やそうかな、って。 ──それも最初の頃から結構皆さん集まってくださってた、っていう感じだったんですか。資料とか見ると、結構最初からたくさんいらっしゃるようなイメージだったんですけど。  そうですね。初回から五〇〇人集まってたんで。これも、いきなり五〇〇人の母集団があるわけではなくて。いろんなコミュニティが、それぞれ数十人ずつぐらいのコミュニティだったわけですよ。  で、寄り合いにして、メタに一個にくっついちゃうよ、って。あれですよ、スライムがポコポコくっつくとキングスライムみたいな、いう感じで集まるっていうのが、元々のコンセプトなんですよね。  で、お互いが紹介し合う。そこで、こういう集合ができるじゃないですか。で、和集合。この重なる和集合を、どうたくさん接点を作るかみたいな。そうすると、あ、なんかそんなのもあるんですね、とか、今度一緒に何かやりませんか、とかいうような、その化学反応が起きるわけなんですよね。 ──そういう形でどんどん集まっていったものが、だんだん時間が流れることに増えていく、といいますか。  そうですね。で、こう、初期のメンバーがどんどんおっさんになっていって。でも、ちょこちょことは、若手の子たちが。SecHack とかもそうだけど、常になんか若い人を開拓するプログラムとかも走ってて。そういう人たちが、ちょこちょこ、なんか成果発表で来てくれたりとか。ハードルが低いじゃないですか。絶対発表できるみたいな。 ──確かに、そうですね。  あそこは絶対発表できるから行けば、って言いたいな。査読とか一切ないんで。好きにやったら、っていう。 ──それで言うと、そういうことを意識されて、っていうところが。  そうそうそう。そうすると、査読があるところに次のステップで行きやすいじゃないですか。まずはちょっと練習ってことで。人の前で喋るための準備って何、みたいな。  だから、そこもこちらとしては、本当は人がたくさん集まってくれたら嬉しいけど、そんな集まんないかもしれないけど、気軽に一回やってみてね、予行練習だと思って、ぐらいの感じで入ってきてもらってやりました、と。で、どうだった、みたいな感じで。で、そっから本ちゃん行ってもらいっていう。もっと晴れ舞台というか、人がたくさん集まったりとか、見識のある、格のあるところにチャレンジしてね、っていうような。一番最初の練習台みたいな感じですね。壁打ち役の。 ──じゃあもう、その、いろんな最初のステップに慣れるようなところ、といいます。  とにかく敷居を低く。で、申し込みがあったら全力でなんとかする。ちょっと場合によっては、ベテランの人に、ちょっとちょっと詰めてもらっていいかな、みたいな感じで譲ってもらったりとか。 ──本当に皆さんが参加しやすくするみたいな場所。  もうベテランからすると、新しい人が来てくれた方が嬉しいよね、っていうのがあって。なので、ニュービーな人には、なんていうか、優先権。だから懇親会なんかでも、学生は千円、二千円でいいよっていう風にしたりとか。そういう感じで、若い人、新しい人を優遇するっていうのは常にやってますね。 ──そういった形で二〇年間、もうほぼ二〇年以上続けられてるっていうところで。目的というか、そういうところとか、宮原さん自身が思ってやってることっていうのは、もう変わらず、そのまま広めたいっていうところが。  はい、ですね。OSC の、なんていうか運営って、極力シンプルにしてるんですよね。あんまり余計なことやらない。だから、セミナーと展示と懇親会、だいたいこの三本柱をしっかりとやるだけ、と。  だから、なんか事前の受付とかも、以前はもう少しちゃんとやってたんですけど、めんどくさくなってやめちゃったんですよね。 ──毎回 connpass の画面を見せてくださいますよね。  そう。で、こう、申し込みを入れとくと、だいたいの参加が来そうな人数が。で、よくも悪くも安定してるので。例えば会議室が入りきれないってことはないんですよね。  ただ、やっぱりどうしても濃淡が出るから、狭いところに人がたくさん行っちゃったりとかすると、他の部屋、大きい部屋の人が寂しくなっちゃって。ちょっと寂しかったな、って言われちゃって。そこは調整ができないっていうデメリットぐらいしか、逆になくて。  あとは、立ち見っていうのも、なんか単純に席は空いてんだけど、座りにくいなみたいな感じで、こう立ち見になっちゃったりとかするぐらいだから。それを考えると、あんまりこう、いちいちどれに参加しますみたいなのとか、取ったりとか、誰が来たのかとか、そういうのは一切なしで。気楽に来てね、っていう。 ──ずっと変わらず、変わり続けながら、というところ。  とにかくこの日にこの場所にみんな集まれ、ぐらいのノリが最初からあったんで。来てから考えればいいじゃん、ぐらいの。その場でなんとかすりゃいいよね、っていう。 ──宮原さん自身も、そういうモチベーションは変わらず、そのままずっとやられている。  モチベーションは低いです。だから。 ──そうなんですか。  モチベーションを高く持っちゃうと疲れるんですよ。続かないですよね。だから、最悪、アンカンファレンス状態で。この日にこの場所を取って準備しとくから、みんな来て、で、喋りたいってやつは、さすがにちょっとごちゃごちゃになるとあれだから、先にこうシートに書いといてね、ぐらいの。川越では毎年それでやってる。一番のボトムラインなところで。  なぜか懇親会をやりながらなので、そっちの準備にみんな一番力を注ぐっていう。買い出しどうする、みたいな。そこに力入れすぎっていう。  それが、そのノリなので全然いいんですけど。だから逆に、ほら、それもできなくなっちゃったら、みんな飲み物、食べ物、自分で買って持ってきて、できるわけですよ。いつでも別にやめられるけど、やりたいから、やりたい人がやるみたいな。 ──もう、集まってやるっていうことに、こう。  やるよって言って、適当に飲み物は買っとくけど、飲みたいもの、食いたいもの、自分で持ってきて、とかいうノリでも全然やれちゃうんで。  いう感じで、継続性第一ってなると。モチベーションはあんまり高く持ちすぎると、属人性が発生しちゃうんじゃないですか。その人ができなくなって、モチベーションが下がっちゃったりするから。と、途端に続かなくなっちゃうんですよね。それは、やっぱりそういうイベントをいっぱい見てきたんで。  属人性がなくて、こうやる。とにかく、なんかもう惰性でやってるぐらいでもよくって。今年もまたやることになりました。別にこれ、誰も反対しないんで。またやんの、みたいな。  これ、大変だと、みんながやりたくなくなってくるんですよ。そういうイベントをいっぱい見てきた。もうやりたくないみたいな。もう実行委員は卒業です、みたいな。そういうのは、うちの実行委員にはないんで。はいはい、やりますよ、やりますよ、とか、行きますよ、って言って懇親会だけ顔出すとか。これが続ける秘訣ですね。惰性。 ──モチベーションではなく、やり続けていくことに。  だって、ほら、モチベーションって定量化できないじゃないですか。定量化できないものに頼って何かをやるって、ダメなんですよね。 ──やっぱりそういうところで、オープンソースに対するそういうのを続けていく上で、やっぱり難しいのは、モチベーションとかそういうことじゃなくて、続けていくかっていうところだったり。  だから、例えばリーナスとかって、もう Linux から、ずっとずっとずっとやってるじゃないですか。なんだけど、単純に彼は自分が好きだからやってるっていう。だから高いモチベーションってわけじゃないんですよ。いわゆる義務感とか使命感じゃなくて、面白いからやってると。  僕も OSC は面白いから、全国飛び回りたいからやってる。OSC がなかったら行く理由ないじゃないですか。  今のところ、なんていうか、テーマ別の勉強会とかイベントってあるけど、いろんな人が集まるイベントってないんですよね、OSC 以外に。いわゆる、その総合イベントみたいなものってなくって。で、老若男女、たくさんこう、投網式でバーっと集まれって言って集まるイベントってなくて。  だから、結構大きめのイベントとかって地方でも開催されるようにはなってるんですけど、あるトピックに限定されているから。僕は技術的には、そういったイベントは地方では行われにくいところの技術をやってるから、あんまり行く理由にならないんですよね、残念ながら。  そのー、だから、ちょっと自分が偏った位置にいるからかもしれないんですけど。それだけに OSC って総合イベントとしては、やっぱりいいポジション。この一番、そのピラミッドの一番下のところみたいな。  で、どんどん狭くなるじゃないですか。専門性が上がっていくと、どんどんいろんな細かい山になっていくんだけど。一番下の裾野の部分をカバーしているので、どの山にも行けますみたいな。いう意味では、非常にいいポジションを取ってるなっていう。 ──じゃあもう、そういう土台としての役割を持ちながらやられてらっしゃる。そこまでやられていく上で、今、続けていくことも大切っておっしゃってて。やっぱりそこまでの難しさとかっていうのはあったりとかします。課題じゃないですけど。  難しさを自分から感じることっていうのは、実はあんまりなくて。なぜかというと、さっきも言った通り、極力シンプルに、余計なことやらないっていう。だから、難しいなと思ったらやめちゃうんですよ。やらないこととか。そういう意味では難しさは感じないんですけど。  ただ、あえて言うと。一つは、例えばリーマンショックとか三一一みたいな、大きな社会的な出来事がネガティブに影響すると。やっぱり協賛金が集まらなかったり、参加できないですって話になったり、っていう形で、一番シンプルなところにもろに来るわけですよ。  まあね、協賛金はともかく、出張できませんとか、行けませんっていうのが起きると、やっぱりイベントとして成立しないというか。あと、コロナもそうですよね。そういう、その社会的なインパクトのあるものが直撃すると、さすがに、シンプルに開催しますって言っても、そもそも無理です、ってなって。  だから、コロナはもう大急ぎでオンラインに切り替えて。で、かつ、オンラインなのに、地域性って何だよっていうのはあるけども。そこは多分、なんか全国メタのオンラインっていうところを作っても、多分移行できないと思って。  だから、OSC オンライン名古屋、という感じで。名古屋の人たちに声をかけて、これは名古屋ホストのオンラインイベントだから、名古屋に、今動けないで住んでる人たちが中心になってオンライン OSC をやってください、っていうような、一回、形にしたんですよね。  それによって、なんていうか、地域性っていうのをちょっと。ずっと続くとは思ってなかったんで、二年ぐらいかなと思ったら三年かかっちゃいましたけど。ずっとではないと思って、つなぎのつもりで、ちょっと定例会のホスト役を変えるっていう形を取ったわけです、オンライン時は。  それは、ただ、成功して。三年かかったけど、開けた時にスムーズに、じゃあ各開催を戻していこうね、と。場合によってはオンラインとのハイブリッドっていうのをちょっと組みながらやって。今はほぼ現地のみっていう形で。で、オンラインが逆に、最終的には全国っていう感じで、オンラインを大きく一回やりますっていう形に、着地させられたってことですかね。  だ、ここはうまく僕の、え、期間の読みはちょっと外れたんですけど、意図が当たって。なんか比較的スムーズに続けられて。結構コロナ明けの開催は、みんな、とりあえず、あ、久しぶり、元気だった、っていう挨拶しかしてないみたいな。もうちょい普通の話しろよ、お前ら、っていうぐらい、スムーズに着地できたっていう。 ──じゃあもう、続けていく上でうまく適応していく、じゃないですけど、なんとかしていくっていうのができてるから。  そうなんですよね。全体的に言うと、やっぱり最初の十年かけてコミュニティを作ってきたので。その人たちが、やっぱり自発的に動いてくれる。  で、さっき、なんかモチベーション低くって言ったんですけど。突発的なモチベーションの高さは全然いいと思うんですよ。もう割り切って、一発打ち上げ花火だけど、まあいいよね、その時のノリだし、みたいな。それは許容してるわけなんですよね。だから、突然何かやりたいですって言われたら、やったらいいんじゃない、っていう、別に、っていう。  ただ、それをずっと続けろって言われると結構難しくなるから。もう一個の難しさが、標準化してるんですよ、やってることって。つまり、OSC っていうイベント、あるいはもう少し広い意味で言うと、コミュニティイベントのボトムラインってこんな感じだよね、っていう。いわゆる、プロダクトで言うと MVP な、ところって、まずはこの辺だよね、っていうのを作るってことを心がけてるんですよ。  それに対して、いや、イベントってこうでしょ、っていう意見を。で、それもあなたのイベントだけど、こっちは、必要最低限のイベントっていうのの標準化を事務局はやってるから。それ以上のところは好きにやってくれていいんですよ、っていう。  そこのところが、下まで含めてこう、っていう感じで話をされると、ちょっとそのコンセプトが違うんで。だから、それは別に構わないけど、下の部分はこっちがやっとくから、三割方やっとくから、残りの七割を好きにやってくれればいいし。OSC だけがイベントじゃないんだから、別の日程で自分でやればいいじゃんっていう。で、手伝うし、っていう。  感じなんだけど、なんか OSC にこうしたいっていうモチベーションが強く来られると、ベースラインが崩れちゃうんで、事務局が困るんですよね。だから、基本的にはものすごく数が多いから、各回とも場所が変わるだけっていうレベルで仕事をしたいわけですよね、事務局サイドとしては。  そこは逆に言うと、各地域とか、フルタイムで動いていないコミュニティの人たちにはできないことをやってもらってるわけですよね、お仕事として。だから、横糸と縦糸なわけですよ。この横糸のところに縦の論理をあんまり入れすぎると、横糸が乱れるんですよね。  だから、極力、この時系列で何年も続けてくれている事務局のスタッフには、イレギュラーはあんまり入れたくないんですよ、例外は。だから、場合によっては例外処理は僕が引き受けるんですよ。あ、じゃあそれ、俺がそのタスクは俺がやるから、そこはもう手出さなくていいよ、っていう感じで。そこんところは、すごく難しさですよね。 ──そうですよね。OSC でやりたいことがある人ってたくさんいらっしゃる。  だから、OSC を変えるっていうよりは、OSC にただ乗りしてくれていいから。自分のやりたいことをやってくれたらいいから。  ただ、そこも昔は併催イベントをあんまりやらないようにしてたんですね。イベント内イベントになると、そっちのイベントにずっと入っちゃって、交流してくんないんですよ。それだと下手すると懇親会も別ですとか言われて。結局、会場をシェアしているだけだから、まあ別にいいんだけど、ちょっとなんか OSC の趣旨から外れるかなっていうことが多かったんですけど。  最近は OSC の趣旨をよく理解してくれる人が企画を持ち込んでくれるので。お願いして。例えば、開始の時間はゼロ分から四五分にして、一五分休憩で、行き来できるようにしてくださいとか。懇親会は一緒にやりましょうとか。あと、やっぱり朝から晩までずっと一部屋に閉じこもるみたいなプログラムの組み方は、できればしないでほしいとか。  いう感じで、いくつかのお願いをしたら、ああ、そうだよね、って言って考慮してくれるので。そこのところは、だいぶ、解消されたので。今は、だいぶイベントとしての人数が減ってきているのもあって、余裕があるので。イベント内イベント、ありですよ、と。じゃあ、三個までいいですか、みたいな。三時間とか四時間、午後取ったらいいですよね、と。懇親会は合流ってことで、合同でやりましょう、みたいな。  なんか、そういうのは、だいぶ。それの、やっぱり先駆けが、ODC の中で LL イベントだ。LL も昔は、単独でやってたけど、だいぶ大変になってきたって話もあるし。こちらとしても、ありがたい、コンテンツが欲しいので。じゃあ一緒にやりましょうよ、っていう感じで。ここ、毎年 LL イベントと一緒にやらせてもらってたり、とか。 ──今、人が減ってきたっておっしゃってましたけど、ここは難しさではない。  必然ですよね。だけど、さっきも言ったように、勉強会とかがすごく増えたんで。分散しちゃうんですよね。だから、これ、それ自体はしょうがないかなと。  ただ、人を目標にしちゃうと、結局コンテンツを変えていく形になっていくから。焦点にしている軸をどんどん変えてくってことになって。で、それをやってくれている人たちがいるから、それでいいと。  こっちは、どちらかというと、なんか十年一日のごとく変わらない。オープンソースとか、オープンって何、っていうのを考える。