OSSの生活史 第一集
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第六篇

モチベーションを高く持っちゃうと疲れるんですよ

語り手=宮原徹聞き手=大川貴久

2026.08.24 63分

まず初めに、皆さんに最初にお聞きしているところとして。パソコンとかソフトウェアとかに最初に触った時とかっていうところから。

あ、そうですね。僕は今五四歳なんですけど、コンピューターに触れ始めたのが、多分一〇歳、一一歳ぐらいですかね。一一歳の誕生日に、当時 NEC の PC-6001 という、ですね。当時はまだパソコンじゃなくてマイコンっていう言い方を。マイクロコンピューターと、マイ・コンピューターの両方をかけて、マイコンっていう呼び方をしてたんですけど。

PC-6001 は、どちらかというと、その家庭向けみたいな感じのやつですね。あれが欲しくて買ってもらって、そこから、まあ自分の手元で騒ぎ始めたっていうのが、もともとですね。

で、その後いろいろ変遷があって。大学時は法学部だったんですけど。いろいろレポートというか、文書を書くときに PC-9801 とかを使ったりとかしていて。で、その流れでコンピューター系の仕事をしようということで、日本オラクルっていう会社に入って、というような感じですね。

その小学生の頃から、ずっとその PC-6001 あたりからそのまま継続して使われていて、っていうところ。

はい。もちろん途中で少し離れたりとかいうこともあったんですけど。特に大学に入って触るようになった、改めてまた。ですかね。中学、高校の時は、その後、何か買ったりとかはしてなくて。学校にあった、高校にあったやつを触るとか、なんかそういう感じで、少し距離があったんですけど。大学に入って、また改めて触り始めたっていう感じですね。

法学部で使用されてるってことは、普通に大学のレポートで使ったりとか、そういうことだったんですか。

そうですね。結局、ワープロ代わりに使うのが当時はやっぱり多かったので。PC-9801 を使って、文章を書いて、印刷して、みたいな。そういう使い方ですね。

そこからパソコンに、もう一回興味というか、そういったところが移ってきて。

はい。オープンソースっていう文脈で言うと、その頃に GNU と出会って。コンパイラだったりとか、Emacs みたいなエディタだったりとか。あと、そこからの流れで UNIX 全般に興味を持ち始めて、っていう感じで。そういう意味では、今につながるコンピューターの興味みたいなのは、大学時代に、まあ趣味でコンピューターを触ってたところから来てますね。

じゃあもう、大学生の頃からオープンソースに興味があって、っていうところ。

はい。当時はフリーソフトウェア。で、大学時代は九〇年の四月から、九四年の三月までが大学生の期間なので、ちょうどその頃ですね。

そこで乗った興味を、そのままお仕事にされていくような形だった。

結局、他に興味があるものがなかったっていうのもあって。どうしようかなと思った時に、コンピューター業界だったら、その興味のまま。あと、まあ昔から触ってるから、改めて勉強する必要があんまりないなってことで、コンピューター業界に行こう、と。

結構、分野が大学の時から変わられているのかなっていうような。

よく法学部なのになんで、っていう話は。

実際もうお仕事に入られてからも、普通にコンピューターとしてのお仕事というところでも、オープンソースが関わってくる、っていうようなことも。

実際のところ、オラクルって会社なので。今でこそ比較的オープンソースに理解がある会社だけど、当時はそんなにオープンソースっていう感じではなかったので。お仕事的には、あんまり直接オープンソースとは関係なかったんですけど。

ただ、一部、例えば、今はもうほとんど使われなくなっちゃいましたけど、サン・マイクロシステムズの Solaris。あの OS、Solaris なんかは、そのオラクルを動作させるための主要なプラットフォームだったので。なので、そこに、いろいろと GNU のソフトウェアをインストールして使っていたりとか。

あとは、ウェブ関係をやることが多かったので。そうすると、サーバーとして、当時だと NCSA のウェブサーバーですね。で、そこから、Apache になったりとか。いろんな、あと、ネットワークのサービスとかもいろいろ動かすために、個人的に Linux を触ったりとか。そんな感じでこう触り始めてましたし。

あとは、オラクルは六年いたんですけれども。最後の頃は Linux 版のオラクルっていうのを、えー、会社として出すことになったので。そのあたりから、急速にオープンソース関係が仕事に近くなったっていう感じですね。

それはもう、会社としての当時の機運だったっていうような感じ。

一番大きいのが、結構、現場でいろいろ話をしていると、Linux 版のオラクルがあると嬉しいっていう声が多かったわけですよね。

あの当時、そのあたりの私がやってた仕事は、どちらかというと、マイクロソフトの Windows のサーバーを使って構築されるお客さんが多かったわけですよ。小規模なので。ただ、Windows のサーバーって、やっぱり不安定で、こうちょっとトラブルが多いっていうのが、OS 側のですね。

で、それに比べると、あの当時、少しずつですけど、やっぱり Linux を使ったサーバーを、ウェブサーバーとかメールサーバー、あと一部データベースサーバーを動かすっていうのは結構出てきていて。特に、予算がないユーザーさん、お客さんなんかは、無料だからってことで、結構現場では使われ始めていて。で、かつ安定してたわけですよね。

そうすると、やっぱりオラクルみたいな、その商業データベースも Linux 上で動くようになってくれたら嬉しいっていう。オラクルは当時、そういうセグメントのプロダクトとしては結構値段を安めに出してたんですよね。だから、あまり高くなかったんで、Linux と組み合わせても、まあ予算に収まるっていうぐらいのコスト感だったから。やっぱり Linux 版が欲しいっていうお客さんが多かったんですよね。じゃあ、やるか、みたいな感じになってやってた、っていうのが当時の状況ですよね。