それがいいと思っている人たちが集まれば。で、敷居が低いから、突発的に出てきた若手の子とか、今、突然、急にこれをやってるんですけどね、って人がポンって参加して、ちょっといろいろフィードバックもらって、っていうような感じでやっていける場として。  ただ、そうすると、やっぱり新しさはないから。みんなイベントって目新しさを求めるから。そうすると、やっぱり新しいところにやっぱり行きますよね。イベント参加のチケットって、やっぱり、数が限られてるんで。時間とかの問題が大きいじゃないですか。そうすると、やっぱり、新しい方のイベントに行くとか。  で、そこもちょっと考えていて。やっぱり、各開催のセミナーを今、毎回、二部屋とかを動画に撮ってるんですよね。で、YouTube に今もう千本以上動画がアップされていて。で、さっき言った通り、チャンネル登録者数ももうすぐ一〇〇〇〇人を目指せ、みたいな。  そこのところで、今までだったらセミナーってやりっぱなしだったのを、全部アーカイブして、こう、多少ロングテール戦略というか。後から見てもらう。あと、違うセグメントの人が、あ、こんなのあるんだ、って言って見てくれるみたいな。  そこのところに行くことによって、OSC の、そのリアル参加、リアタイ参加はこの人数だけど、その後アーカイブを見てくれるって形での参加は、え、これだけ見てくれてますよ、と。結構ですね。現地で下手すると数人みたいなセミナーも、かけたら回数が回るわけですよ。  これはありなんじゃないの、逆に、っていう。だから結構、現場では、もう、ライブ収録してるもんだと思ってやってください、っていう。で、録画しているものに関しては。あんまり人数が来てないから寂しいって言い出すと、やるやらないの話になっちゃうから。そうじゃなくって、これ録画はしてますから、後でもう結構二桁、三桁行くんで、ライブ収録だと思って喋ってくださいっていう。  そこは結構、時代の変化ですよね。需要がないわけじゃないんですよ。結構あとで見てくれると。ただ、それを、ほら、目の前で、やっぱり人が少ないとちょっと、あれ、って思っちゃうじゃないですか。不確定要素だから。でも実際には結構見てくれますから、っていう。  そこの積み重ねがだいぶできてきたので。自信を持って、いや、これ、結構見てくれるんで、ちゃんとそのつもりで、この辺に二、三〇人ぐらいいるつもりで喋ってください、っていうお願いをしてます。 ──そこもやはり、時代の流れに合わせて対応していくような感じです。  タイパが要求されるので。YouTube で倍速で。で、資料も当然ダウンロードできて。  変わったっていう意味では、その資料ダウンロードも、昔はあんまり回収とかしてなかったんですけど。資料くださいねっていう感じで、いただくようにしたりとか。あと、レポートもきちんと出すようにしたりとか。アフターケアの部分は、結構適当だったところは、大した手間はかけないレベルで、ちゃんとやるようにはしてますね。  動画の編集、全部私が一人でやってますからね。半日ぐらいかけて。でも、頭とお尻を切るだけなんだよ。あと、たまに見えちゃいけないものが映っちゃったんで、ぼかしてくださいとか言われて、えーと、ぼかしどうやってやったっけ、とか思いながら。  ただ、その程度でね、なん、何十人の人が見てくれるんだったら、全然逆にコストパフォーマンスが高いわけで。これもやっぱり、続けるコツですね。これ、外注してたら、とんでもない金額になっちゃうけど。僕がちょっと業務時間中にちょこちょこっと半日ぐらいやるだけで行けるわけなので。翌週には出てますからね、もう。すぐに出すんで。これ、外注してたら三週間後とかになっちゃう。内製化してるのも強みですよね。 ──オフライン開催っていうと、私の印象としては変わらずやっていくかということだと思って。対応しながらやっていくからこそ続いてるのかな、っていうのは。  そうですね。あり方は、やっぱりちょっとずつは、やっぱり微調整でいったりとかしていかないと、なかなか難しいですね。細かいところではちょこちょこと。こうした方がいいかなって言われたものは、試しにやってみて。ダメいけんじゃねえの、っていう。  なんか、もっと試行錯誤で。さっきの動画なんかも、機材、最初は結構大げさなものを用意したりとかしてたり、ライブ配信とかやってたけど。やっぱり大変なんですよね。大変なやつって、やっぱり続かないから、やっぱりやめようってことで。録画アーカイブで、機材も結構シンプルに、もう撮るだけ。  資料がよく見えなかった時は、すいません、PDF をダウンロードで手元で見ながら見てください、と。で、もうデモとかは壊滅的だけども、これはごめん、っていう。しょうがないよね。本当に聞きたかったら講師の人に聞いてください、って。でも、やってもらって。 ──オープンソース自体が変わってきてるような気はしてるんですけど。オープンソースが変わっていくにつれて、オープンソースカンファレンスも変わっていっている、というような。それとも変わらない、っていうところ。  うーん、根本的なところでは変わらないんですが。やっぱりコンテンツはね、すごく変わりますよね。だ、それも結構、定点観測的に、みんながどういう話をしているのかな、というのをこう見ていると、僕も勉強になるっていうのが、やっぱりあって。  最近だとやっぱり AI の話がすごく多くて。ただ、これも、あんまり最先端を突っ走ってる話ではないんですよね。それがやっぱり、ほどほど感があっていいなと。現実的にこれだよね、っていうところの話をする人がすごく多いんで。あー、なるほど、っていうような。  やっぱり最先端をね、こう追っかけようとすると、それなりに大変なわけですよ。だから、そこをやりたい人は、別にそれをやっているセミナーとかイベントに行けばいいわけなんですけど。OSC ぐらいになると、そこそこ、こう、なんていうか、こうすると便利だよ、とかいうような感じの話をしてくれるので。  あと、やっぱりオープンソースにとっては、その AI が生成したコードのライセンスどうするの、とか。あと、セキュリティの問題ですよね。そういったところに対して AI が入ってきてるっていうような、その現実的な課題とかがあるので。そういった話をすることができる場という意味では、参加者からすると助かってるのかなと。わざわざその新しいセグメントのところに出ていかなくても、自分たちのやっていることに直接的に関わる AI の話っていうのを、こっち側でできるので。  そこのところは、やっぱり OSC があんまりコンテンツに踏み込まないのは。そういう時代の流れみたいなのを自然と、発表したい人が、やっぱりこれが必要だろうと思って、これを話したい、これを言いたいって思って来てくれるので。そこのところは、現在的なテーマを勝手に持ってきてくれるっていう、OSC のスタイルも、メリットなのかなと。かつ、話したいっていう人が来てくれるので。ある、ある、言いたい、みたいな感じの人がいっぱいいるので。 ──今後の OSC っていうのも、このまま変わらないことと言いますか、このまま続けていかれるっていうことを第一に、っていうところですか。  そうですね。結局、すごく悩ましいのが。今のところは、オープンとか、オープンソースとか、オープンみたいなものっていうのが、カテゴリーとして存在しているし、そうではないっていうものとの、二項対立が成立しているから、オープンソースカンファレンスっていう立ち位置が成立してるんだけども。  それがなくなることは多分ないんで。あんまりその、なんていうか、そのコンセプトとして、オープンとクローズっていう二項対立の中で、え、こっちはオープン陣営だぜっていう、色分けみたいなのは、やっぱりないとイベントが成立しないわけなんですよね。だから、そこは、大丈夫といえば大丈夫だけど。  オープンであることが結構当たり前になってきてるから。何を今更オープンソース。あと、オープンソースであることを知らないで、オープンソースを使ってる若者が多いので。そこのところは、若干、イベントの根幹をなす部分に対しての、静かな脅威。  うん。オープンであることが当たり前だったり、オープンであること自体に価値を置けない。だって、オープンですよね、当たり前じゃないですか、っていう。  それは、うん、ちょっと変えていかないといけないのかなとは思い。そうすると、場合によっては、もう少し違うコンセプトで、イベントの看板をかけ直すとか、なんかしないといけないですけど。  だから、オープンであることっていうのをちょっと置いておくとすると。各地域で技術をやっている人たちが集まって情報交換をすれば、っていうのがあって。で、もう少し技術的に大きく包含するような、IT 業界全体を包含するようなコンセプトっていう中で。ただ、どちらかというと現場寄りで、学生さんとか若手の人が参加して面白かったと思えるような位置づけっていう。  そのワクワク感が、オープンソースには最初あったわけですよ。ただ、だいぶ手垢がついちゃった。じゃあ、次、ワクワク、AI。なんか僕らおじさんからすると、AI ってあんまりワクワクはしないんですよね。どちらかというと AI 嫌いみたいな人たちがいたりするのって、ちょっと逆なんですよね。オープンソースの時に比べると。  だけど、AI じゃないんだよなぁ。だから、やっぱりオープンであること、自由であることっていう立ち位置っていうのは、今のところは、その社会全体で見ると、やっぱり、ちょっとね、マイノリティの方がいいんですよ。ちょっと俺、他とは違う感みたいな。  OSC を見ていると、やっぱり若い子と、学生さんとか来ると、ちょっとこの子はきっと学校とかで若干浮いてんだろうな、話が合わないんだろうな、みたいな子が多いわけですよ、やっぱり見てて。でも、来ると、なんか同じ穴のムジナの奴らがいっぱいいるから、居心地いいんですよね。そういう場になっていけてたら、ちょっといいなと思っていて。  だから、どちらかというとマイノリティ寄り。主流よりは若干反主流なところなんだけど、同志がいて、なんか自分たちがやってることに対しての価値を再確認する場みたいな。それが、やっぱり今の OSC の立ち位置なのかな。最初もそうだったし、今でも変わらず、ちょっとはマイノリティ。  逆に、オープンソースって普通になっちゃったから、若干我々戸惑ってるみたいな。え、みんなオープンソースって知らないで使ってんの、みたいな。Android がオープンソースとか、みんな知らないじゃないですか。でも動いてて。それはそれでいいことなんだけど、もうちょっと知ってほしいなぁ、みたいな。 ──それで言うと、オープンソースを広げたいというより、いろんな人に集まってもらうために、オープンソースっていう果たせる節があって、みんなに集まってもらう、みたいな感じになってるかなっていう。  ただ、あんまりオープンソース、オープンソースって厳密に。ハードでもいいし、サービスでもいいし。うーん、ちょっとさすがにそれはね、っていうのはともかく、かすってるぐらいだったらいいね、って感じで集まってもらって。  あと、地域開催においては、地域で活動しているコミュニティだったら、ギリオッケーってことにしているので。なんか、工作してますとか。いいかな、みたいな。コンピューター要素ゼロだよね、みたいな。電子工作だからコンピューターじゃねえじゃん、みたいな。ソフトウェア何もないっすよね、みたいな。いいか、と。 ──そういう、集まってできる場としてやっていきたい。  だったら、いいよっていう。 [語注] マイコン 一九七〇年代後半から八〇年代の個人向け小型計算機の呼び名。マイクロコンピューターと「マイ・コンピューター」を掛けた語。 PC-6001 日本電気が一九八一年に発売した家庭向けのマイコン。 PC-9801 同じく日本電気の個人向けコンピューター。一九八〇年代から九〇年代の国内標準機で、ワープロとしても広く使われた。 GNU リチャード・ストールマンが始めた、自由に使えるソフトウェア群を作る計画。コンパイラやエディタ Emacs などを生んだ。 フリーソフトウェア 「オープンソース」という語が一九九八年に提唱される前から使われていた呼び名。無料という意味ではなく、利用や改変の自由を指す。 Solaris サン・マイクロシステムズの商用 UNIX。 NCSA、Apache 初期のウェブサーバーソフト。NCSA のものを源流として Apache が生まれた。 ディストリビューション Linux の中核に、周辺のソフトをまとめて使える形にした配布物。 リーナス・トーバルズ Linux の作者。 OSC オープンソースカンファレンス。二〇〇四年に第一回が開かれ、全国各地で継続している。入場・参加は無料。 OSPN Open Source People Network。OSC などのイベント運営を全国で支える活動体。 connpass 技術系の勉強会やイベントの告知・参加登録に使われるサイト。 アンカンファレンス あらかじめ発表内容を決めず、集まった人がその場で持ち寄って進める形式。 MVP Minimum Viable Product。必要最低限の形で作り、動かしながら育てるという考え方。 LL、ODC LL は、二〇〇三年に「LL Saturday」として始まったイベント。当初の LL は Lightweight Language の略で、手軽に使えるプログラミング言語を扱っていた。二〇一七年からは「Learn Languages」と名を改め、言語を広く扱う催しとして続いている。ODC は Open Developers Conference。 タイパ タイムパフォーマンス。かけた時間に対する満足の度合い。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/06/ ======================== OSSの生活史 第一集 第九篇 自分がずっとできなくて、でもやりたかったことだったので 語り手=藤田優貴(aruneko) 聞き手=大川貴久 2026-09-02 50分16秒 ──まず皆さんに最初にお聞きしていることとして、初めてパソコンに触ったきっかけとか、その最初の頃の記憶といったところからお聞きしておりまして。藤田さんが初めてパソコンを触った時とかきっかけとかって、何時か覚えてらっしゃいますか。  おそらく、まあ、ちょうど二〇〇〇年頃だったと思うんですけど。父親が持ってた富士通のノートパソコンに Windows 98 が入っていて、それを触って遊んでいたっていうのが本当の始めですね。 ──実際、パソコンで何をされてらっしゃったのですか。  中に入っているゲームとかやってまして。 ──プリインストールされている、あの、ピンボールとか、ああいうやつですね。  そういうやつ。 ──じゃあ、そこでもう、ご家庭にパソコンがあって、そのままずっとそのパソコンは、ゲーム以外にも使われて。  で、そのあとは、父親がまた XP のマシンを買ってきて。それをなんか、まあ一緒に触らせてもらったりとかっていう感じでしたかね。 ──じゃあ、ご自身が主にパソコンとか、そういったものに触るようになったのは、もうそのまま、パソコンを触られてたからそのままきっかけで、っていう感じ。  そうですね。はい。 ──初めてソフトウェアとか、そういったものに興味を持たれたっていうのは、具体的にパソコンを触り続けながらっていうところで、いつだったかとか。  まあ、いろいろあるんですけど。ちょっと SecHack の時にもお話ししたかもしれませんが、二〇〇三年ですね。二〇〇三年に、小学校のパソコンが新調をされたんですけど。それが Windows 2000 と Vine Linux のデュアルブートで、パソコンの授業が行われていたっていうところがあって。まあ、そこが、何て言うんでしょうね、Windows 以外との出会いでした。 ──なかなか自治体で Linux を採用されるってことがなかなか珍しいなと思ってお聞きしてました。  そうなんですよね。あれは一体誰の、どういう判断だったのか、未だに分からないんですけれども。まあ、でも、おかげで今こういう仕事をしているというところもありますね。  で、まあ、その後、当時 Yahoo!ジオシティーズという、無料でホームページを作れるサービスがありまして。あれは多分、小学校何年生だろう。四年生か五年生かな。五年生ぐらいの頃に。まあ、その友達のお父さんが、昔ソフトウェア的な仕事をしていたっていうのがあって、そのお父さんからホームページの作り方を習って、ジオシティーズで作ってみたんだ、みたいなのがあって。で、それに触発されて、自分も HTML とかを書くようになったっていうのが、まあ割と、その、何て言うんですかね、Linux 方面にズブズブ行くきっかけの一つになった、っていう感じではあります。 ──なるほど。実際、当時のホームページはレンタルサーバーみたいなところですかね。  