オラクルを辞められたと言いますか、次に移られたのは、何かきっかけがあって。

はい。これがですね、なかなか面白いというか。当時いた、Linux をやっているグループがですね、ディストリビューションを作る子会社を作るっていう風にスピンアウトしたんですね。僕は全くディストリビューション作りに興味なくて。そっちじゃないんだよなってところで。

たまたま、当時手伝っていた会社が、ちょっと上場するので手伝ってほしいっていうふうに言われて。一回ヘッドハンティング的に誘われて、その会社に一年ほどいて。で、いろいろと経験する中で、なんか自分でちゃんと何かやることを決めてやらないとダメなんだな、っていうふうに気づかされて。

で、何をしようかなといった時に、多分、今後 Linux、オープンソース、そして、ネットワークですね。これが広まってくだろうっていうふうに思って。で、えー、二〇〇一年に、えー、株式会社びぎねっとを、えー、設立した、っていう感じです。

びぎねっとっていうのは、社名の由来がビギン・ネットワークみたいな感じの名前で、っていうところで。全体的に目指されていたものは、どういうところだったというか。

はい。これはですね、ちょっとですね、これ画面共有してもいいのかな。当時の設立趣意書的なやつが実はあって、ちょっと。

二〇〇一年三月一日、「びぎねっと社長室」開設。語り手が画面で示した当時の文章。末尾に「自由に、オープンに。そして、合言葉は『幸せになろう』」とある。

はい、大丈夫です。

これがびぎねっと社史という。うまく見えてるかな。はい、そうですね。これがですね、一月に会社設立で。で、三月一日から、今で言うブログですね。まだブログという言葉がなかったんですけど、毎日日記を書いていてですね。これが毎日っていうね。コラムだから。ブログっていう言葉がなかったんで、コラムを書きます、っていう感じで。

で、当時はですね、やっぱりコミュニティの主な通信手段はメーリングリストだったんですね。今はもうメーリングリストなんかほとんど使われなくなっちゃってますけど。

ちょっと大きくしようか。これがちょっと調整してます。で、ここをやっぱりですね、この当時の、やっぱりこう、記録を残しておくと大事でですね。

世の中にはまだまだ、Linux やオープンソースの楽しさとか便利さとか、そういったものを知らない人がたくさんいるのではないか。そういう人たちにもっともっと知ってもらうためにきっかけを作ろう。そのためにはどうすればいいかを考えれば、場を作ること。これがびぎねっとの理念であり、使命であると思っています、と。

なので、とりあえず始めちゃったよ、と。なので、びぎねっとは場なので、参加している皆さんが快適に便利に過ごしていただけるようサービスをするのが使命です、と。で、皆さんからご意見ください、と。オープンサービスですから、と。様々なセミナーやコラムで逐一提供していく場にしていこうと思います、という。

これが三月一日の、私が書いてた、当時の空気感みたいなのがすごく出てますね。だから、非常にこう、この時はマイナーだったんですよね。やっぱり誰が作ったものかわからないようなものを、やっぱり業務システムに使うなんていうのは、考えられないっていうのが、もう、ほとんどの人の意見だったわけですよ。

で、それに対して、いや、そうじゃないよね、って思う人たちが、一定数いたわけなんですよね。ただ、感覚的には一割とかですよね。それは、はい、この時が。

で、それがもう今はもう完全にひっくり返って。オープンソースが、まあ多分、三割を超えると、なんていうか、認知されるというか。イメージ的には、今は多分、六割ぐらいの人がもう、オープンソースでもいい、って言ってて。残りの人が、多分、オープンソースかどうかわかってないけど、サポートがあるんだったらいい、責任を誰かが取ってくれるんだったらいい、みたいな人ですかね。そういうイメージですよね。

そういう意味では、非常に、これをちゃんと書いておいてよかったって感じ。

その後、いろいろこうやってきて。例えば、二〇〇一年五月にリーナス・トーバルズにインタビューしてたりとかですね。いろいろやってますね。Linux 十周年だ。ここがちょうどだから、二〇〇一年が Linux 十周年だったんですかね。

いろんなセミナーやったりなんだりしてですね。で、オープンソースカンファレンスが二〇〇四年九月だ。創業して三年。いろいろ試行錯誤していく中で、オープンソースカンファレンスみたいな場を作るのがいいね、っていうことで、はい、やった感じですかね。

オラクルのお仕事っていうのは作る側だったと思って、そこから広めていくところに変わられたところっていうのは、きっかけとかっていうのはあったりとか。それとも自然と。

一応オラクル時代にですね、製品開発の部門とかにも行って、プログラミングもしてたんですよ。Java プログラマーで。まだ出てきたばっかりの Java を使ったウェブサーバーのアプリケーションを作るとかやってたんですけど。全然ダメだったんですよね、プログラミング。あんまり得意じゃなくって。

どっちかっていうと、使う方が得意なんですよね。だから、セットアップしたりとか、あと、システム設計したりする方が得意で。だから、あんまりこう、なんかプロダクト側ではなくて。どちらかというと、お客さん側がどう使うかっていうのを、お客さんの立場に立って考えて、で、こういう情報いりますよね、っていうような感じでやってたのは、どちらかというと、製品のマーケティングとか、お客さんの支援だったんですよね。

はい、それもあって、知ってもらうためにイベントに出たりとか、セミナーを開いたりとかっていうのを、すごく頻繁にやってたんですよ。結構そこのあたりは自由にやらせてくれる会社で。自分でやりたいですって言ったら、勝手に会議室を取って、で、告知をかけて、でお客さんを集めてやってもよかったんですよ。あんまり正式なプロセスがなくて。

そういうのを結構繰り返しているうちに。あと、イベントに出てオフ会やって飲み会やったりとか。今だったらごく当たり前ですけど、ビールとピザみたいな、立食形式のワイワイやるようなやつとか。そういうのも先駆けて、オラクルにいるときにやってたりとかで。

あれ、自分、結構こういうの向いてるな、と。その、場を作る、皆さんの世話役みたいな感じで。はい、集まって、って言って、講師を決めて、聴講者を集めて、で、交流させて、みたいな。これをずっとやってたら、意外と向いてるなっていうのがあって。

なんか、技術もわかるけど、どちらかというと、皆さんにその知識、情報を交換する場を作るっていう方向かな、っていうのが。オラクルにいていろいろやってわかったことなんですかね。そっちの方向に、やっぱり後半はシフトしていって。

そのままそれを、びぎねっとのお仕事としてやられていた、っていうところで。

はい。やっていったという感じですよね。はい。やっぱり自分でやると限界あるんですよね。

特に、東京一極集中を解消したいっていうのが、ちょっと裏テーマというか、思いがあって。全国を回ってたんですけども、やっぱりね、人は集まんないんですよ。東京は集まるんですけど、それ以外の地域に行くと、やっぱり人を集めるのがすごく大変で。これは厳しいなと。

じゃあどうするか、って。で、いろいろ話を聞くと、情報はすごく欲しい。東京でいろんなイベントやってて羨ましいんだけど、東京に行くのがちょっと大変っていう、みんなが。

あ、そっか。じゃあ、なんか、こっちで、イベントをやって。で、講師の人たちは、出張で、えー、遊びに来てくれるぐらいの感覚で行って。で、うまいもんを食わせに行けば、絶対みんな来るだろう、ね、っていうノリで。じゃあ、ちょっとみんなで行くか、みたいなのをやりたくて。

で、まずは一回、まず東京でコアになるコミュニティとか、協賛してくれる企業さんを集めて OSC を二回やって。で、よし、じゃあ北海道に行くぞ、沖縄に行くぞ、みたいな感じで。二年目は北海道とか沖縄とかにみんなで行って。で、翌日は、じゃあ北海道で、いろんなとこ見に行くぜ、とか。沖縄だと、よし、みんなで車借りて美ら海水族館まで行くぜ、とか。

いう感じで。それ以外のところも、うちに来て、って言われたら、行きまーす、って言って開催して、みんなを引き連れていって。現地の人たちもわーっと集まってもらって、交流会やって、で、遊びに行って、みたいな。特に最初の十年はそういうノリですよね。

みんなで、いわゆる OSC コミュニティが出来上がってきたから、喋れる人、情報発信できる人たちで、わーっと行くぞ、って。今でもそのノリですけど。あっち行ったりこっち行ったりして。情報発信したい人たちは、日程と場所とか諸々を決めてくれてるから、それに乗っかって行くだけでいいみたいな。いうのがメリットですよね。

地域っていうと、どれくらいの地域で実際今までやられてたっていうのは。

ちょっと数えてみましょうか。一回しかやってないようなところもあるんですけど。北海道、岩手、福島で宮城、えー、そして千葉、東京、静岡、えー、金沢、石川県か。で、なんかちょっとガーッと飛んじゃうけど、島根。ちょっと戻ってきて、愛知、名古屋、大阪、京都。で、四国は四つですね。で、山口、あ、広島、山口。福岡。一九ぐらい。

今だから、ほぼ毎月だから、単純に言うと年間十か所以上ですかね。ちょっと入ってなかったところがあるかもしれないですけど。

もうそこは、とりあえず実際やってみてどうだったかっていうところで、どんどん試されてるってこと。

結局やってみて、成果がそこそこ出たら、来年もやってもいいよね、っていう感じの。基本的に人数はあんまり気にしてないわけですよ。熱量というか、やりたいっていう人。

あ、そういう意味で、鹿児島でやったことあるんですけど、一一人ですからね。今思い出しましたけど。でも別にいいんですよ。で、現地の人が半分、行った人が半分ぐらいでも、実はあんまり気にしていなくって。

なんか、現地にいて、で、東京とかなかなか行けないっていう人たちがいて。で、そういうところにも行ってみたいって人たちが、やっぱりいるわけですよ。で、交流したいっていうのがある限りは、まあどこでも。

ただ今、開催がちょっと多すぎて、小さい開催を差し込めないっていう。そこは現実的な問題なので。そこはやっぱり、OSC とは関係なく、なんか結構細かいテーマで勉強会とかが開かれるようになって、ものすごく増えたので。当時は勉強会っていう概念がなかったので。それに比べると、今はもう勉強会も勝手にやれるので。

そこはもう、なんか OSC の役目としては、もう少し地域として大きめな、メタな交流会をやっといて。あとは細かい勉強会をそれぞれ、えー、日々はやってくださいね、っていう住み分けなのかな、っていうですね。

じゃあもう、その OSC が目指してたものが達成されつつある、というか。

一番基盤になるところ。例えば全人口が全国にあるんだとしたら、そこの、さっき三割って言いましたけど、だから三割ぐらい。これでまず抑えられれば。

なんとなく今だから、connpass のイベントのグループだと多分 OSPN が八〇〇〇人ぐらい、YouTube のチャンネルも八〇〇〇人ぐらいなので。母集団としてはかなり、いわゆる一個のトピックで、もっと AI とか言うとものすごく集まるけど。じゃなくて、逆にオープンソースコミュニティみたいな、若干、なんか、マイノリティに近いようなところで八〇〇〇人いるのは、まあそう、なんていうか、ネットワークとしては強力なんじゃないのかな、っていう気がしますね。

ただ、本当はやっぱり一〇〇〇〇人を目指しているので。あと二〇〇〇人ぐらいをどうやって増やそうかな、って。

それも最初の頃から結構皆さん集まってくださってた、っていう感じだったんですか。資料とか見ると、結構最初からたくさんいらっしゃるようなイメージだったんですけど。

そうですね。初回から五〇〇人集まってたんで。これも、いきなり五〇〇人の母集団があるわけではなくて。いろんなコミュニティが、それぞれ数十人ずつぐらいのコミュニティだったわけですよ。