はい。 ──そこから、実際に自分でサーバーを立てたりとか、実際に建てようとかなったっていうのは、どういう感じで。  ああ、どうだったかな。まず、その、静的な(スタティックな)ホームページがあって。で、なんか掲示板を設置しよう、みたいな。  で、FTP を使って、掲示板の Perl スクリプトをアップロードして。で、パーミッションで実行権限とかをつけないと動かないし。あと、なんかデータを保存している、データベースじゃなくて、当時はただのテキストファイルだったんですけれども、それに書き込み権限とかをつけておかないと正しく動かない、みたいなところがあって。で、まあ、なんか、そういうパーミッションっていう仕組みを、そこでまず学んだんですよね。で、まあ、それが今度じゃあ、Apache っていうもので、ホスティングされてるんだ、とか。  で、そのうち WordPress とかも自分でインストールするようになると、MySQL っていうものがあって、ここにデータが保存されてるんだ、みたいな感じで。まあ、そういうものがあるんだって知って。じゃあこれ、なんか自分で動かしてみたら面白いだろうな、っていうのがまああって。その、父からもらったお下がりの XP マシンを土台にして。まあ、当時、Linux のインストーラーが CD に焼いてあるやつが、雑誌の付録として入ってる、みたいなのがありまして。その付録を使って、そのマシンに、Ubuntu の、8.04 ですね。二〇〇八年なので、8.04 をインストールして。で、まあ、自分でそういう環境を作って、あ、手元で WordPress が動いた、みたいなことを始めた、みたいな感じですね。 ──じゃあもう、そこで実際に触られて、実際に立てられるっていうこともやられているんですね。  まあ、外部への公開とかはしてなかったんですけれども、さすがに。 ──じゃあもう、そのまま趣味としてやられていく中で、中学、高校と進まれていく中で、ウェブ以外のところも興味を持って、っていうところで。  ウェブからだんだんインフラ方面に、みたいな感じですね。 ──実際 OSC とか、いろいろイベントとか、そういうところにも行かれてたというふうにあったと思うんですけど、そういったところに行くのも、そういったところがやっぱりきっかけとかだったんですか。  そうですね。で、WordPress 界隈っていうんですか。高校一年生の始めというか、中三の終わり頃に Twitter アカウントを作って、まあ、そういう WordPress 系の人をちらほらフォローするようになったんですけれども。まあ、そういう人達が、オープンソースカンファレンスに行ってきた、みたいなツイートをしてたのを見まして。で、あ、しかもそれが札幌でも開催されている、と。  で、最初に見たのはもう行ってきたっていうツイートで、あ、来年は行こうと。  で、やっぱりまあ北海道の片田舎なので、そういう Linux の話をできる友達とかもいなくて。まあ、インターネットが全てだったので。まあ、そういうところに行って、なんかいっぱい話を聞いてみたいなあと思って、親にお願いして JR の特急を取り、一人で札幌に、みたいな。めちゃめちゃ楽しかったな、っていう思い出があります。 ──そうなんですね。実際、じゃあ、そういったところでイベントとか行かれるようになって、っていうところだったんですね。  これが高校二年生の時ですね。三年生の時からは、もう今年までずっとスタッフで参加してます。 ──毎年じゃあ札幌まで帰られて、ってことで。  はい、そうなります。 ──すごい。やっぱり札幌とかでやってると、SecHack の北海道に住んでる子とかも、やっぱり札幌には行ったみたいな話とかよく聞いたりするので。あと、大神さんとかも、札幌であるからそういうきっかけがあったっていう話とかも伺ったりして。やはりそういう、北海道にあるからこそ行けたっていうのは、大きかったりするんですかね。  そうですね。北海道でも、やっぱり札幌に行くっていうのは結構ハードルの高いことでして。JR の特急も、まあ当時は往復で四〇〇〇円ぐらいしたんですよ。高校生にとっては、やっぱり結構大きい値段じゃないですか。  で、まあ、北海道には、その一般社団法人 LOCAL っていう団体がいて。で、この団体が、そもそも OSC が始まるきっかけになった団体でもあるんですけれども。いつだったっけな、OSC の前身になるような、GODo2004 っていうイベントが札幌で開かれて、それに宮原さんが来ていて。で、自分もこれ、イベントをやりたいって言って、二〇〇五年から OSC を始めて。で、GODo2004 の実行委員会が、その後、母体となって OSC 北海道を独自開催していく、みたいな。その流れで一般社団法人 LOCAL っていうのができるんですけど。  まあ、そこが、やっぱり、結局 OSC って、北海道とはいえ札幌でしかできないので。遠隔地にいる学生さんっていうのは、やっぱり結構、札幌まで来るという負担があるっていうことで、学生交通費支援制度っていうのをやって、まあ、今もやってるんですよ。  で、まあ、これを使うことによって、その金銭的負担がいくらか緩和されて。まあ、その北海道の、札幌より遠いところに住んでいる学生たちも、そういう活動に参加できるチャンスを作ってくれたっていう。これが大きいかなと思います。 ──地域の団体、LOCAL さんとかのサポートがあって、やっぱり活動がいろいろできてきますっていう。そうした中で、LOCAL さんとかにも結構関わってらっしゃって、っていうところがあって。そうしたところで、ここから大学も北海道で過ごされて、っていうところ。専門はソフトウェアとか、そういった形だったり。  一応、情報工学科というところに進学しまして。普通に情報の専門の授業を受けていた、っていうところではあります。 ──実際にそういった中で、勉強されている部分と、趣味の、そのオープンソースと言わずとも、コミュニティとの関わりっていうところがあったと思うんですけど。並行しながらやってるんですけど、同じように一つとしてやってるのか、それともまた別なのか、みたいなところとかで。  なるほど。えっとですね。まあ、やっぱり、その IT 勉強会って、そうは言っても、やっぱり大都会でしか開催されないわけですよ。で、僕はやっぱりそれが一番フラストレーションが溜まっていたところで。で、こんだけ情報の学生さんがいるんだから、まあ地元、室蘭でも勉強会できるんじゃないかと思って。  で、ちょうどその大学一年生の時に OSC に行った時に、ちょうど入れ違いで、卒業した先輩と会ったんですけれども。まあ、自分が現役の時は、セミナーと MIT で、通称 SAMIT(サミット)っていう勉強会をやってたけど、引き継ぐ人がいなくて解散しちゃったんだ、っていう話を聞いて。じゃあ引き継ぎます、と言って。  学内勉強会を SAMIT と題してやるようになったっていうのがありますね。意外とコンスタントに人が来てくれましたし、皆さん、変なことをいっぱい喋ってくれたので、楽しかったなあという思い出があります。 ──ご自身の観点から、そのイベントの参加とかの方も、大学以外のコミュニティとかっていうのも、いろいろやられてらっしゃったりっていうところがあったと思うんですけど。それってどういうきっかけとかだったのですか。  大学のコミュニティは、まあ、そうですね。やっぱり、発表してなんぼと言いますか。まあ、LOCAL 学生部の別の OB の人とかも、すごい活動的に勉強会をされて、今でもされてる人が豊富にいるんですけれど。そういう人の影響も受けて、とりあえず登壇しなさい、と。  「何でもいいからネタを持ち寄って、最悪、主催者しかいなくてもいいから、一人勉強会でもいいから。」、みたいな。いう感じで、なんか我々の世代の中では、そういう勉強会をもうやるっていうのが、もう当たり前の空気だった、っていうところがありましたね。 ──そうした中で、それこそ SecHack に出られてる、セキュリティ・キャンプとかあったりとかっていうのも。そういったところに出られたのも、何か理由があってとか、何か興味。  そうですね。えっと、(セキュリティ・)キャンプに行ったのは、その北海道ミニキャンプっていうのの初回の開催が二〇一四年だったんですけど。まあ、それをやるよ、って教えてくれたのが、まあ、LOCAL の人で。LOCAL でも手伝いをしているし、交通費支援も同じように出すから来てみないか、って言われて、行ってみたっていうところですね。  そこでセキュリティ・キャンプという存在を知って。で、LOCAL には、この学生部っていう部活があって。で、そこで一年上の先輩も、二〇一四年のキャンプの本選の方に行ってたんですよね。で、まあ、なんかヒーヒー言いながら事前課題とかをやってるのを横目に見てたんですけれども。でもすごい楽しそうだなと思い、二〇一五年に応募して、通ったっていうところがあります。  で、SecHack の方は、初回が二〇一七年なんですけれども。これも、SAMIT とか LOCAL 学生部とかで一緒に活動していた後輩が二〇一七年度生をやっていまして。これもやっぱり同じラボで背中合わせにいたんですけれども。まあ、すごい楽しそうに活動しているのを見て。で、その時、僕はもう M1 で、次 M2 だったんで、もう本当にギリギリだったんですけれども。ちょっと一応出してみようかと思って。うっかり通ってしまい、一年間、柏崎先生にみっちり、という感じです。 ──そうすると、その後、大学を出られた後もお仕事としてソフトウェアの方も進めてらっしゃって、かつ、趣味の方でもいろいろやられてらっしゃるっていう二つをやられてたと思うんですけど。お仕事だと、そういうソフトウェア、オープンソースでとかっていうのも関わってらっしゃったりとかっていうのは、ありましたか  えっとですね。その一社目が、まあ、すごいですね、強いオープンソース志向の会社でございまして。もうなくなっちゃったんですけど、Georepublic っていう会社で、Code for Japan の代表の関さんが社長をされていた会社なんですけれども。  そこで、何て言うんでしょうね。会社の成果物を、まあ OSS としても公開しながら、でも、お金をもらって仕事をするみたいなようなことをしてました。 ──なかなか日本で、そういう会社ってあんまり聞いたことがないなっていうふうに。  数少ないですよね。 ──実際、具体的なところとか、言える範囲とかでいいんですけど、どういったものだったか。  Redmine ってご存知ですかね。Redmine のプラグインで、GeoTaskTracker、GTT っていうんですけれども、いうプラグインがありまして。まあ、これを使った製品を作っていた、っていうところですね。  Redmine は、ただのタスク管理ツールではあるんですけど、そこに位置情報を加えることができるっていうものでした。 ──そうしたお仕事でやられているものとは別に、いろいろ続けてらっしゃったと思うんですけど、そっちでのオープンソースとの関わり方とかっていうのは、何かあったりとかしますか。  ああ。まあ、そういう意味で言うと、まず SecHack の成果物が、今 GitHub に上がってます、っていうのが一つですね。それは WebUSB-MyNumberCard っていうもので。 ──具体的にどういうものなのでしょうか。  今もうチャットに貼っちゃいますけれど。(https://github.com/aruneko/WebUSB-MyNumberCard)まあ、Google Chrome には WebUSB っていう謎の API が生えておりまして。JavaScript だけで USB のパケットを読み書きできるんですよね。それを使って、NFC のカードリーダーにパケットを送受信し、NFC のカードリーダーがマイナンバーカードにパケットを送受信し。で、マイナンバーカードの中身を覗いたりとか、API を叩いたりできるっていうようなものを作って。これを OSS として公開してるんですけれども。  何年か前にプルリクをもらったこともありますし。これを使って同人誌を書いて技術書典に出ます、とかっていう人は、あの、こういうのは嬉しかったですね。 ──実際に OSS をやられてて、それを使われてらっしゃるっていうのを。  そうですね。こんなニッチなものを、と思ったんですけど。まあ、やってもらえたのは結構嬉しかった。素直に嬉しかった。 ──個人で開発されている以外とかでも、なんかいろいろやってらっしゃるかなと。  そうですね。えーと、どこだっけな。これだ。これも SecHack の修了生のものなんですけれども。(https://github.com/masahiro331/go-ext4-filesystem)まあ、Go でファイルシステムを解析して、中のファイルを読むことができるっていうライブラリなんですが。これ、ext4 って書いてある通り、ext4 しか対応してなかったんですけれども。まあ、古いもの、2 と 3 にちょっと対応させたくて。対応できるように、そのパーサーを、バイナリを読みながら書いて、ここにプルリクを出して取り込んでもらった、みたいなのになります。  このライブラリが、Trivy って分かりますかね。脆弱性スキャナーなんですけど。これもね、OSS の脆弱性スキャナーなんですけれども。これは福田さんっていう人が作っていて、後にイスラエルの Aqua Security に買収されたっていうものなんですけど。  まあ、この福田さんと、それから、その Go のパーサーを書いている藤村さんと僕は、一緒の職場で働いていたことがあって。キャンプのつながりで招集されて。一緒の職場で働いていたことがあるんで。その働いている時の、二〇一八年のゴールデンウィーク明けとかに、なんか福田さんが作ったとか言って持ってきたのがこれ。まあ、本当に OSS になっていって。  で、その中で、そのディスクを解析して依存関係を持ってきて、脆弱なパッケージを見つけるっていう、まあ、ところがあるんですけど。そこにこのパーサーが使われていて。Trivy を使って、ちょっと古いディスクを解析したかったので、ここにコントリビュートして取り込んでもらって。さらに、この取り込んでもらったものを Trivy に取り込んでもらって、っていう。 ──実際に本当に大きい OSS の一部分を作られてらっしゃったっていうところ。やっぱりそれも、お仕事ではないですけど、お知り合いの方から頼まれて、実際やったっていうところなんですか。  本当はお仕事なんですけど。 ──あ、なるほど。  仕事ではあるんですけど、まあ、でも OSS だし。自分でコントリビューションすれば、まあ、自分以外の人もこの機能を使うことができるし。まあ、Trivy の機能としても大きく拡張されるので。世の中のためになるだろうと思って。 ──実際にそういうお仕事もいろいろやりながら、ご自身のっていうところもありながら、っていうところで、オープンソースにかなり関わってらっしゃって。実際に、そういうコードとかの部分以外で、コミュニティという部分とかでは、その最近、大学を出られてからっていうところではどういったところをやられてらっしゃったんですか。  コミュニティは、まあ、その OSC への参加は続けていましたし。一社目、神戸だったので、例えば北海道じゃない OSC に行ってみようっていうのもあって。関西とか四国での開催とかには行ってみたりしました。  あとは、ちょっと一回しかできてないんですけれども。昔、Elm っていうフロントエンドライブラリが流行っていた時期があって。その Elm の勉強会を主催してみたりとか。あとは、これは去年ですけど、都電 LT っていう謎の企画をやりまして。都電荒川線という路面電車を一両まるまる貸し切り、三駅分という時間で LT をさせるという。 ──なかなかユニークな。  イベントをやったりとかはしましたね。 ──精力的にやられてらっしゃるっていうところが今聞いてて思ったんですけど。こういうところも、そのきっかけっていうか、どういうモチベーションでやってらっしゃるのかっていうのは。  面白そうだから、っていうのが一番ですね。とか、まあ、なんでしょうね。やっぱり一番いいなと思うのは、技術を通じてエンジニア同士が交流できる場があるといいなとは、ずっと思っていて。まあ、それはやっぱり、幼少期、自分がずっとできなくて、でもやりたかったことだったので。 ──じゃあもう、そういった機会とか場を提供していく、ではないですけど、そういったことを今やっていかれている。  やっていきたいなと思いつつ。ちょっと本業が忙しくて、なかなかできないなというのもあります。 ──そうしたところで、コミュニティとしての活動もあって、インターネットでの活動もあると思ってて。