で、寄り合いにして、メタに一個にくっついちゃうよ、って。あれですよ、スライムがポコポコくっつくとキングスライムみたいな、いう感じで集まるっていうのが、元々のコンセプトなんですよね。

で、お互いが紹介し合う。そこで、こういう集合ができるじゃないですか。で、和集合。この重なる和集合を、どうたくさん接点を作るかみたいな。そうすると、あ、なんかそんなのもあるんですね、とか、今度一緒に何かやりませんか、とかいうような、その化学反応が起きるわけなんですよね。

そういう形でどんどん集まっていったものが、だんだん時間が流れることに増えていく、といいますか。

そうですね。で、こう、初期のメンバーがどんどんおっさんになっていって。でも、ちょこちょことは、若手の子たちが。SecHack とかもそうだけど、常になんか若い人を開拓するプログラムとかも走ってて。そういう人たちが、ちょこちょこ、なんか成果発表で来てくれたりとか。ハードルが低いじゃないですか。絶対発表できるみたいな。

確かに、そうですね。

あそこは絶対発表できるから行けば、って言いたいな。査読とか一切ないんで。好きにやったら、っていう。

それで言うと、そういうことを意識されて、っていうところが。

そうそうそう。そうすると、査読があるところに次のステップで行きやすいじゃないですか。まずはちょっと練習ってことで。人の前で喋るための準備って何、みたいな。

だから、そこもこちらとしては、本当は人がたくさん集まってくれたら嬉しいけど、そんな集まんないかもしれないけど、気軽に一回やってみてね、予行練習だと思って、ぐらいの感じで入ってきてもらってやりました、と。で、どうだった、みたいな感じで。で、そっから本ちゃん行ってもらいっていう。もっと晴れ舞台というか、人がたくさん集まったりとか、見識のある、格のあるところにチャレンジしてね、っていうような。一番最初の練習台みたいな感じですね。壁打ち役の。

じゃあもう、その、いろんな最初のステップに慣れるようなところ、といいます。

とにかく敷居を低く。で、申し込みがあったら全力でなんとかする。ちょっと場合によっては、ベテランの人に、ちょっとちょっと詰めてもらっていいかな、みたいな感じで譲ってもらったりとか。

本当に皆さんが参加しやすくするみたいな場所。

もうベテランからすると、新しい人が来てくれた方が嬉しいよね、っていうのがあって。なので、ニュービーな人には、なんていうか、優先権。だから懇親会なんかでも、学生は千円、二千円でいいよっていう風にしたりとか。そういう感じで、若い人、新しい人を優遇するっていうのは常にやってますね。

そういった形で二〇年間、もうほぼ二〇年以上続けられてるっていうところで。目的というか、そういうところとか、宮原さん自身が思ってやってることっていうのは、もう変わらず、そのまま広めたいっていうところが。

はい、ですね。OSC の、なんていうか運営って、極力シンプルにしてるんですよね。あんまり余計なことやらない。だから、セミナーと展示と懇親会、だいたいこの三本柱をしっかりとやるだけ、と。

だから、なんか事前の受付とかも、以前はもう少しちゃんとやってたんですけど、めんどくさくなってやめちゃったんですよね。

毎回 connpass の画面を見せてくださいますよね。

そう。で、こう、申し込みを入れとくと、だいたいの参加が来そうな人数が。で、よくも悪くも安定してるので。例えば会議室が入りきれないってことはないんですよね。

ただ、やっぱりどうしても濃淡が出るから、狭いところに人がたくさん行っちゃったりとかすると、他の部屋、大きい部屋の人が寂しくなっちゃって。ちょっと寂しかったな、って言われちゃって。そこは調整ができないっていうデメリットぐらいしか、逆になくて。

あとは、立ち見っていうのも、なんか単純に席は空いてんだけど、座りにくいなみたいな感じで、こう立ち見になっちゃったりとかするぐらいだから。それを考えると、あんまりこう、いちいちどれに参加しますみたいなのとか、取ったりとか、誰が来たのかとか、そういうのは一切なしで。気楽に来てね、っていう。

ずっと変わらず、変わり続けながら、というところ。

とにかくこの日にこの場所にみんな集まれ、ぐらいのノリが最初からあったんで。来てから考えればいいじゃん、ぐらいの。その場でなんとかすりゃいいよね、っていう。

宮原さん自身も、そういうモチベーションは変わらず、そのままずっとやられている。

モチベーションは低いです。だから。

そうなんですか。

モチベーションを高く持っちゃうと疲れるんですよ。続かないですよね。だから、最悪、アンカンファレンス状態で。この日にこの場所を取って準備しとくから、みんな来て、で、喋りたいってやつは、さすがにちょっとごちゃごちゃになるとあれだから、先にこうシートに書いといてね、ぐらいの。川越では毎年それでやってる。一番のボトムラインなところで。

なぜか懇親会をやりながらなので、そっちの準備にみんな一番力を注ぐっていう。買い出しどうする、みたいな。そこに力入れすぎっていう。

それが、そのノリなので全然いいんですけど。だから逆に、ほら、それもできなくなっちゃったら、みんな飲み物、食べ物、自分で買って持ってきて、できるわけですよ。いつでも別にやめられるけど、やりたいから、やりたい人がやるみたいな。

もう、集まってやるっていうことに、こう。

やるよって言って、適当に飲み物は買っとくけど、飲みたいもの、食いたいもの、自分で持ってきて、とかいうノリでも全然やれちゃうんで。

いう感じで、継続性第一ってなると。モチベーションはあんまり高く持ちすぎると、属人性が発生しちゃうんじゃないですか。その人ができなくなって、モチベーションが下がっちゃったりするから。と、途端に続かなくなっちゃうんですよね。それは、やっぱりそういうイベントをいっぱい見てきたんで。

属人性がなくて、こうやる。とにかく、なんかもう惰性でやってるぐらいでもよくって。今年もまたやることになりました。別にこれ、誰も反対しないんで。またやんの、みたいな。

これ、大変だと、みんながやりたくなくなってくるんですよ。そういうイベントをいっぱい見てきた。もうやりたくないみたいな。もう実行委員は卒業です、みたいな。そういうのは、うちの実行委員にはないんで。はいはい、やりますよ、やりますよ、とか、行きますよ、って言って懇親会だけ顔出すとか。これが続ける秘訣ですね。惰性。

モチベーションではなく、やり続けていくことに。

だって、ほら、モチベーションって定量化できないじゃないですか。定量化できないものに頼って何かをやるって、ダメなんですよね。

やっぱりそういうところで、オープンソースに対するそういうのを続けていく上で、やっぱり難しいのは、モチベーションとかそういうことじゃなくて、続けていくかっていうところだったり。

だから、例えばリーナスとかって、もう Linux から、ずっとずっとずっとやってるじゃないですか。なんだけど、単純に彼は自分が好きだからやってるっていう。だから高いモチベーションってわけじゃないんですよ。いわゆる義務感とか使命感じゃなくて、面白いからやってると。

僕も OSC は面白いから、全国飛び回りたいからやってる。OSC がなかったら行く理由ないじゃないですか。

今のところ、なんていうか、テーマ別の勉強会とかイベントってあるけど、いろんな人が集まるイベントってないんですよね、OSC 以外に。いわゆる、その総合イベントみたいなものってなくって。で、老若男女、たくさんこう、投網式でバーっと集まれって言って集まるイベントってなくて。

だから、結構大きめのイベントとかって地方でも開催されるようにはなってるんですけど、あるトピックに限定されているから。僕は技術的には、そういったイベントは地方では行われにくいところの技術をやってるから、あんまり行く理由にならないんですよね、残念ながら。

そのー、だから、ちょっと自分が偏った位置にいるからかもしれないんですけど。それだけに OSC って総合イベントとしては、やっぱりいいポジション。この一番、そのピラミッドの一番下のところみたいな。

で、どんどん狭くなるじゃないですか。専門性が上がっていくと、どんどんいろんな細かい山になっていくんだけど。一番下の裾野の部分をカバーしているので、どの山にも行けますみたいな。いう意味では、非常にいいポジションを取ってるなっていう。

じゃあもう、そういう土台としての役割を持ちながらやられてらっしゃる。そこまでやられていく上で、今、続けていくことも大切っておっしゃってて。やっぱりそこまでの難しさとかっていうのはあったりとかします。課題じゃないですけど。

難しさを自分から感じることっていうのは、実はあんまりなくて。なぜかというと、さっきも言った通り、極力シンプルに、余計なことやらないっていう。だから、難しいなと思ったらやめちゃうんですよ。やらないこととか。そういう意味では難しさは感じないんですけど。

ただ、あえて言うと。一つは、例えばリーマンショックとか三一一みたいな、大きな社会的な出来事がネガティブに影響すると。やっぱり協賛金が集まらなかったり、参加できないですって話になったり、っていう形で、一番シンプルなところにもろに来るわけですよ。

まあね、協賛金はともかく、出張できませんとか、行けませんっていうのが起きると、やっぱりイベントとして成立しないというか。あと、コロナもそうですよね。そういう、その社会的なインパクトのあるものが直撃すると、さすがに、シンプルに開催しますって言っても、そもそも無理です、ってなって。

だから、コロナはもう大急ぎでオンラインに切り替えて。で、かつ、オンラインなのに、地域性って何だよっていうのはあるけども。そこは多分、なんか全国メタのオンラインっていうところを作っても、多分移行できないと思って。

だから、OSC オンライン名古屋、という感じで。名古屋の人たちに声をかけて、これは名古屋ホストのオンラインイベントだから、名古屋に、今動けないで住んでる人たちが中心になってオンライン OSC をやってください、っていうような、一回、形にしたんですよね。

それによって、なんていうか、地域性っていうのをちょっと。ずっと続くとは思ってなかったんで、二年ぐらいかなと思ったら三年かかっちゃいましたけど。ずっとではないと思って、つなぎのつもりで、ちょっと定例会のホスト役を変えるっていう形を取ったわけです、オンライン時は。

それは、ただ、成功して。三年かかったけど、開けた時にスムーズに、じゃあ各開催を戻していこうね、と。場合によってはオンラインとのハイブリッドっていうのをちょっと組みながらやって。今はほぼ現地のみっていう形で。で、オンラインが逆に、最終的には全国っていう感じで、オンラインを大きく一回やりますっていう形に、着地させられたってことですかね。

だ、ここはうまく僕の、え、期間の読みはちょっと外れたんですけど、意図が当たって。なんか比較的スムーズに続けられて。結構コロナ明けの開催は、みんな、とりあえず、あ、久しぶり、元気だった、っていう挨拶しかしてないみたいな。もうちょい普通の話しろよ、お前ら、っていうぐらい、スムーズに着地できたっていう。

じゃあもう、続けていく上でうまく適応していく、じゃないですけど、なんとかしていくっていうのができてるから。

そうなんですよね。全体的に言うと、やっぱり最初の十年かけてコミュニティを作ってきたので。その人たちが、やっぱり自発的に動いてくれる。

で、さっき、なんかモチベーション低くって言ったんですけど。突発的なモチベーションの高さは全然いいと思うんですよ。もう割り切って、一発打ち上げ花火だけど、まあいいよね、その時のノリだし、みたいな。それは許容してるわけなんですよね。だから、突然何かやりたいですって言われたら、やったらいいんじゃない、っていう、別に、っていう。