そういった活動とかっていうのも、同じようなモチベーション、面白そうだからっていう感じでやってらっしゃるんですか。  記事を書くのは、やっぱり、まあ知見のシェアっていうのが大きいかなあと思っていて。まあ、自分が詰まったところとかは、まあ誰かも詰まるかもしれないし。そういうところが整理されてメモされていると結構助かる、という実体験もあるので。少しでも役に立てればな、っていう形で残したりとか。 ──技術記事、結構私も見たりするので、何かしら書いたものがあるとすごい助かってるっていうのはありますね。  AI 時代、もう AI に聞けばいいや、ってなっちゃうかもしれないですね。 ──それでいうと。 AI とかの方に代わられたりとか、いろいろ。最近ではないんですけど、ここいろいろやられてきて、その課題ではないですけど、続けていく上で、難しかったというか、続けるのに対して、何かしら障害みたいな、難しかったこととかっていうのはあったりしましたか。  ああ、まあ、そうですね。まあ、それこそもう、AI がどんどん賢くなってしまったので。なんか今はなんとかなってますけど、もっと賢くなった時に、コードが書けるっていうことがどれほどの価値があるものなのかな、っていうのは思うところがあるというのと。 OSS に関して言うと、やっぱり、そのライセンスの問題とかも結構あったりして。これで大丈夫なんだっけ、みたいに、ちらっと頭をよぎることはあります。 ──実際、開発されてて、それにどうライセンスをつけたらいいのか、みたいなことですか。  あ、だから、もともと、例えばこれ GPL とかっていうコードがあったときに、AI を使って書いたコードでコントリビューションしてよかったんだっけ、みたいな。 ──なるほど。実際に AI を使用されてて、OSS に関わっていく上でどう関わるか、みたいなところ。  そうですね。 ──AI とかっていうところは、やっぱりそういう関わり方、OSS との関わり方がちょっと難しいっていうところがある。  あと、まあ、そもそも AI、今世間を賑わせている AI は、プロプライエタリな製品なので。まあ、なんか、そういう Linux っていうか GPL 文化圏で育ってきた自分にとって、若干やっぱり、これでいいんだっけ、みたいなことを思うっていうのは、しばしばありますね。 ──それで言うと、やっぱりオープンにあるものがあった方がいい、みたいな認識があるって。  そうです、そうです。 ──AI 以外でも、結構幅広いところで今までやられてきて、そういう感じで、不安とか、そういう何かしら問題かなっていう感じた部分とかっていうのは、ずっと、現在まで至るまでで、何かありましたか。  問題 ──問題というか、ご自身が続けていく上で何かしら。  ああ、どうだろう。なんか、でも、意外とないかもしれない、というか。なんか、コードなら書けばいいかな、っていうと、ちょっとあれなんですけれども。コントリビューションできることがあれば、していこうっていう精神でやってきたので。まあ、なんていうか、まあ、自分のできる範囲で、ちょっと、まあ、背伸びとかはせず、できる範囲で続けていこう、っていうところは、ちょっとモットーにしていたっていう感じですね。 ──それで言うと、コミュニティとかの方でいろいろ活動されているところでも、できる限りのことで。  そうですね。まあ、無理はしない、というところでしょうか。 ──それは大切だと思います。今後、コミュニティとの関わり方っていうのは、このままどういうふうに関わっていくのかっていうのは、何か決まっていたりとかしますか。  やっぱり、技術者同士が交流する場はあってほしいと思ってはいるので。それに関して、なんでしょうね。イベントに参加者として行くでもいいですし。なんか最初の一回は参加者で行ってみようかな、みたいなところで。よかったら二回目以降とかは、もうスタッフになってしまう、みたいな。  勉強会とかイベントって、スタッフで参加した方が圧倒的にお得、お得っていうとあれですけれども、お得だなと思っていて。そういうイベントに、まあ、自分から関わっていきたいって思ってる人たちが、やっぱり周りに集まるので。そうした人の熱気に触れて、それを持ち帰ることができるな、元気になって帰ってこれるな、っていうのもあるし。  なんか、懇親会とかでも、やっぱり、「あ、スタッフの人だ」って言って、みんな話しかけてくれたりとかもするので。それで意外な出会いとか、面白い話が聞けたりするっていうのもあって。なんか、ただ参加者で行くより、スタッフの方が、より、なんか持ち帰れるものが多いんじゃないかな、というところは、何か感覚的に持っているので。今後ともそういうふうに、イベントとかには関わっていければいいなと思ってます。 ──ありがとうございます。お聞きしたいなっていうことは結構お聞きすることができたと思います。何かしら、こういったものに寄せて何かお話ししておきたいこととか、何かありますでしょうか。  あー、なるほど。この前、SecHack でお話を聞いたときに、その OSS への関わり方が分からない人にどうすればいいか、みたいな話をされたと思うんですけれども。僕は、そのコードを書いてコントリビューションするっていうものの他に、OpenStreetMap とかのコントリビューションっていうのをやってたりして。  で、地図のトレースっていうのは割と誰にでもできるし、それがオープンデータになって出てくるっていうところ。結構、学生時代からオープンデータ界隈にも実は所属していまして。コードを書くだけじゃなくって、オープンデータの元になるものを集めてくる、地図に書き起こすとか。まあ、行政に掛け合ってオープンデータを出してもらうとか。  そういう、コードを書かなくても、書けなくてもできるコントリビューションの仕方っていろいろあるなあと思っていて。で、なんでしょうね、神戸時代とかは、オープンデータハッカソンとかもやりましたし。  えーと、幕末京都マッピングパーティーっていうのがあって。まあ、その京都の幕末に実際に起こった現場とかに行って、そこら辺の地図とかに書き起こせるようなものを写真に撮って、公民館、図書館に行くんですよ。で、図書館の司書さんに、それに関する本とかを紹介してもらって、その本をもとに、今度 Wikipedia の記事を書くんですよね。Wikipedia のデータっていうのも、やっぱり一つのオープンデータではあって。  で、そういうところからも、なんか、その貢献ができるっていうことを、その時に改めて理解をしたっていう経験があって。なんか、コードが書けなくっても、そのオープンデータとかオープンソースの界隈っていうのは、いろんなコントリビューションの方法があるので、自分に合った方法をぜひ見つけてほしいなっていう。 ──オープンデータの方もいろいろやられてらっしゃったと。それで言うと Code for Japan さんとかもそうですけど。  そうですね。Code for Muroran の一応、立ち上げメンバー。 ──そうなんですね。実際、それも、もともとお仕事の方からとかだったんですか。  学生だったので。市役所の IT 推進課の人たちが。室蘭市ってすごい、オープンデータに熱心な街だったので、大学に講演とかも来てくれていて。そういうところで知り合って、一緒にやっていこうっていう感じで。 ──それこそオープンデータって、どういった活動をされてらっしゃるんですか。  室蘭にいた頃は、バスの時刻表のフォーマットで GTFS っていうのがあるんですけど、あれの室蘭版を作ろうっていうことでやってたりとか。あと、Code for Sapporo の方と連携して、札幌で作っている、あの、ゴミなし、5374.jp っていうのがあるんですけど。その、どの街に何曜日に何のゴミを回収します、っていうデータを作って入れておくと表示してくれるというウェブアプリがあって。それの室蘭版を作ってメンテナンスしたりとか。  これは僕が神戸に引っ越した後の話ではあるんですけれども。古い社宅を取り壊して住宅地になったんですよ。で、そこに新しい町内会ができますと。で、若い人たちが引っ越してくるから、回覧板、紙の回覧板じゃなくて、これを LINE でやったらいいんじゃない、という話になって。それの実証実験とかっていうのも手伝ったりしてました。 ──いろんなオープンデータの活動としてもいろいろやられてらっしゃった。  ちょっと今は足が遠のいちゃってるんですけれど。という過去がありました、という話です。 ──5374.jp、かなりいろいろなところで、いろんな町の。  バージョンがありますよ。 ──それこそ浜松もありますね。  あります。素晴らしい。皆さんはいいものを作られましたね、本当に。 ──ありがとうございます。なんか、もっと奥深い話をお聞きすることができて、ありがとうございます。  ありがとうございます。 [語注] Vine Linux 日本語環境を重視した国産の Linux ディストリビューション。一九九八年から二〇二一年まで開発された。 Yahoo!ジオシティーズ 無料でホームページを作れたサービス。日本版は一九九七年から二〇一九年まで。 パーミッション ファイルごとに、誰が読み書き実行できるかを決める権限の仕組み。 Apache ウェブサーバーのソフトウェア。一九九五年公開。 WordPress、MySQL 前者はブログや小規模サイトを作るためのソフトウェア、後者はその裏でデータを保存するデータベース。いずれもオープンソース。 Ubuntu 8.04 二〇〇八年四月公開の Ubuntu。当時は雑誌の付録 CD で配られることが多かった。 OSC オープンソースカンファレンス。第六篇の語り手が二〇〇四年に始めた。 一般社団法人 LOCAL 北海道の技術コミュニティを支える団体。学生の交通費を補助する制度を続けている。 セキュリティ・キャンプ 情報処理推進機構などが開く、若手向けの合宿型講習会。 SecHack365 情報通信研究機構が主催する、一年間かけて開発を続ける若手向けプログラム。二〇一七年開始。聞き手も二〇二六年度の受講生。 Code for Japan 市民が技術で地域の課題に取り組む活動を支える一般社団法人。各地に Code for ○○ がある。 Redmine オープンソースのタスク管理ソフトウェア。 WebUSB ウェブページから USB 機器を直接操作するための、ブラウザの機能。 ext2、ext3、ext4 Linux で使われてきたファイルシステムの形式。番号が新しいほど後発。 Trivy コンテナやファイルの中身を調べ、既知の脆弱性を持つソフトウェアを見つけるオープンソースの検査ツール。 Elm ウェブ画面を作るためのプログラミング言語。 LT ライトニングトーク。五分程度の短い発表。 都電 LT 語り手が二〇二五年一月に開いた催し。都電荒川線を一両貸し切り、三駅ぶんの走行時間を持ち時間として発表する。車内では機材が使えないため、印刷した資料と地声で行われた。 GPL GNU General Public License。改変して配布する場合、改変後のソースコードも同じ条件で公開しなければならない。 プロプライエタリ ソースコードが公開されず、提供者が権利を握っている状態。オープンソースの対義語として使われる。 OpenStreetMap 誰でも編集できる世界地図。地図そのものがオープンデータとして公開されている。 GTFS バスや鉄道の時刻表を、機械が読める形で公開するための共通形式。 5374.jp ゴミの収集日を表示するウェブアプリ。二〇一三年に Code for Kanazawa が公開し、各地に移植された。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/09/ ======================== OSSの生活史 第一集 第十篇 面倒くさいことは省いてやりましょう 語り手=羽鳥健太郎 聞き手=大川貴久 2026-09-05 76分07秒 ──まず最初に、皆さんにお聞きしていることなんですけど。最初にパソコンに触った時のきっかけとか、パソコンを触った最初の頃っていうのを、いつだったか覚えてらっしゃいますか。  僕はね、八ビットなんですよ。最初にパソコンというものを触ったのは、八ビットだから、FM-8。富士通の FM-8 っていうのを初めて触りました。その後、パソコンっていうのは、そうですね、PC-98 とか、エプソンの PC-98 の互換機、という時代ですね。いわゆるパソコンというものに触ったのは。 ──おいくつぐらいの時だったりっていうのは。  それはね、二十四か五ですね。 ──じゃあ、もう社会人としてってことですか。  いやいや、僕、社会に出るの遅いんですよ。二十六の時に社会に出たんで。 ──ですと、学生さんの時に初めて触られて。  そうです。そうです。ちょっとプロフィールのほうに書かせていただきましたが、物理学科に入った時に、データを取りまとめるのに最小二乗法を BASIC で作ったっていうのが最初です。  僕が入った頃ってまだ、もちろん八ビットだから、パソコンなんて発展途上で。基本はメインフレームなんですよ。技術計算っていうのは、メインフレームの Fortran という言語でやるっていうのが当たり前の時で。メインフレームと並行してパソコンを使った、って感じですかね。 ──そこで初めて触られたのがきっかけで、そういったところにパソコンとか、そっちのほうを触られるようになったっていうことだったりですか。  仕事で、原子力。原子炉の安全解析をやった時、当然メインフレームでやってるんですけれども、一部のモジュールって、自分の家でも書いて試したいっていう時に、結局、ソフトウェア買わないと何もできない、という状態だったのが、嫌だったなあっていうのは覚えてます。  だから、当時は BASIC で自分で作るか、それとも、なかったらソフトウェアを買うかの選択肢は、二つに一つだったんですよ。あとは先輩から教えてもらうとか、過去の試算を横展開。ソフトウェアの横展開っていうものがないですから。当然、まだインターネットのない時代ですから。  そういうところで、何をやるにもお金が必要なんで。人のソフトウェアがどういうふうに作ってるのかなっていうのを見るっていうのは、なかなか難しかったんですね。  そんな時に、ちょうど。まだ Linux がない時代です。BSD で、大学に入ってるのって結構フリーになってて。フリーソフトウェアはあったのか。リチャード・ストールマンはもう出てきてる頃で。当時だとしたら、海外っていうか、アメリカから CD を取り寄せて、そこでいろいろなソフトウェアを。当時は無料で、CD を買うだけで見ることができるって、いう形で。  当然、仕事は Fortran なんですけど、f2c っていって、Fortran を C に直すっていうツールがあったんですね。それで Fortran をエディターで書いて、それでコンパイルして通して、ああ、ここは動くとか、そういうのをやってました。  で、だんだんそれをやってる時に、自分でも。まだ NetBSD とか FreeBSD が出る前の時代ですね。BSD 4.2 とか BSD/386 とか、そういう時代で構築してて。  一回目の転職をした時に、会社のデータをネットワークで繋げたいっていうんで、じゃあ僕やりますって言って、BSD でネットワークを組んだ。っていうのが、どっぷり使うきっかけでしたね。  その後にバークレーに行った時に、BSD でやってたもんですから、本場の BSD が見れるって言って行ったら。バークレーの中で BSD を使ってる人は誰もいない。 ──そうなんですか。  そうそうそうそう。なぜなら、学生は学割で Solaris を格安で買える。二割か三割で買えるんですよ、当時の価格で。だから、そんな不完全なもの、誰も使わないよって言われて、すごいショックを受けてですね。  で、その時に、Walnut Creek CDROM Shop っていうのが、結構ベイエリアで有名な、CD をいろいろ作って配布しているところで。僕は日本にいる頃から、そこに通販で買ってたりとかしてたんですね。で、そこに行って、本当に BSD ってどうなの、って話したら。そこの社長が、ちょうど、米軍にいた時に横須賀に駐留してたんで、日本から来たのかって、すごく歓待してくれて。  いろいろ話をして。だが BSD って、イケてないよと。ベイエリアでも最近は全然使われてないよね。BSD 関連のソフトウェアとか、CD で作ってても、まあ、ちょぼちょぼだよと。で、あともうちょっとしたら、もっとイケてるのが出るんだって言って。で、まだ発売前なんだけど、せっかく訪ねてきてくれたんだから、これ売ってあげるよって言って。  当時、百。今にして思えばね、結構高いなあと思ったんだけど、百ドルで、Linux の〇・九九だったかな。