ただ、それをずっと続けろって言われると結構難しくなるから。もう一個の難しさが、標準化してるんですよ、やってることって。つまり、OSC っていうイベント、あるいはもう少し広い意味で言うと、コミュニティイベントのボトムラインってこんな感じだよね、っていう。いわゆる、プロダクトで言うと MVP な、ところって、まずはこの辺だよね、っていうのを作るってことを心がけてるんですよ。

それに対して、いや、イベントってこうでしょ、っていう意見を。で、それもあなたのイベントだけど、こっちは、必要最低限のイベントっていうのの標準化を事務局はやってるから。それ以上のところは好きにやってくれていいんですよ、っていう。

そこのところが、下まで含めてこう、っていう感じで話をされると、ちょっとそのコンセプトが違うんで。だから、それは別に構わないけど、下の部分はこっちがやっとくから、三割方やっとくから、残りの七割を好きにやってくれればいいし。OSC だけがイベントじゃないんだから、別の日程で自分でやればいいじゃんっていう。で、手伝うし、っていう。

感じなんだけど、なんか OSC にこうしたいっていうモチベーションが強く来られると、ベースラインが崩れちゃうんで、事務局が困るんですよね。だから、基本的にはものすごく数が多いから、各回とも場所が変わるだけっていうレベルで仕事をしたいわけですよね、事務局サイドとしては。

そこは逆に言うと、各地域とか、フルタイムで動いていないコミュニティの人たちにはできないことをやってもらってるわけですよね、お仕事として。だから、横糸と縦糸なわけですよ。この横糸のところに縦の論理をあんまり入れすぎると、横糸が乱れるんですよね。

だから、極力、この時系列で何年も続けてくれている事務局のスタッフには、イレギュラーはあんまり入れたくないんですよ、例外は。だから、場合によっては例外処理は僕が引き受けるんですよ。あ、じゃあそれ、俺がそのタスクは俺がやるから、そこはもう手出さなくていいよ、っていう感じで。そこんところは、すごく難しさですよね。

そうですよね。OSC でやりたいことがある人ってたくさんいらっしゃる。

だから、OSC を変えるっていうよりは、OSC にただ乗りしてくれていいから。自分のやりたいことをやってくれたらいいから。

ただ、そこも昔は併催イベントをあんまりやらないようにしてたんですね。イベント内イベントになると、そっちのイベントにずっと入っちゃって、交流してくんないんですよ。それだと下手すると懇親会も別ですとか言われて。結局、会場をシェアしているだけだから、まあ別にいいんだけど、ちょっとなんか OSC の趣旨から外れるかなっていうことが多かったんですけど。

最近は OSC の趣旨をよく理解してくれる人が企画を持ち込んでくれるので。お願いして。例えば、開始の時間はゼロ分から四五分にして、一五分休憩で、行き来できるようにしてくださいとか。懇親会は一緒にやりましょうとか。あと、やっぱり朝から晩までずっと一部屋に閉じこもるみたいなプログラムの組み方は、できればしないでほしいとか。

いう感じで、いくつかのお願いをしたら、ああ、そうだよね、って言って考慮してくれるので。そこのところは、だいぶ、解消されたので。今は、だいぶイベントとしての人数が減ってきているのもあって、余裕があるので。イベント内イベント、ありですよ、と。じゃあ、三個までいいですか、みたいな。三時間とか四時間、午後取ったらいいですよね、と。懇親会は合流ってことで、合同でやりましょう、みたいな。

なんか、そういうのは、だいぶ。それの、やっぱり先駆けが、ODC の中で LL イベントだ。LL も昔は、単独でやってたけど、だいぶ大変になってきたって話もあるし。こちらとしても、ありがたい、コンテンツが欲しいので。じゃあ一緒にやりましょうよ、っていう感じで。ここ、毎年 LL イベントと一緒にやらせてもらってたり、とか。

今、人が減ってきたっておっしゃってましたけど、ここは難しさではない。

必然ですよね。だけど、さっきも言ったように、勉強会とかがすごく増えたんで。分散しちゃうんですよね。だから、これ、それ自体はしょうがないかなと。

ただ、人を目標にしちゃうと、結局コンテンツを変えていく形になっていくから。焦点にしている軸をどんどん変えてくってことになって。で、それをやってくれている人たちがいるから、それでいいと。

こっちは、どちらかというと、なんか十年一日のごとく変わらない。オープンソースとか、オープンって何、っていうのを考える。それがいいと思っている人たちが集まれば。で、敷居が低いから、突発的に出てきた若手の子とか、今、突然、急にこれをやってるんですけどね、って人がポンって参加して、ちょっといろいろフィードバックもらって、っていうような感じでやっていける場として。

ただ、そうすると、やっぱり新しさはないから。みんなイベントって目新しさを求めるから。そうすると、やっぱり新しいところにやっぱり行きますよね。イベント参加のチケットって、やっぱり、数が限られてるんで。時間とかの問題が大きいじゃないですか。そうすると、やっぱり、新しい方のイベントに行くとか。

で、そこもちょっと考えていて。やっぱり、各開催のセミナーを今、毎回、二部屋とかを動画に撮ってるんですよね。で、YouTube に今もう千本以上動画がアップされていて。で、さっき言った通り、チャンネル登録者数ももうすぐ一〇〇〇〇人を目指せ、みたいな。

そこのところで、今までだったらセミナーってやりっぱなしだったのを、全部アーカイブして、こう、多少ロングテール戦略というか。後から見てもらう。あと、違うセグメントの人が、あ、こんなのあるんだ、って言って見てくれるみたいな。

そこのところに行くことによって、OSC の、そのリアル参加、リアタイ参加はこの人数だけど、その後アーカイブを見てくれるって形での参加は、え、これだけ見てくれてますよ、と。結構ですね。現地で下手すると数人みたいなセミナーも、かけたら回数が回るわけですよ。

これはありなんじゃないの、逆に、っていう。だから結構、現場では、もう、ライブ収録してるもんだと思ってやってください、っていう。で、録画しているものに関しては。あんまり人数が来てないから寂しいって言い出すと、やるやらないの話になっちゃうから。そうじゃなくって、これ録画はしてますから、後でもう結構二桁、三桁行くんで、ライブ収録だと思って喋ってくださいっていう。

そこは結構、時代の変化ですよね。需要がないわけじゃないんですよ。結構あとで見てくれると。ただ、それを、ほら、目の前で、やっぱり人が少ないとちょっと、あれ、って思っちゃうじゃないですか。不確定要素だから。でも実際には結構見てくれますから、っていう。

そこの積み重ねがだいぶできてきたので。自信を持って、いや、これ、結構見てくれるんで、ちゃんとそのつもりで、この辺に二、三〇人ぐらいいるつもりで喋ってください、っていうお願いをしてます。

そこもやはり、時代の流れに合わせて対応していくような感じです。

タイパが要求されるので。YouTube で倍速で。で、資料も当然ダウンロードできて。

変わったっていう意味では、その資料ダウンロードも、昔はあんまり回収とかしてなかったんですけど。資料くださいねっていう感じで、いただくようにしたりとか。あと、レポートもきちんと出すようにしたりとか。アフターケアの部分は、結構適当だったところは、大した手間はかけないレベルで、ちゃんとやるようにはしてますね。

動画の編集、全部私が一人でやってますからね。半日ぐらいかけて。でも、頭とお尻を切るだけなんだよ。あと、たまに見えちゃいけないものが映っちゃったんで、ぼかしてくださいとか言われて、えーと、ぼかしどうやってやったっけ、とか思いながら。

ただ、その程度でね、なん、何十人の人が見てくれるんだったら、全然逆にコストパフォーマンスが高いわけで。これもやっぱり、続けるコツですね。これ、外注してたら、とんでもない金額になっちゃうけど。僕がちょっと業務時間中にちょこちょこっと半日ぐらいやるだけで行けるわけなので。翌週には出てますからね、もう。すぐに出すんで。これ、外注してたら三週間後とかになっちゃう。内製化してるのも強みですよね。

オフライン開催っていうと、私の印象としては変わらずやっていくかということだと思って。対応しながらやっていくからこそ続いてるのかな、っていうのは。

そうですね。あり方は、やっぱりちょっとずつは、やっぱり微調整でいったりとかしていかないと、なかなか難しいですね。細かいところではちょこちょこと。こうした方がいいかなって言われたものは、試しにやってみて。ダメいけんじゃねえの、っていう。

なんか、もっと試行錯誤で。さっきの動画なんかも、機材、最初は結構大げさなものを用意したりとかしてたり、ライブ配信とかやってたけど。やっぱり大変なんですよね。大変なやつって、やっぱり続かないから、やっぱりやめようってことで。録画アーカイブで、機材も結構シンプルに、もう撮るだけ。

資料がよく見えなかった時は、すいません、PDF をダウンロードで手元で見ながら見てください、と。で、もうデモとかは壊滅的だけども、これはごめん、っていう。しょうがないよね。本当に聞きたかったら講師の人に聞いてください、って。でも、やってもらって。

オープンソース自体が変わってきてるような気はしてるんですけど。オープンソースが変わっていくにつれて、オープンソースカンファレンスも変わっていっている、というような。それとも変わらない、っていうところ。

うーん、根本的なところでは変わらないんですが。やっぱりコンテンツはね、すごく変わりますよね。だ、それも結構、定点観測的に、みんながどういう話をしているのかな、というのをこう見ていると、僕も勉強になるっていうのが、やっぱりあって。

最近だとやっぱり AI の話がすごく多くて。ただ、これも、あんまり最先端を突っ走ってる話ではないんですよね。それがやっぱり、ほどほど感があっていいなと。現実的にこれだよね、っていうところの話をする人がすごく多いんで。あー、なるほど、っていうような。

やっぱり最先端をね、こう追っかけようとすると、それなりに大変なわけですよ。だから、そこをやりたい人は、別にそれをやっているセミナーとかイベントに行けばいいわけなんですけど。OSC ぐらいになると、そこそこ、こう、なんていうか、こうすると便利だよ、とかいうような感じの話をしてくれるので。

あと、やっぱりオープンソースにとっては、その AI が生成したコードのライセンスどうするの、とか。あと、セキュリティの問題ですよね。そういったところに対して AI が入ってきてるっていうような、その現実的な課題とかがあるので。そういった話をすることができる場という意味では、参加者からすると助かってるのかなと。わざわざその新しいセグメントのところに出ていかなくても、自分たちのやっていることに直接的に関わる AI の話っていうのを、こっち側でできるので。

そこのところは、やっぱり OSC があんまりコンテンツに踏み込まないのは。そういう時代の流れみたいなのを自然と、発表したい人が、やっぱりこれが必要だろうと思って、これを話したい、これを言いたいって思って来てくれるので。そこのところは、現在的なテーマを勝手に持ってきてくれるっていう、OSC のスタイルも、メリットなのかなと。かつ、話したいっていう人が来てくれるので。ある、ある、言いたい、みたいな感じの人がいっぱいいるので。

今後の OSC っていうのも、このまま変わらないことと言いますか、このまま続けていかれるっていうことを第一に、っていうところですか。

そうですね。結局、すごく悩ましいのが。今のところは、オープンとか、オープンソースとか、オープンみたいなものっていうのが、カテゴリーとして存在しているし、そうではないっていうものとの、二項対立が成立しているから、オープンソースカンファレンスっていう立ち位置が成立してるんだけども。