それを手に入れたんですよ。それがね、ディストリビューションは Yggdrasil っていう、北欧の女神の名前がついたディストリビューションで。結構スクリプトとか組んであって、デモみたいな形になってるんですね。X も当時からありましたから、X が立ち上がって、スクリプトで虎の絵を描いたりとか、そういうやつで。  でもね、最初、戻ってきてから BSD で本格的にネットワーク組もう、っていう話になってたんですけど。その頃は Linux なんて全くネット全然使えないで。とりあえず BSD で組んで、組み終わってから少し経ってから FreeBSD になったのかな。  で、その頃に僕、社会人大学院に行って。その時に、Linux こういうもんだよっていうのを、結構いい先生がその大学院に揃ってたんで、いろんな人にいろいろ教えてもらって。本格的に、さらにズブズブになっていったっていうか。 ──それで言うと、お仕事のほうでやられてた、もともと。  そうそうそうそう。仕事に何とかシステム利用できないかっていうのが、始まりです、僕は。だが、昨日書いてて思ったのは、何かしら、何かで繋がってるなっていう感じは思いました。 ──最初は技術計算のところから、お仕事で原子炉のところでやられていって。それで。  で、それでネットワーク構築が仕事になって。でまだね、10BASE-T っていうか、その、今使われてる、あの電話みたいな端子ではなくて。同軸ケーブルで繋げている頃の世界で。ネットワーク繋がる時に、同軸ケーブルのハンダ付けとか、会社中のありましたもん。 ──本当に、物理から。  そうそう。でまたね、みんな、踏むのはまだいいんだけど、足に引っ掛けて、それが抜けて壊れるんで。もう泣きました。 ──今じゃ考えられないですね。じゃあ、もうそういうレイヤーから、ソフトウェアのところまでやられてらっしゃって。現地に行かれて Linux を知ったっていうところがあったんですね。  そうです。そうです。BSD と Linux、ずっと並行してやってて。えっと、今もそうなんですけれども、小江戸らぐのサイトの OS は FreeBSD です。みんなに、ひねくれものって言われてます。 ──実際 Linux とかに触られるようになって、お仕事もそれで変わられたりとか、それこそコミュニティの活動とかもされるようになっていった。  えっと、Linux をやってたから仕事変わってた、っていうよりも。大学院終わった時に、いろいろお世話になってる大学の先生から、「今の会社にいても君が大学院で学んだものはここでは発揮できないから、転職したほうがいいよ」って言われて。違うとこを紹介してもらって転職した。ところが、GIS の会社だったんですね。地図の会社で。  ところが地図って、実は知財権がガチガチに固められているところで。オープンソースなんて、今でこそオープンソースと組み合わせてうまくやるっていう時代なんですけれども、当時はオープンソースは敵だっていう、マイクロソフトと同じようなところで。そこで、会社とは別に、細々とやってたっていう感じですね。  で、、アメリカから帰ってきた時に、Tokyo Linux Users Group でずっと英語で活動してたんですけれども。やっぱり意思疎通ってうまくいかないよなあ、とか。何ともうちょっと意思疎通ができていいとこないかな、とか思ったら。埼玉西 Linux 研究会って作ります、っていう人がいて。じゃあ僕も参加しますって言って。  で、今でも覚えてるんですけど、最初の待ち合わせは、池袋のビックカメラの前。で、おじさんたちがわらわらと集まってきて、十人ぐらいだったかなあ。  それで、月一回の勉強会をいろいろしていって。徐々に十人が二十人、三十人近く行く時もあったかな、ぐらいになってて。その時って結構、各地域に、ちょうど地域 Linux ユーザーグループっていうのが、千葉にできたりとか、大阪にできたりとか、いろんなところにちょぼちょぼっとできたんですね。  その主催の人が、ちゃんとした組織にしたい、って言って。組織を固めようって言った時に、僕は、そうじゃなくて、本当に知識の勉強の場であればよかったんで。そんなの、ずっと下働きっていうか、面倒くさいこと全部やってたんで。その組織化するっていうのも、また俺のところに降ってくると思ったんで、絶対やだって言って。そんな面倒くさいことやるんだったら、僕はもう辞めるって言って、辞めて。  そしたら、そんな中の何人かが、ハトちゃん、そんなこと言うんだったら自分の楽な方法でやればいいじゃん、って言って。それで、小江戸らぐを作ってみたんです。 ──それで言うと、最初に Tokyo Linux Users Group だったりとか、そういうところに入られてたっていうのは、もともと勉強というか、ご自身の知識を得たりするためっていうところが、やっぱり大きかったってことですか。  そうそう。で、そういうのが、サンフランシスコとか、ベイエリアでは当たり前にあって。そこはね、ネットワークじゃなくて、当時は新聞で募集が出たんですよ。  新聞で、何面にもわたって、こういうユーザーグループを作りました、募集します、っていうのが。それこそね、日本では三行広告みたいな形で出てるわけで。もちろん Windows だけじゃなくて、Mac のこういうことをやりたいとか、Windows のそのネットワークだけをやりたいとか、サウンド関係で何かやりたいとか。そういうのが、うわあって出てて。  僕はそういうので、当然、日本にもそういう文化なかったんで、びっくりして。で、ただ、その前に、日本って、BBS って知ってますか。 ──あ、はい、もちろん。  その、BBS。富士通とか NEC が、BIGLOBE とか。富士通は何て言ったっけ、忘れちゃったなあ。売り渡しちゃったんだもんね。ただ、僕は日経新聞がやってた日経 MIX に入ったんですよ。  MIX ね。日経 MIX。で、これが結構コアなもので。そこで僕は BSD のソフトウェアをもらって、インストールしたの。えっとね、CD じゃなくて、当時はまだ CD もなかったんで、フロッピーディスクを、二十枚ぐらいだったかな。二十枚ぐらいで、宅配便で届くんですよ。 ──へえー。  で、それを使ってインストールして、次の人に渡すんですよ。そう、そういうことをやってたんですね。で、それもあるなあ。 ──そういうのが下地で、そういうところに。  そうそうそうそう。あの、よかったのは、自分の欲求と、当時の文化的素地が、同時に、こう、少しずつ種を撒いて芽が出るっていうのが、同じぐらいの速度で進んでたのが。僕にとっては楽でしたね。 ──じゃあ、もうご自身が関わりやすいように関われてってところがあって。  当然ね、日経 MIX には、その当時の大御所さんっていう方もいっぱいいて。なんですけど。それとね、インターネットは大学にいないともう入れない時代だったの。僕、一番嬉しかったのは、社会人大学院になったらインターネットに入れるっていうのが。 ──そうだったんですね。  うん、そうそう、それ一番嬉しかったですね。ただ、それがさ、結構お粗末で。大学間って、ネットニュースが当時の情報源だったんですけれど。夏休みって、みんなメンテナンスしなくなるから。上流の大学がまずネット落ちるでしょ。データがいっぱい来ちゃって落ちるんですよ。溜まったままで流さないから。  そうすると、上流の大学の人が、そのシステムを直します。直すと、データが次の下流の大学に流れるから、その次が突然データがいっぺんに来て落ちる。って言うんで、一、二ヶ月ね、休みが終わるとね、動かないっていうのが普通でした。おおらかでしょ。 ──そんなことあるんですね。そんなに長い時間落ちてたら大問題です。  そうそう、大問題で。当時は、そのインターネットを使ってる研究室も、今もそれ残ってるんですけれど、徒弟制度なんですよ。それで、大学のシステム、BSD のシステムを身につけていくっていうのが多かったですね。Linux みたいな自由な雰囲気はなかったですね。徒弟制度ですから。 ──確かに、そうですね。っていうところで、大学で学ばれてたのと、また別に、Linux の、実際のオフな場所に行ったりっていうのは、そういうことがきっかけだったりとか。  そうですね。その自由な雰囲気が好きでしたね。怒られないし。ネットニュースなんかでも、日経 MIX なんかでも、書き方で怒られて。何やるんでも怒られるんですよ。それ、嫌でした。何て言うの、お作法がなっていない、と。まあ、当時にしては失礼だったとは思いますけどね。お作法を知らなかったから。 ──なるほど。そういったところで関わっていらっしゃって、結果として新しいらぐを作られるっていうところに至るっていう。  そうそうそうそう。それと同時に、その、GIS の、パスコっていう会社なんですけど。聞いたことあると思いますけど、パンの会社じゃないからね。そのパスコから IPA に出向するんですよ。  で、出向している最中に、日本政府もオープンソースにいろいろやらなければいけないみたいな話が出てきて。その時に、IPA でもやりなさいっていうのが経産省から来た時に。そもそも IPA の人、オープンソースのおの字も知らないですけど。オープンソースって何だ、何だって。そういえば羽鳥が、そんな活動なんかもやってて。僕、言ってたから、ちょっと聞きたいって言って。上のほうの人に呼ばれて。オープンソースソフトウェア事業っていうのを作ってた、って。  あれはね、ウィキペディアにも載ってます。オープンソースソフトウェア事業って。後で見てみてください。 ──実際 IPA がやられてる事業で、いろんな成果物としていろんなものがあって、っていうところですよね。  はい。でも、あれね、いけないのはね。IPA の人がほとんど使わないんだよね。僕は IPA の人こそ Linux 使ってみたいなと思ってたんですけど、上の人には、その意見は極端だっていうふうな話で、怒られましたけどね。  でも僕、今でも、デスクトップ Linux の日本語変換は、その当時作ってくれた uim を使ってます。軽いやつが、uim の、Anthy っていう。使わせていただいてるんで。まあ、メンテナンスは結構遅いですけれども、それなりに、まだ今でも動いてくれるんで、便利に使ってます。軽くて。 ──実際、オープンソースソフトウェア事業としていろいろやられてたっていうのも、ご趣味でやられてるじゃないですけど、そちらもありつつ並行してやられてたってところで。  はい、そうですね。プライベートと仕事が平行で動いてた。で、もちろん、プライベートで会ってる人と、仕事で会う人が同じだったりとかするし。何か委員会立ち上げるんでも、プライベートでいろいろ会ってるから、じゃあ、あの人のつてを辿って、あの人を紹介してもらおうみたいなこともできたし。便利でしたね。 ──それで言うと、いろいろやられていくっていう中で、プライベートだと、それこそ小江戸らぐとかを立ち上げられてっていうところがあって。そういったものを立ち上げられた経緯としては、どういうところだったんですか。  小江戸らぐは、もう、それは本当に、純粋に、勉強会をやって飲みたい。そういう場が欲しい、自由に語れる場が欲しい、って言うんで。ただ、埼玉西 Linux 研究会でやってて、面倒くさかったんで、なるべく面倒くさいことは省いてやりましょう、みたいなことを考えてて。  だから、僕がやるのは、毎月、会議室を確保しますっていうことと、夜の飲み会を決めます。で、募集します。当時はまだ connpass ありませんでしたから、メーリングリスト作って、そのメーリングリストにそれを投げる。で、みんなそのメーリングリストに返して、僕、来ますっていう人はそれ書いていくみたいな。やってて。  で、そういうふうな形で。でも最初はね、四人とか五人っていうのが、半年以上続いたと思いますよ。ただの飲み会じゃんみたいな話。  ただね、今、結構人数減る時もあるんですけれど、そこまでひどく減らないし、二十人ぐらいは毎回来てくれるんで。だから、その時の経験があると、結構強くモチベーションを維持できますね。  やっぱりね、集まる場って、オンラインになったとは言え必要だなって。まあ、結果的にはそんな感じで思いましたね。  で、当時も、ちゃんと勉強会をするっていうところっていうのが、あそこだ、YLUG が。横浜 Linux ユーザーグループというのがあって。これは吉岡さんっていう人がやってたんですけれども。これはもう、プロフェッショナル集団の人たちで、むちゃくちゃ敷居が高いんですよ。ちゃんとしたものを、一回で二題ぐらい。四時間の間に二時間、二時間やるみたいな。結構その、大学の授業っぽくやるみたいな感じで。これは結構しんどい。  だから、もっと緩くやりたい。その、エントリーする人が、初めて来る人が、ビビらないような。気軽に入ってきて、あ、じゃあ、こんなんだったら僕も何か発表してもいいかなっていうような会で勉強会をしたいっていうのが、僕はすごくありました。エントリーレベルのものが結構少なかったんですね、当時は。 ──以前のところとかでも、要するに勉強会の形として、緩いというか、頑張らないというか。そういう形のっていうところでやってらっしゃって、っていう。  そうそうそうそうそう。で、それで、失敗して。成功して、こんなのができるんだぜ、すげえだろ、っていうネタもありますけれども。ここまでできたんだけど動かない、どうしていいの、助けてっていうネタも入って。そうすると、みんながああでもないこうでもないって、自分の経験したことを話してくれたりとか、聞いた話を伝えてくれたりとかするんで。場も盛り上がるんですよね。一方通行にならない。結果論ですけどね、それね。今にして思えばね。  で、それやってて、そしたら、友達の一人が、これ、そのままにしておくのもったいないから本にして作ろうよって言ったのが、LinuxUSER だったんです。  しかも、LinuxUSER って、僕、最初ね、まあ、その頃はもういい大人ですから。コミケって、あの、変な人が集まるところだと思ってたの。まあ、そうなんですけど。  だから、これ本にしてコミケに出そうよって言われた時に、あんなとこ、やだよって言って。ちょうどね、なんか爆発物を置いたとか、そういうニュースが流れてるような頃だったんで、絶対嫌だって言ったんですけど。そういうところもあるけど、絶対誤解だって。あれはあらゆる同人誌の人たちが集まって、俳句集やなんかを出してるおじいちゃんおばあちゃんだっているんだから、って言って。だから絶対そんなことないからって言って。まあ、すごい推してくれてるんで。それでやってみたっていうのが最初。 ──そこから何年ぐらいやられてます。  えっとね、小江戸らぐを作ったのは二〇〇二年なんですけど。初めてコミケに出したのは、二〇〇三年だったかな。 ──もう、じゃあ最初の方から。  でも最初はね、印刷会社に頼むんじゃなくて。あの、キンコーズってコピー屋さんあるじゃないですか。そのキンコーズに原稿を持ってって、コピーしてもらって。コピーを、ロの字に並べて、ぐるぐるぐるぐる回って、真ん中をホッチキスで留めて。帯っていうか、そのホッチキスが取れないように、帯のシールを入れてみたいな。最初そうでしたよ。 ──手作業で実際作られて。  で、結構出ちゃうんですよね。みんな、そういう技術同人誌に飢えてた頃なんで。これは手作り追いつかないって。じゃあ、結構ギャンブルなんですけど、印刷所に一回出してみるって言って、出したら、なんとかうまくいって。  で、当時はまだまだ、僕も勢いがあったんで。その LinuxUSER に、ちゃんとおまけの CD-ROM を焼いて付けて。みんなで、CD-R を焼くシステムを持ってる PC を持ち寄って、みんなで焼いてたんです。焼いてて、一人がプリンターでラベルを印刷して、っていう。そういうことやってました。 ──すごい。  そういうの、集まるの、楽しいじゃないですか。そういうことやってましたね。 ──そういった勉強会なんですけど、形式ばらないようなことをやられてらっしゃってっていうところがあって。そういうところでコミュニティでやられてるところがありつつ、お仕事のほうでもオープンソースってなると、また、ちょっと変わってくるっていうところは、やっぱりあるんですか。  そうですね。仕事は仕事でちゃんと。僕は、その、Linux が普通の仕事の中で、っていうよりも、オープンソースがいろいろなところで入っていかないと。当時は DX なんていう言葉なかったですけども、当時は電子化ですね。電子化が進まないんで。  ちょうど二〇〇〇年過ぎぐらいから、IT バブルが確か弾けるんですよ。で、だから、その IT に対しての神話が崩れて、入れただけだったら何もならない、IT の投資はしない、っていう風潮が激しい。そんな状態。でも、やっぱり電子化、必須じゃないですか。効率の悪い仕事の仕方がいっぱいあって、今以上にね。  で、それで、当時の僕の、一番最初働いてきた思いなんですけれども。試すことさえできない、企業で試すことができないっていうのがあるんだったら、試せるオープンソースをいろいろ用意して使ってもらおう。で、その普及活動っていうのかな、促進活動っていうのは並行して進めてました。  ただね、オープンソースの事業っていうのは、僕、最初、立ち上げからやってましたけれども。中でずっとそればっかりやってたんじゃなくて、やっぱりどんどんどんどん移るんですね。未踏なんかもやりましたし、ソフトウェアエンジニアリングセンターもやったし。それから、民主党政権の頃って仕分けとかあって。その頃は、仕分けにどう対応するかっていう担当にもなったし。  えっと、会社では、本当は僕、オープンソースみたいなのにずっと関わりたかったんですけど、関わらせてもらえませんでした。 ──そうだったんですか。  逆に。そうなんですよ。そこは、辛かったですね。いや、その仕事の辛さを、コミュニティ活動で逃げてたっていうところはあります。月一でね、必ずそのコミュニティ活動はあるんで。 ──どちらも同じ思いなんですけど、っていうところで、コミュニティのほうでやれることっていう形でやってらっしゃる。  で、コミュニティのことで知った知見を、そのオープンソースやってる人たちに、世間ではこうなんだよって言って。あの、IPA はやっぱり役所なんで、そういうことを自ら進んでやるっていう人、ほとんどいないんですよ。だから、そういうことをやってました、僕は。 ──今まで二十年三十年近く、オープンソースにお仕事もコミュニティも含めやられてらっしゃると思うんですけど。どちらの側面でも、そういった活動をずっと続けていくっていうことをやってらっしゃる上で、続けるのが難しくなった時とか、これは課題だっていうのを感じたりとかした時って、何かしらあったりっていうのは。  そう、あの、基本、なんで続けてこられたかっていうのは。それは、楽しかったから。それは明確なんですよ。楽しかったから。  それと、何かをアウトプットを出すっていうのは、結構な喜びなんで。それは、LinuxUSER であったり、日々の発表であったり。イベントドリブンなことがいろいろできるんで、OSC でみんなに会ったりとか。それは楽しいですね。  ただ、やっぱり、辞めたいって思ったことは、なかったって言うと嘘になります。何回かありました。 ──そうなんですね。  やっぱり、コミュニティをやってると、その。僕は、なんか誤解を招く言い方なんですけど、他人に期待しない、っていうのをモットーにしてるんですよ。他人に期待するんだったら、自分に期待してできることやりましょうっていう。  だから、そうなんですけど、ほかの人たちは結構、他人に期待する。他人ってのは僕のことですね。こうしたほうがいいよ、こうすべきだ、なんでこれやらないの、っていう人がすごく多くなって。そこでですね、そうだそうだっていう人もいるわけですよね。エコーチェンバーで。  それがあまりに激しくなってくると。まあ、理想は分かるんですよ。で、それがあなたの理想だっていうのは分かるんだけれども、だったら、それはあなたがやればいいでしょ。じゃあ僕は他のところで自分でやるからいいよって。話になります。それが何回かありました。 ──やっぱりコミュニティとかでやってらっしゃると、そういうところが起きてしまうっていうところがあるってことですかね。  そうですね。これ、きついですね、やっぱり。 ──難しいですよね。組織でやっていくってなると、いわゆる目標という形じゃなく、学んでいくっていうところだと、確かにそういうことが起きてしまうと難しいのかなっていうのは、今聞いてて思いました。  これ、きついですね。なんか嫌なことが走馬灯のように。 ──すいません、なんか嫌なことを出してしまって。っていうのもありつつも、最終的には楽しいというところで乗り越える、ではないですけど。  そうですね。楽しいっていうところが一番でしょうね。 ──そういう活動をするのは、やっぱり人との関わり方というか、関わっていくってところがやっぱりあって。そこがいろいろ、良いところだったり悪いところだったり、変わってくるって感じなんですかね。  そう、それはね、日本だけじゃなくて、ワールドワイドでそれができるっていいと思いますよ。いろいろな文化も違うし、っていうのはやっぱり味わえる。っていうのは、オープンソース活動の醍醐味だと思いますね。 ──それで言うと、私は、こういうオフな活動があると知る前は、本当にコードだけのやり取りなんじゃないかって思ってたりしたんですけど。実際いろいろ話を伺うと、やっぱり人との関わりとか、そういうところが重要なんじゃないかって。  実際にコードを書いてない人も結構多いですし。海外で行くと、アメリカのオープンソース活動っていうのは、もう完全に、マネージングの勉強をするような感じですよね。  僕、あの、結構感動したのは。インドネシアが、まだ全然お金がない頃、二十年ぐらい前に、日本の JICA が、産業が全然、農業以外育っていない、インドネシアのジョグジャカルタっていうところに。Windows を買うお金も満足にないんで、Linux 導入の支援をしたんですよ。これがもう、バカ当たりして、今、ちゃんとソフトウェア産業が育ってるんですね。  これはちょっと調べるとね、ジョグジャカルタ、Linux って出てくるんじゃないのかな。JICA かね。それとね。 ──出てきました。Linux じゃないですけど、一応ありますね。ジョグジャカルタ特別州 ICT 活用教育質向上事業、みたいな形で。  そうそうそうそう。多分これなんだと思うんですよ。でも、これ、今(写真に写っているパソコン)Apple だよね。 ──そうなんですよね、ちょっとパソコンが。でも、ちょっと古いパソコンも使ってるので、それが Linux 入ってるのかなと見ながら思いつつ。  すごいのは、やっぱり、ネット環境さえ改善されると。インドネシアでも、それこそ、世界最貧国の一つのバングラデシュだって、同じ環境で戦えるんですよ。それ、すごいと思いません。あとは、だからその、技術さえあれば。逆に、バングラデシュが一番有利になるわけ。コストが一番安いから。そうすると、貧乏から抜けれるわけじゃないですか。そこにあぐらかいてる、多分先進国、日本も含まれると思いますけど、きついけどね。 ──ワールドワイドでいろんな、活用のしがいがあるというか、オープンソース活動って幅広いっていうところがあるのかって。  そうそう。あの、IPA を職員として退職した後に、二年ほど委員をやらせてもらったんですけど。その時に、結構やっぱり、世界のオープンソースっていうのを調べてほしい、オープンソース政策というものを調べてほしいって、調べてたんですけれども。まあ、オープンソースをうまく自国の情報政策に活用してるんですよね。日本が一番活用してないんじゃないかな。先進国の中でも。  でも、僕、それは逆説的な意味で、これからもっと利用すれば、今の状態から大きく改善できる、っていうことじゃないですか。これをすごい期待してます。 ──近年の潮流、最近の文化とか、最近の流れっていうのをどういうふうに捉えてらっしゃるのかな、っていう。技術であったりとか、オープンソースの流れであったりとか、結構いろいろ変わってきてると思うんですけど。  サーバー環境っていうか、クラウド環境はもう Linux 当たり前なんで。クラウドっていうか、仮想環境っていう形は当たり前。でも、それは一部の人がそう思ってるだけで、多くの一般ピープルとか、サーバーのインフラの人以外は全く知らない。  それをどうするかですよね。意識しないっていうのはすごくいいことなんだけど、意識しなさすぎるだろうと。だって、そもそも日本のあらゆるシステムが Windows と Mac 前提で。Mac もやっぱりそうでもないけど、Mac もなかったり、Windows 前提で作られてますよね。  それはなんか、ちょっとその、デジタル赤字で、デジタル貿易不均衡とか言っているのに、あの、日本政府からしてどうなの、っていう感じは、すごく大いに不満です。むちゃくちゃ不満です。 ──それで言うと、Linux とかがちゃんと使われるっていうところが、やっぱりあってほしいっていう感じですか。  僕が生きている間に、そういうのが徐々に当たり前になるような世界になるといいですね。  この間笑ったのは。Linux ってわけじゃないんですけど、あの、僕が行ってる専門学校が、Google Workspace を導入してて。で、Google Workspace に Classroom っていうアプリケーションがあって、これ全部、その教材から課題、テストまで全部一律管理できるんですよ。  で、この間、その成績表を出してくださいって、Excel が送られてきましたからね。なんでやねんって。そこなんですよ。もう、想像つくに、前からExcel で使ってました。で、Google Workspace を導入しました。ただ、あの、Excel とオフィスがずいぶん安く使えるから。ただ、やり方は変えない。  これが日本の DX の現状ですよ。 ──確かにそうですね。ちぐはぐなところは否めないですよね。  そうそうそう。おかしいと思わないっていうか、多分、忙しさにかこつけてる理由で、変えられないんだと思うんですよね。 ──確かに。それで言うと、私たちも情報学部なんですけど、結構モダンな技術、それこそ AI だったり何とかも、使い方とかも微妙に先生によってブレたりとか。いまだに、Word を使うのかと思いきや Linux 使ったりとか、結構ブレはいっぱいあったりします。  あの、うちのその専門学校でも、AI 禁止っていう人いますからね。いや、じゃあ AI を禁止するんじゃなくて、AI を使ってもいいから、それを鵜呑みに出したやつはぜひ落とすぞっていう話にしないとだめでしょって。社会に出たら AI 使うのも大前提じゃないですか。  そういうふうな環境の中で、じゃあ AI のどういう使い方をしなくちゃいけないのかとか、効率的なことはどうするのか、確認はどうするのか、みたいな話っていうものを教えるべきなのに。コードは手で打たないと覚えない、と。手で打つコードなんて、今、時代、ないない。 ──難しいですよね。私のところも、テストはコード手打ちでやっぱやらないと、っていう人もいれば、もうどんどん使ってやってもいいよっていう人もいるので。特に生成 AI に関しては、考えてらっしゃることがバラバラで、難しいなっていうのは感じます。  僕、全部デジタルで課題なんか出してるんですけど。困るのが、僕が教えたことより高度なコードを書いてきて、しかも動いちゃう。で、分かってるのかなあ、分かってないのかなっていうね。 ──難しいですね。  そうそうそう。それはね、だから、一個だけ答えさせるんじゃなくて、総合的に判断する形にしてますね。  でも結局、僕、今 Linux の授業を教えてるんですけど。Linux なんて、やっぱり僕が接したように、Linux に接することが楽しいって思ってくれれば、僕はゴールだと思ってるんで。そう思ってます。  ただね、最近の学生って、すぐ隠れてサッカーゲームするんですよ。スマホで。まあ、専門学校だからね、余計にね。Linux を楽しむのが授業なんで、サッカーゲームを楽しむのが授業じゃないから、それ違うからねっていう話をして。あとで絶対困るからって言って。そういう話はしてます。 ──それで言うと、やっぱりどういう技術を使っても、結局ちゃんとそういうところに達してくれればいいのかなっていうところが。  あのね、判断する方法と、それから調べる方法。それが身についてくれれば僕はいいと思ってて。ほら、二年前は生成 AI のせの字もなかったわけじゃないですか。一年前の生成 AI の使い方と、今の生成 AI の使い方も全然違うじゃないですか。 ──本当に全然違いますね。  でしょ。だからこれを覚えなさいって言ったら、多分、覚えたのがどんどん陳腐化するだけなんですよ。だから、こういうふうな探し方をしなさいとか、こういうふうにおかしいなと思いなさいとか。そういう、どうしたら、なんて言ったらいいのかなあ。How みたいなとか、Why とか、その辺を思う力。それと、楽しむね。嫌だなと思うと思い浮かばないから。その辺を、その教えてる子たちに学んでほしいなあと思うんですけど。なかなか伝わんないっす。 ──難しいですね。でも、そういうのがやっぱり今の活動の原点ではないですけど。私も結構 Linux を触って、やっぱり楽しかったのがきっかけで、今これも Ubuntu で、っていう感じで。そういうところが、技術であっても、やっぱり必要というか、大切なことなのかなって考えてらっしゃるっていう感じですか。  僕のクラスね、全員留学生なんですよ。で、しかも、やっぱり貧乏な国から来てる人たちが多いんで。君たちがこれを持ち帰って会社を起こして国を大きくしていくんだから、って話をするんだけど。伝わんないっすね、やっぱりね。話、大きすぎて。  でもね、教務の人に聞くと、五年以内にほとんどの人が帰ってしまうんだって。日本にエンジニアとして残る人はほとんどいないって言ってましたね。だから、日本で食えるような力があるんだったら、国に帰って会社を起こすし。日本で太刀打ちできないんだったら、やっぱり日本にいられない。いずれにしろ日本にいなくなるって。エンジニアとしてずっと日本で、っていうのはいないんですねって。いないって言ってました。 ──じゃあ、もう最終的にはみんな帰られるので、帰った後でうまくいってほしいっていうところが。  そう。それだと、日本でその絆っていうのを結んで何とかすると、また違うケミストリーが起こるじゃないですか。それはちょっと楽しみなんですけどね。 ──すごい。じゃあ、すごい壮大なことをやってらっしゃる。  いや、本当そうなるか分からないですよ。 ──じゃあ、もう今後もそういうお仕事としては、そういうこともやりつつ、コミュニティとしても、って感じですかね。  そうですね。やっぱり、あの、もうあと、確実に、あと五十年は生きられないんで。死ぬまでに、こういうことはずっと、ライフワークとして続けられたらいいなあと思ってます。結構だから、安い投資でこういうふうな楽しむことができてるんで、いいと思いますね。 ──じゃあ、もうこういう感じで将来に向けてっていうか、世代に向けてやるって感じですかね。  そうですね。こうやって若い人たちとコミュニケーションも取れるし。こんな幸せなこと、あるのかと思うぐらいですよ。 ──ありがとうございます。皆さんいろいろお話を聞いてて、私が本当にインターネットが出る前のこととかは分からないので、そういうところからどうされてるのかとかっていうのは、聞けて嬉しいなと思ってます。  そうそう。えっと、僕たちが作っている LinuxUSER っていうのは、その昔ソフトバンクが出してた UNIX USER っていう、見たことあるでしょ。A4 の大きさのやつ。であれで、後ろに CD が付いてたでしょう、おまけで。あれのオマージュなんです。 ──そうなんですね。  そうそうそうそう。だから、いつも、あの DVD をおまけに付けますよって言ってて、付かないっていう。 ──いつもここにも「付属するかも」って書いてありますね。  ずっと怒られてるんです、それは。コミケに行くと、やっぱり十人ぐらいに、今回も落ちましたねって。一番最後に作ったのは、やっぱり二〇一五年だったかな。もう二十冊以上落ちてるんで、もうそろそろ本当に作らないと。  あの、作ってもね、今ね、デバイスがないから、みんな読めないのに。 ──そう、ドライブもないんですし。今や ISO も DVD に収まらなくなってきちゃったりとか。  そうそうそう。だから、あの、収まるやつを探して、専用なのを作ろうと思っていろいろやってるんですけれど。で、時々ハードオフに行って、外付けの DVD ドライブがあるとスッと買ってきてしまうっていうね。こういうやつね。 ──いいですね。後ろもすごいですね、いろいろ。それこそ本当に。  あ、そうですね。あの、かみさんに怒られてます。 ──でも私も分かります。ハードオフに行ったら何かしら。今、手元にこれ、DVD ドライブ置いてありました。こんな感じで、僕ももう三つ目とかなんですけど。  楽しいですよね。あの、細いやつも買って。今ね、だから三百円とか五百円で買えるからね。安いですよね。動けばラッキーだもんね。動かなくても、ちょっと分解して磨くと動き出したりとかね。これ、楽しいんですよ。 ──楽しいですね。こういう楽しみもありながら、じゃあ、もうちょっと、次のはぜひ DVD を。  そうそう、そうですね。よろしくお願いします。 ──いただいたやつも、LinuxUSER をもう一回たくさん読ませていただきます。サークルの。  ないのって、何年以降はないとかあるの。 ──多分、いただいたのの一番古いのより前は持ってないですね、私たちも。  