それがなくなることは多分ないんで。あんまりその、なんていうか、そのコンセプトとして、オープンとクローズっていう二項対立の中で、え、こっちはオープン陣営だぜっていう、色分けみたいなのは、やっぱりないとイベントが成立しないわけなんですよね。だから、そこは、大丈夫といえば大丈夫だけど。

オープンであることが結構当たり前になってきてるから。何を今更オープンソース。あと、オープンソースであることを知らないで、オープンソースを使ってる若者が多いので。そこのところは、若干、イベントの根幹をなす部分に対しての、静かな脅威。

うん。オープンであることが当たり前だったり、オープンであること自体に価値を置けない。だって、オープンですよね、当たり前じゃないですか、っていう。

それは、うん、ちょっと変えていかないといけないのかなとは思い。そうすると、場合によっては、もう少し違うコンセプトで、イベントの看板をかけ直すとか、なんかしないといけないですけど。

だから、オープンであることっていうのをちょっと置いておくとすると。各地域で技術をやっている人たちが集まって情報交換をすれば、っていうのがあって。で、もう少し技術的に大きく包含するような、IT 業界全体を包含するようなコンセプトっていう中で。ただ、どちらかというと現場寄りで、学生さんとか若手の人が参加して面白かったと思えるような位置づけっていう。

そのワクワク感が、オープンソースには最初あったわけですよ。ただ、だいぶ手垢がついちゃった。じゃあ、次、ワクワク、AI。なんか僕らおじさんからすると、AI ってあんまりワクワクはしないんですよね。どちらかというと AI 嫌いみたいな人たちがいたりするのって、ちょっと逆なんですよね。オープンソースの時に比べると。

だけど、AI じゃないんだよなぁ。だから、やっぱりオープンであること、自由であることっていう立ち位置っていうのは、今のところは、その社会全体で見ると、やっぱり、ちょっとね、マイノリティの方がいいんですよ。ちょっと俺、他とは違う感みたいな。

OSC を見ていると、やっぱり若い子と、学生さんとか来ると、ちょっとこの子はきっと学校とかで若干浮いてんだろうな、話が合わないんだろうな、みたいな子が多いわけですよ、やっぱり見てて。でも、来ると、なんか同じ穴のムジナの奴らがいっぱいいるから、居心地いいんですよね。そういう場になっていけてたら、ちょっといいなと思っていて。

だから、どちらかというとマイノリティ寄り。主流よりは若干反主流なところなんだけど、同志がいて、なんか自分たちがやってることに対しての価値を再確認する場みたいな。それが、やっぱり今の OSC の立ち位置なのかな。最初もそうだったし、今でも変わらず、ちょっとはマイノリティ。

逆に、オープンソースって普通になっちゃったから、若干我々戸惑ってるみたいな。え、みんなオープンソースって知らないで使ってんの、みたいな。Android がオープンソースとか、みんな知らないじゃないですか。でも動いてて。それはそれでいいことなんだけど、もうちょっと知ってほしいなぁ、みたいな。

それで言うと、オープンソースを広げたいというより、いろんな人に集まってもらうために、オープンソースっていう果たせる節があって、みんなに集まってもらう、みたいな感じになってるかなっていう。

ただ、あんまりオープンソース、オープンソースって厳密に。ハードでもいいし、サービスでもいいし。うーん、ちょっとさすがにそれはね、っていうのはともかく、かすってるぐらいだったらいいね、って感じで集まってもらって。

あと、地域開催においては、地域で活動しているコミュニティだったら、ギリオッケーってことにしているので。なんか、工作してますとか。いいかな、みたいな。コンピューター要素ゼロだよね、みたいな。電子工作だからコンピューターじゃねえじゃん、みたいな。ソフトウェア何もないっすよね、みたいな。いいか、と。

そういう、集まってできる場としてやっていきたい。

だったら、いいよっていう。

語注

マイコン
一九七〇年代後半から八〇年代の個人向け小型計算機の呼び名。マイクロコンピューターと「マイ・コンピューター」を掛けた語。
PC-6001
日本電気が一九八一年に発売した家庭向けのマイコン。
PC-9801
同じく日本電気の個人向けコンピューター。一九八〇年代から九〇年代の国内標準機で、ワープロとしても広く使われた。
GNU
リチャード・ストールマンが始めた、自由に使えるソフトウェア群を作る計画。コンパイラやエディタ Emacs などを生んだ。
フリーソフトウェア
「オープンソース」という語が一九九八年に提唱される前から使われていた呼び名。無料という意味ではなく、利用や改変の自由を指す。
Solaris
サン・マイクロシステムズの商用 UNIX。
NCSA、Apache
初期のウェブサーバーソフト。NCSA のものを源流として Apache が生まれた。
ディストリビューション
Linux の中核に、周辺のソフトをまとめて使える形にした配布物。
OSC
オープンソースカンファレンス。二〇〇四年に第一回が開かれ、全国各地で継続している。入場・参加は無料。
OSPN
Open Source People Network。OSC などのイベント運営を全国で支える活動体。
connpass
技術系の勉強会やイベントの告知・参加登録に使われるサイト。
アンカンファレンス
あらかじめ発表内容を決めず、集まった人がその場で持ち寄って進める形式。
MVP
Minimum Viable Product。必要最低限の形で作り、動かしながら育てるという考え方。
LL、ODC
LL は、二〇〇三年に「LL Saturday」として始まったイベント。当初の LL は Lightweight Language の略で、手軽に使えるプログラミング言語を扱っていた。二〇一七年からは「Learn Languages」と名を改め、言語を広く扱う催しとして続いている。ODC は Open Developers Conference。
タイパ
タイムパフォーマンス。かけた時間に対する満足の度合い。

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