一番古いの、どれ。 ──ちょっと今この場にないんですけど。五冊いただいて、六冊目七冊目ぐらい、二、三冊ぐらい前のがあって。多分、二三年ぐらいまではいただいたかなと思ってます。  なるほど、分かりました。じゃあ、ちょっと探してみます。 ──ありがとうございます。サークルのところに置いてあるので、三十人ぐらいいるんですけど、OSC に行く人とか二、三人が、今、楽しく読ませてもらってて。本当にすごい、ありがとうございます。  えっと、願わくば、願わくばですよ。今、東海道らぐって言うんで、名古屋の人と神奈川の人と、それから、静岡の人もいるんですけれども、っていう感じで作ってるんで。その若い人を集めて、例えば静岡大学の人たちが中心になって、静岡らぐっていうのを作って。で、それで、年に二回、コミックマーケットで会って、元気でしたっていう挨拶をするような、ことになれば、僕はとても幸せです。 ──ちょっと今月も小江戸らぐに行きたかったんですけど、ちょうど別の用事がかぶってて。ぜひ来月からちょっと行かせていただきたい。  はい。来月、オンラインですけど。 ──そうなんですね。じゃあちょっとぜひ。っていう感じで、僕たちも一応、実はコミックマーケットに今年出そうかなと思ってまして。サークルがあって、そのサークル自体で出そうっていう話をしてまして。多分、同人ソフトで出されてるところに出そうっていうことで、いろいろやっておりまして。  ぜひぜひ。あ、そうそう。あの、大学で出してる方も何人かいらっしゃいますよね。 ──そうですよね。先輩とかも出されてて、っていうことで、今度サークルで出そうという話になって。なので、もしかするとご一緒するかなと思いつつ。ぜひよろしくお願いします。すいません、ありがとうございます、長い間。お話いただいて、本もいただいて、本当にありがとうございます。  そうですね。楽しみにしてます。はい、ありがとう。よろしくお願いします。 [語注] FM-8 富士通が一九八一年に発売した八ビットのパソコン。 PC-98 日本電気が一九八二年に発売した PC-9801 とその後継機。国内の事実上の標準となり、エプソンが互換機を出していた。 BASIC 初期のパソコンに標準で載っていたプログラミング言語。 メインフレーム 企業や大学が共同で使う大型の計算機。端末から順番に使う。 Fortran 科学技術計算に使われてきたプログラミング言語。一九五七年公開。 BSD カリフォルニア大学バークレー校で作られた UNIX 系の OS。BSD 4.2 は一九八三年、BSD/386 は一九九二年。 f2c FORTRAN で書いたプログラムを C 言語に変換するツール。 リチャード・ストールマン 一九八三年に GNU プロジェクトを始めた人。ソフトウェアを自由に使い、調べ、変えられる状態を守ろうとした。 Solaris サン・マイクロシステムズが売っていた商用の UNIX。 Walnut Creek CDROM 一九九一年設立。フリーソフトウェアを CD-ROM に詰めて売っていたベイエリアの会社。のちに FreeBSD の開発を支えた。 Yggdrasil 一九九二年十二月に最初の版が出た Linux ディストリビューション。バークレーの Adam J. Richter が作り、CD-ROM から直接起動できる最初のものだった。名は北欧神話の世界樹による。 X UNIX 系の OS で画面を描くための仕組み。X Window System。 10BASE-T 電話線に似た端子で、機器を一台ずつ集線装置につなぐ方式。それ以前は一本の同軸ケーブルに機器を数珠つなぎにしており、どこかが抜けると全体が止まった。 パスコ 航空測量と地図の会社。同じ読みの製パン会社とは別。 GIS 地理情報システム。地図の上に情報を重ねて扱う仕組み。 Tokyo Linux Users Group 一九九四年発足。日本にいる英語話者が中心で、集まりも英語で行われた。 BBS 電話回線でつなぐ会員制の掲示板。パソコン通信ともいう。 日経 MIX 日経マグロウヒル(現・日経 BP)が一九八七年九月に始めた BBS。一九九七年十月に終了した。 ネットニュース 大学や研究機関のサーバーが記事を順ぐりに配り合う、掲示板に似た仕組み。 IPA 情報処理推進機構。経済産業省が所管する。 オープンソースソフトウェア事業 IPA が二〇〇三年度から行った「オープンソースソフトウェア活用基盤整備事業」。二〇〇九年の事業仕分け以降、オープンソース関連の事業は行われていない。 未踏 IPA が若手の開発者に開発費を出す制度。年齢の上限を設けた「未踏ユース」があった。 uim、Anthy Linux で日本語を入力するためのソフトウェア。uim が入力の枠組み、Anthy がかな漢字変換を担う。 小江戸らぐ 二〇〇二年八月、語り手が Linux Users のメーリングリストに呼びかけて始まった。川越を中心に、月に一度集まる。 connpass 勉強会の告知と参加登録を行うウェブサービス。 YLUG 横浜 Linux Users Group。カーネル読書会で知られる。 LinuxUSER 小江戸らぐの活動報告集。年二回、コミックマーケットで頒布している。 UNIX USER ソフトバンクが一九九二年に創刊した雑誌。付録の CD-ROM に各種の OS が収められていた。二〇〇五年に『オープンソースマガジン』と改称し、二〇〇七年一月号で休刊。 キンコーズ コピーや製本を扱う店。同人誌の印刷に使われてきた。 ソフトウェアエンジニアリングセンター IPA に置かれていた組織。ソフトウェア開発の手法や品質の研究を行った。 事業仕分け 二〇〇九年、民主党政権下で行われた予算の公開見直し。 JICA 国際協力機構。政府開発援助を実施する。 ジョグジャカルタ特別州 ICT 活用教育質向上事業 聞き手がその場で検索して見つけ、チャットに貼ったもの。語り手が話している支援と同じものかは、この場では確かめられていない。 OSC オープンソースカンファレンス。第六篇の語り手が二〇〇四年に始めた。 東海道らぐ 名古屋・静岡・神奈川の参加者で開いている勉強会。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/10/ ======================== OSSの生活史 第一集 第十一篇 OSS は僕のライフみたいなもんだから 語り手=松澤太郎 聞き手=大川貴久 2026-09-09 49分03秒 ──まず初めに、皆さんにお聞きしていることとして、初めてパソコンとか、そういったものに触れた時っていうお話を聞いてるんですけど。実際に初めてパソコンに触られたきっかけだったり、時期っていうのは、いつ頃か覚えていらっしゃいますか。  本当に触ったのは、友達の家で MSX を触ったっていうのが、小学校の頃にありましたね。すぐ挫折しました。 ──そうなんですか。難しかったってことですか。  行番号の概念が理解できなかった。っていうところから始まっていって。で、中学二年の時の図工の時間のところに、コンピューターで、BASIC を使って何かやるっていう授業があって。それも触って、すぐ挫折しました。 ──そこも、やはり難しいところ・概念とかがあったっていう形でしたか。  行番号という概念が分からなかった。 ──あ、その時もそうだったんですね。  で、高校一年目の数学の授業でもコンピューターのやつがあって、それもやっぱりダメだったんですよね。 ──そこもやっぱり同じく、行番号とかそういったところで。  で、前に送った文章にあるように、おばあちゃんが亡くなった時に『Hello! PC』っていう雑誌を買ってきて。それが Java 特集だったんですよね。  で、その本を見ながら、あ、Java って言語があるんだっていうのとか。あと、PC-UNIX の連載があって。Linux とか BSD とかの連載ですね。それを見て、いわゆるオープンソースの Linux だったりとか BSD だったりとか、そういったものをちょっと興味を持ち始めて。まだその時にはパソコンは買ってなくて。その数ヶ月後にパソコンを購入しました。 ──ご自身のパソコン、っていう形ですか。  そうですね。 ──で、買った書籍を基に実際に。  そう。プログラミングとか、そういうのをやり始めたりとか。あと、友達との情報共有。インターネットにつなげたんで、ネットで情報を調べたりとか。初めて解凍した圧縮形式が RAR ファイルだったとか、そういう状態でしたね。 ──なるほど。そうすると、パソコンをその時点で、実際の日常生活の一部として使いながら、っていった形で。高校生の頃にそういったことを始められて、そのまま大学へ進んでいく際も、そういったことを継続されていらっしゃったんですか。  で、高校生の時に学んだ言語が、Java、Tcl/Tk、アセンブラ、Perl みたいなものを勉強しました。  で、高校の三年生の時に、Mozilla。Netscape Navigator がオープンソース化されるっていうので、その時に OSS という言葉ができた、みたいな。そんな感じです。 ──それで言うと、やっぱりオープンソースって言葉が存在する前、いわゆるフリーソフトって言われる頃から、存在を知っていらっしゃって。  そうそう。 ──そういったところで初めて興味を持たれたのは、Mozilla というか Firefox だったっていうところ。当時の Netscape ですか。  Netscape ですね。 ──そこに興味を持たれたきっかけとかっていうのは、何かしらあったんですか。  やはり、ブラウザという巨大なソースコードを公開するっていうところは、やっぱりでかかったですね。 ──実際に興味を持たれて、どういう行動というか、アクションを起こされたんですか。  大学時代に、ソースコードをダウンロードしてきて、自分でビルドして動かすっていうことは、よくやってました。 ──個人的にオープンソースと呼ばれるものを、実際にご自身で試されてやっていくってことをやられていらっしゃった。そういったことをされていく中で、大学でも、そういった形と関連のある勉強を。  大学は、情報科学科っていうのが当時あって。東京電機大学に、そういう学科があって。そこでプログラミングとかの勉強をしてました。その時は C とかがメインだったんですけど、僕は Scheme っていう Lisp の方言のものを使ってコーディングしてたので。学校の先生が分からないから、単位だけくれるっていう謎の状態になってました。 ──先生も分からないようなものを使ってやられてらっしゃった。そういうことをやってらっしゃるなかで、ご自身の趣味として、オープンソースなりそういうものを実際試されているというのを並行されて。  例えば Linux 上で、コンパイラーを五十個ぐらい動かしながら、ブラウザーもウィンドウが百個ぐらい動いている状態で、CD-R が焼けるかどうか、みたいなベンチマークをしたりとか。 ──すごいですね。当時のパソコンだと、かなり厳しいような気がしますけど。  Linux だったらサクサクいけるんですよ。Windows だと、全てのアプリケーションを落としてからじゃないと、CD-R を焼かないとこけるんですよね。それぐらい Linux っていうのは安定してました。 ──Linux を使っていろいろやってらっしゃって。それも大学を卒業されてからも続けていらっしゃった。それこそ、お仕事とはまた別に、っていう感じですか。  そうですね。仕事とは別にいろんなことはやってましたけど、別に、趣味でやってたことが仕事になったりとかするケースはありましたね。 ──仕事はどういった形のことをやられてらっしゃるんですか。  一番最初に、プログラミングとしてアルバイトで入ったのが、杉並区の GIS システムの開発責任者にならされた事件があって。GIS っていう、オープンソースじゃないものを使ってたんですけど、Visual Basic で地理空間情報システムっていうのを作ってて。  この時に、地理空間情報システムが面白いから、数年後にはこの業界に戻ってこようかなと思ってたんですね。条件としては、オープンソースの実装がある程度普及してるっていうところまで待ちたかったって感じです。 ──これはどうして、っていうのがあったりするんですか。  どうしてっていうか、GIS っていう概念が。地図データって平面じゃないですか。そこにポイントが立つと、三次元的にデータが見えるんですよね。それが楽しかったっていうのがあります。 ──なので、オープンソースになって触れるようになってから、っていうような認識で。  そうですね。オープンソースのライブラリですとか GIS とかが普及し始めてから、もう一度戻ろうっていう感じでやっていて。結局その後、六、七年ぐらい別の会社。七、八年ぐらい別の会社で働いてます。 ──ご自身で趣味として GIS の方もやられてらっしゃった、その間は。  趣味の方ではやれてなくて。仕事が忙しくて、仕事ばっかりやってましたね。 ──大変だったんですね。  時給千円で、月給四十万とか出ましたから。 ──大変ですね。実際に戻られるまでは、趣味はちょっと難しかったっていうようなところがあって。戻られてから、そういった趣味であったり、お仕事でオープンソースの活動を始められたっていう感じですか。  そうですね。オープンソースの活動自身はずっと前からやってて。Firefox のユーザーグループの、もじら組っていうのがあって。僕、もじら組の組長だったんですよ。代表で。国内のカンファレンスとかを開催したりとか、普及活動とかの手伝いとかを、ずっとしてました。 ──それはもう、いつ頃からずっとやられてらっしゃる。  大学二年の時にパーティーに出て、それ以来ずっとそれをやってて。組長になったのは、三、四年ぐらい後ですね。 ──そこでずっと、もじら組の活動をお仕事が大変な中、続けていらっしゃった。  そうですね。並行してやってました。 ──じゃあ、そういったもじら組の活動をされていながら、それを並行されながらオープンソースの活動をされていらっしゃって。お仕事の方でも、途中からやるようになっていかれたっていうことですか。一回戻ってこられたっていう。  戻る前にもう一つ、OSS の活動として。新入社員で入った会社の次の会社が、E コマースの会社だったんですよね。そこで E コマースのパッケージングシステムを自分たちで開発して、それをオープンソースに出して、それのリリースマネージャー、みたいなことをやってました。 ──すごいですね。実際に E コマースでオープンソースにするっていうのは、当時としてはなかなかないことだったりとか。  オープンソースにすることで、誰でもソースコードを触ってもらえるので。カスタマイズとか、そういうところではやっぱり、やりやすかったと思いますよ。 ──お仕事でもオープンソースを触られながら、実際にコミュニティの活動もずっと続けていらっしゃって、っていう感じだった。お仕事がまた変わられて、お仕事の方でもまたずっと関わり続けていらっしゃって、それもコミュニティも並行して、もじら組を。  やってました。もじら組は途中までやってました。喧嘩して、別れるまではやってました。 ──コミュニティとしての活動は、もじら組を抜けられた後は、何か他のこととしてやられてらっしゃったっていうのは、どういったことを。  そうですね。もじら組を抜けた後、しばらく経つ前にやってたのは、スマートフォン勉強会っていうのがあって。スマ勉っていうんですけど。その勉強会は、Windows の端末をベースにいろんなことをやってる人が多かったんですけど。僕はそこに、Windows 端末ではなくて、iPhone とかでこういうことができるよ、とか。うちの上司を、今の上司を紹介して発表させてもらったりとか。いろんなことをしてましたね。  で、その後、今の会社の前身に入るんですけど。その前身の、Georepublic という会社の中では、GIS 中心の会社だったので、願いが叶ったなみたいな感じだったんですね。 ──Georepublic。オープンソースをいろいろやられてる会社で。  そうそうそう。もう登記上なくなりましたけどね。 ──そこで、実際に。  そこで実際に、いろんなプロダクト、オープンソースの GIS ライブラリとかを使ったプロダクトをいろいろ手掛けてました。 ──お仕事でもオープンソースを、それこそ念が叶ってやってらっしゃる中で、また別のスマートフォンの開発っていう方で、コミュニティではやられてらっしゃった。  ああ、スマートフォン勉強会自身はちょっとフェードアウトしちゃったので。なので、どちらかというと、GIS の仕組みとか、そういうのをいろいろ、GIS って何ぞや、から、GIS を使ってこういうことができるよ、というのを紹介するようなイベントがあって。それが FOSS4G っていうイベントがあるんですね。Free and Open Source Software for Geospatial っていう。  イベントがあって、そこのイベントの日本のローカルのやつに出て、スタッフやったりですとか、発表もしたりとかしましたし。あと、そうですね。そこでスタッフをやってたっていうのが、結構でかいですね。 ──というと、そこで知り合った方とつながったりとか、そういったことが。  そうそうそう。あとは、その間にイギリスの FOSS4G のイベント、グローバルイベントに行ってきたりとかやったりとかして。OSM のマッピングのアカウントを取ったりとか。あと、最近でもないかな。オープンソースで作られている地図ライブラリとかの評価アプリとかを作ったりとかしてたりとか。あと、だいたいそれぐらいかな。いろんなことをやってたのは。  で、FOSS4G の国際カンファレンスは数年間出なかったんですけど、二〇二二年から久々に出るようになって。それはフィレンツェっていうところでやって。二〇二三年がコソボでやって、そこも行ってきて。それからちょんちょんと飛んで、今回の FOSS4G Hiroshimaっていう国際会議に出てきたって感じですね。 ──そうだったんですね。いろんな方が参加されてらっしゃって、いろんな会場の写真とか見たりしたんですけど、すごい盛り上がってらっしゃって。あちらの運営みたいな形で参加されてらっしゃる。  運営として参加してました。 ──こういった形で、二十年三十年以上ずっと続けてらっしゃるっていうところであると思うんですけど。そうしたことをずっと続けてらっしゃるなかで、続けることが難しくなってしまったような時期とか、出来事っていうのは。差し支えなければ教えていただきたいと思うんですけど。  障害になり得るところとかは、まあ、いろいろなものがあるからなあ。挙げるのは難しいな。例えば DNS が落ちるとかってなると、障害点が単一になりがちだし。それを分散するシステムとかは、一応各社さん持っているはずなんですよ。もしくは開発されているから、それをインストールしてビジネスでやめたら、みたいな。そんな感じで。 ──他に、全体として、難しい分野というか場面といいますか、そういったところって、続けていかれる上で感じる難しさとかっていうのは、何かあったりとかされますか。  難しさはあまり感じないかな。楽しいからやってるっていうのが大きいから、楽しくなきゃやらないよねっていうのが基本なので。そこは問題ないですね。 ──それで言うと、最初の GIS への興味が、ずっと今の活動につながっていらっしゃるっていうところですかね。  まあ、OSS は僕のライフみたいなもんだから。それで色々なことをやって、楽しませてもらっています。 ──それで言うと、いろんな勉強会であったり、コミュニティをされたりするのも、やっぱりそれが楽しいからっていうところがあったり、っていうところですか。  そうですね。  地図に関するジョークアプリみたいなのを作ったりするんですよ。ちょっとデモの方を見せたいと思います。 ──はい。  今から共有するものは、ちょっとこの前作った Navara っていうもの。  まあ、こういう画面が出てきて。アルバムカタログから適当に楽曲を選んで再生すると。ちょっと音がしばらく出るかな。こんな感じで。 [図版 語り手が画面で見せた「OpenStreetMap Sound Demo」。OpenStreetMap の三次元建物を表示し、音楽に合わせて地図が動く。音源は Otherman Records のもの。地図エンジンに Navara を使った版で、同じものを MapLibre GL JS と Slint でも作っている。] ──なるほど。サウンドバーが上下するみたいな感じで。  そうですね。これは Navara という、最近出たオープンソースのソフトを使ってやったデモになります。 ──これはどういう目的で、っていうのは。  好きだから。趣味です。 ──こういうのは、皆さんに見せたりとかっていうところはされたりとか。  Twitter でリリースしたりとか。あと、これのネイティブ動作版、iOS とかでシングルバイナリーで動くようなものを作ったりとか、いろいろやってます。これはウェブ版なので。 ──こういうのも、ご自身が好きだから実際やってらっしゃるっていうところで。今やってるお仕事も、好きが形になってるような状態っていう感じなんですか。  そうですね。好きだからやってるって感じです。  インタビュー取る人によるかもしれないけど、好きでやってるよっていう人が結構多いと思いますよ。 ──実際、そういう方もいろいろいらっしゃって。実際、お仕事でやってる際にどういうモチベーションでやってるのかなっていうのは、すごい興味があってっていうところがあったので、お聞きしたいなっていうところがありました。好きがお仕事になっているっていうのは、すごいなっていうふうに思ってて。  お仕事では受注しなくて、趣味でやってるんですよね。こういうデモサイトを作っておくと、技術的にこういうことができるかな、っていう相談を受けることが多くなるので。それは OSS エンジニアとして、そういう、なんとなく作品でも出してみるっていうのは有効になります。 ──いろんな技術とかが出てずっと続けてらっしゃるなかで、何かオープンソースをずっとやってらっしゃるなかで感じることとか、思うこととかって。  昔ながらのスタイルでやり続けるっていうのもありだし、AI とかを使いまくってライブラリー丸ごと書き換えちゃうとかっていう事案があったりとかしたけど。まあ、それはそれでいいんじゃないかなと思ってるんですよね。  で、僕は AI を使う権利を会社が提供してくれてるので、こういうものを作ったりとかしてますけど。ぶっちゃけ僕、インフラとフロントエンド両方やるようなエンジニアなので。インフラとかだと、やっぱり OSS がいっぱいあるので選びやすいですね。OSS がいっぱいないと、やっぱり難しいっていうのはある。 ──実際に使うときは、オープンソースであることを優先して使われてらっしゃるっていう感じなんですか。お仕事で。  そうですね。もしくは、作ったものをオープンソース化する、っていうのもやります。 ──それで言うと、やっぱりオープンソースのものを使わなければいけないという、制限ではないですけど、そういったところが難しかったりとかするんですかね。  難しくはないと思いますよ。オープンソースのソフトウェアが充実しているので。それに、うちの会社、今いる Geolonia っていう会社のメンバーは、もともとオープンソースの畑でやってた人たちが多いので。その観点から言うと、オープンソースを使わないっていう手がないね、っていうのが正直なところ。 ──そうなんですね。オープンソースがまず第一にあって、そこからどう探そうかっていうところで、いろいろ作られたりとかされてらっしゃるんですね。 ──松澤さまご自身として、オープンソースに今後関わっていく上で、どういうスタンスでやっていくとかっていうのは考えてらっしゃったりとか。  まあ、今まで通り。何か作りたいものができたりとか、あと、誰かが困ってるときに、じゃあコントリビュートしてそこを直しましょうよ、って。そんな感じのスタンスでやってますね。 ──いろんなことをお聞きできたかなというふうに思うんですけど。松澤さまの方から何かしら、こういう話に際してお話ししたいこととかっていうのは、あったりとかされますでしょうか。  逆に、今その、大川君が、オープンソースをどのぐらい活用してるのかとか。オープンソースならではの何かがないのかな、とかっていうのを探求してるのかとか。そういうところは気になりますね。 ──私も最初に、ノートパソコンに、何も入ってないものに Linux を入れて、いろいろ使い始めたみたいなところがあって。そこからいろんなソフトウェアとかを触るようになっていって。今(インタビュー)も Ubuntu で実際やらせていただいてて。基本はオープンソースのソフトウェアをいろいろ使って、それこそオープンソースカンファレンスの方もいろいろボランティアで参加させてもらったり、っていう形でやってるっていうのが、私が現在やってる感じになります。  なるほどね。逆に、プロプライエタリのソフトに関して、どんな感じで思ってます。 ──そうですね。私は大学だと、どうしても Microsoft Windows を使わないといけない授業もあったりするので。住み分けではないですけど、使わなければいけないときは使わなければいけないものなので。時と場合によって使い分けなければいけないものなのかな、っていうふうに考えています。  オープンソースって、魅力的なソフトとかそういうのを増やさないと、サービス自身の宣伝にならないっていうのもあって。僕が作ってる OpenStreetMap Sound Demo っていうのは、OpenStreetMap 自身がどういうものなのか、どういう表現力があるかとかっていうのを、MapLibre GL JS とネイティブと、あと Navara っていう三種類のもので同じものを作ってみて、それを紹介するみたいな形でやると、技術的な、こういう技術があるんだ、みたいな。そんな感じで発見があるので。そういうのをちょっといろいろやっていきたいなと思ってますね。 ──だから、先ほどのも趣味でやってらっしゃるんですけど、技術が使えるよっていうのを示すため、っていうところもあるっていう側面があるんですね。  そうだね。ちなみに大川君自身は、オープンソースを使って何を作ってるかっていうのは。 ──そもそも、ソフトウェア開発とかがよく分からない状態で大学に入って、初めてちゃんとパソコンを使ったみたいな状態でして。なので、どういう関わり方があるのかっていうのが、まだ私もちゃんとコードを書けなかったりとかで。オープンソースにコントリビュートしたいっていうのはあるんですけど、皆さん難しいことをやったりとかしてて、どう関わったらいいか分かんないなっていうのがあって。なかなか OSS に手を出せてないっていうのが、基にあるっていう感じなんですね。  オープンソースは、そういうふうに負けてないものがいっぱいあるんで。活かせれば面白いことだなと。 ──そうですね。何かしら、オープンソースに関わる方々に話をお聞きすることで、何かできることがないかなっていう形でやらせてもらってるっていうのが、今一つにあるっていうところです。  あと、僕の活動として、今、OSGeo 日本支部っていうところの理事をやっていたりとか。OpenStreetMap Foundation Japan という、OpenStreetMap っていう基盤の日本での普及活動とかのサポートをする団体の理事をやっていたりとか。あと、日本 UNIX ユーザ会っていうところで副会長をやっていたりとかします。 ──そういったところも、お仕事っていうか、趣味がこうしてやってらっしゃるってことですもんね。逆に言うと、UNIX ユーザ会の方も、もともと UNIX に最初興味があったっていうところからやってらっしゃるって感じなんですか。  そうですね。まあ、そこらへんは友達の一本釣りみたいなのがあるんですよね。 ──じゃあ、それも最初は別のコミュニティから、スカウトじゃないですけど、そういった形で呼ばれて。  やってくれって。 ──そうした活動もずっと続けてらっしゃるのは、やっぱり好きだからとか、そういったところがモチベーションでやられてらっしゃる。  で、やってますね。 ──もし他に何かあったら、ぜひお伺いしたいなっていうところなのですが。  特にはないのかな。これ以上は。あとは、前にもリンクを送りましたけど、おばあちゃんが亡くなったのがきっかけでパソコンを買うっていうか、触るきっかけになってるっていうところが、ちょっと僕は特殊だなと思うんですよね。 ──なるほど。ドラマチックな感じの、なんて言うんでしょう。偶然が重なってパソコンに興味を持たれてて、っていうところが、すごく印象的でした。 ──なかなか、お仕事でやってらっしゃる方はオープンソースありきじゃない方のほうが多くて、っていうところで。お仕事で使ってるけど、オープンソースだから使うじゃなくて、使えるから使ってて、ついでにオープンソースみたいな方がいらっしゃるので。なかなか、オープンソースが先に来るっていうのは、お話として新しいなというふうに聞きながら思ってました。  オープンソースが先に来るっていうのは、当たり前だと思うんですよね、僕は。オープンで。だとか、そういうのを、その際にどういう知見が必要なのか、みたいなところが、地図のところの勘所なんで。  例えば、データの生データで見て、あ、これはクラウドネイティブ形式にできないな、とかっていう話になると、ちょっとつらいんですよね。クラウドネイティブ形式っていうのは、HTTP のレンジリクエストっていうのを投げて、一つのでかい地図データに対して、欲しい範囲だけを拾ってくるんですよ。ビューポートに合わせて。それがまたよくできてるんですよね。 ──そういったところで、やっぱりオープンだからそういうことができるから、やっぱりオープンソースを使うべきっていう。なるほど、ありがとうございます。そういった視点での話は聞けていなくて、別の方からはそういう考えはなかったので。今回、新しいお話だなと思って、興味深く聞くことができました。本当にありがとうございました。 [語注] MSX 一九八三年にアスキーとマイクロソフトが定めた、家庭用パソコンの共通規格。各社が同じ規格の機械を出した。 行番号 初期の BASIC では、各行の先頭に番号を書き、その順に実行された。行を挿入するために番号を十飛ばしで振る、といった書き方をした。 Hello! PC ソフトバンクが一九九〇年代に出していたパソコン誌。 PC-UNIX パソコンで動く UNIX 系の OS の総称。Linux や FreeBSD を指す。 RAR ファイルを圧縮してまとめる形式の一つ。 Tcl/Tk スクリプト言語 Tcl と、それで画面を作るための Tk。 Netscape Navigator 一九九〇年代に広く使われたウェブブラウザ。一九九八年にソースコードが公開され、その公開に合わせて「オープンソース」という言葉が使われはじめた。公開されたコードを引き継いだのが Mozilla で、そこから Firefox が生まれた。 Scheme Lisp から分かれたプログラミング言語。文法が小さく、教育にも使われる。 CD-R 一度だけ書き込める CD。焼いている途中で処理が追いつかないと失敗し、その一枚は使えなくなった。 GIS 地理情報システム。地図の上に情報を重ねて扱う仕組み。 Visual Basic マイクロソフトのプログラミング言語。画面を組み立てながら作れた。 もじら組 日本で最初の Mozilla のコミュニティ。二〇〇〇年十二月発足。代表を「組長」と呼ぶ。 Georepublic オープンソースの地理空間技術を扱っていた会社。 Code for Japan 市民が技術で地域の課題に取り組む活動を支える一般社団法人。第九篇にも出てくる。 FOSS4G Free and Open Source Software for Geospatial。地理空間のオープンソースが集まる国際会議。各地でローカル版が開かれる。 OpenStreetMap 誰でも編集できる世界地図。地図そのものがオープンデータとして公開されている。 OSGeo 地理空間のオープンソースを支える国際的な財団。 日本 UNIX ユーザ会 一九八三年発足。UNIX とその周辺の技術を扱う団体。 Navara 三次元の地図エンジン。GIS の処理を Rust と WebAssembly で持ち、描画は Three.js に委ねる。二〇二五年の FOSS4G で発表された。 MapLibre GL JS ブラウザで地図を描くためのオープンソースのライブラリ。 Slint Rust などで画面を作るためのオープンソースのツールキット。語り手はこれで同じデモの単体で動く版を作っている。 Otherman Records デモで使われている音源のレーベル。クリエイティブ・コモンズのもとで公開されている。 クラウドネイティブ形式 巨大なデータをまるごと落とさず、必要な範囲だけを取り出せるようにしたファイルの形式。地図データでよく使われる。 HTTP のレンジリクエスト ファイル全体ではなく、その一部だけを指定して受け取るための仕組み。 本文のライセンス:CC BY-ND 4.0。これに加えて、原文の趣旨を損なわない範囲での翻訳と、その公開・配布を許諾する。 聞き手・編 大川貴久(SecHack365 2026 融合駆動コース) https://seikatsushi.0hkawa.net/hen/11/