特にどっかで発表しようとか思ってなかったんですね。どっちって言われると微妙。なんかどうだろうな。Linux とか BSD とかの連載ですね。そんな古いところ?インターネットが、高校生になるまでなかった人間なので。で、その後いろいろ変遷があって。じゃあ、なんか、こっちで、イベントをやって。それで、小江戸らぐを作ってみたんです。その後、いろいろこうやってきて。RVC のリリースファイルとかみたいな、全部大体中国語で書いてある。うん、そうそう、それ一番嬉しかったですね。関西とか四国での開催とかには行ってみたりしました。僕、全部デジタルで課題なんか出してるんですけど。爆破というのは、どこまで行くかは分かんない。大川さん、生まれてないかもですね。そうじゃなかったね。PR を立てても取り込まないんじゃないかな。基本的に人数はあんまり気にしてないわけですよ。そこでスタッフをやってたっていうのが、結構でかいですね。それを借りて遊んでみたいなことをやってました。中身、いわゆる論文がなかったんですね、あのプロジェクト。そういうような CPU 基板みたいな。その時はもう、初めてだと思います。これがびぎねっとの理念であり、使命であると思っています、と。ライセンス料を払ってる方法ですかね。時代の流れですし。僕は、ネットとか通信上で知り合った人っていうのは少ないですね。で、それがもう今はもう完全にひっくり返って。特にはないのかな。逆にメインで座ってもらったりとか。来られるんですか、OSC 京都は。泥臭い作業だったりする。気楽に来てね、っていう。正直なところは覚えてない。つまり、オープンソースの力がすごくなってきている。で、かつ、オンラインなのに、地域性って何だよっていうのはあるけども。どんどん変わっていってますし。
それが初めて世の中に、割と論文で出始めた頃なので。そうなんですよね。で、ただ、その前に、日本って、BBS って知ってますか。いろんなことをしてましたね。まあ、古いもの、2 と 3 にちょっと対応させたくて。その頃は Linux なんて全くネット全然使えないで。組長になったのは、三、四年ぐらい後ですね。そもそも IPA の人、オープンソースのおの字も知らないですけど。で、翌日は、じゃあ北海道で、いろんなとこ見に行くぜ、とか。そのためにはどうすればいいかを考えれば、場を作ること。好きだからやってるって感じです。そういうのからずっとやってきてるから。大変なやつって、やっぱり続かないから、やっぱりやめようってことで。そういうことやってましたね。普通に、置いておくだけ置いておくか、みたいな気持ち。詳細に話すと後から変更になった時に困るので、概要だけに。こんなニッチなものを、と思ったんですけど。川越では毎年それでやってる。うーん、根本的なところでは変わらないんですが。時が来れば何か変わるんでしょ、っていう気はしてます。『I/O』には、一時期、添付CD-ROMが付いてた時期がある。そういうところで、何をやるにもお金が必要なんで。ただ、それをずっと続けろって言われると結構難しくなるから。おもろそうだったかな、っていうか。嫌だなと思うと思い浮かばないから。いや、そんなこともないと思いますね、本当に。一家に一台パソコンみたいな時代だったんで、一人一台じゃなくて。えーと、どこだっけな。あと、TRON は、東京大学の坂村先生っていう方が。で、オープンソースカンファレンスが二〇〇四年九月だ。そこで僕は BSD のソフトウェアをもらって、インストールしたの。入って割と早いうちに何をやらされたかというと。それをどうするかですよね。ということは、結構少ないんですね。せっかくなら取りなよ、って。活かせれば面白いことだなと。ちょっと方針転換はしましたね。最初はコミットをしだしたのが最初ですね、あのプロジェクトは。
私が初めて坂井さんを知ったのは私の学生時代なんですけど。それも触って、すぐ挫折しました。まあ、やるために置いてますね。オープンソースっていう文脈で言うと、その頃に GNU と出会って。そこで、こういう集合ができるじゃないですか。結構そこのあたりは自由にやらせてくれる会社で。いつでも別にやめられるけど、やりたいから、やりたい人がやるみたいな。面白いの、本しかないんですよ。一方通行にならない。あと、セキュリティの問題ですよね。いろんなセミナーやったりなんだりしてですね。ところが、GIS の会社だったんですね。Misskey が本当の最初ではないけど。そうすると、やっぱり、新しい方のイベントに行くとか。Android がオープンソースとか、みんな知らないじゃないですか。そして今、電子工作中心の世界に戻ってきた。それによって、なんていうか、地域性っていうのをちょっと。続かないですよね。あの、うちのその専門学校でも、AI 禁止っていう人いますからね。そういうメディアと戦わなくちゃいけないから、厳しい!まあ、外部への公開とかはしてなかったんですけれども、さすがに。その主催の人が、ちゃんとした組織にしたい、って言って。ああ、そうですね。そういうのが、うわあって出てて。で、資料も当然ダウンロードできて。もう実行委員は卒業です、みたいな。出展できるかもと思って申し込んで。いないって言ってました。あー、なるほど、っていうような。あと、それ以外に社外とのやり取りですかね。心配だけど、時間が解決するはず。見れるんか、あのスターは。結構覚えてます、最初に入った時は。ちょっと回答になってるか分かんないですね。その理由は、どんなこともできるからです。それは結構ウケたんで、一回その場で完売して。それをどうするかという話があります。
ActivityPub を思想として作ってるわけじゃない。あれも中学ぐらいの時ぐらいまで ISDN で頑張ってやってましたね。それはもう全部、その分かんないとこに対して聞いて。あの、大学で出してる方も何人かいらっしゃいますよね。そんなの、ずっと下働きっていうか、面倒くさいこと全部やってたんで。私はゆとり世代って言われる世代なんですけど。これも SecHack の修了生のものなんですけれども。一番のボトムラインなところで。皆さん研究をやっていらっしゃる方とかで集まったりだとか。やっぱり分けたいってところはありますね。その後はやっぱり、ちゃんと勉強した。コンピューター要素ゼロだよね、みたいな。あとはやったものだったら、シンセサイザーを作ったりとか。で、皆さんからご意見ください、と。あの、キンコーズってコピー屋さんあるじゃないですか。これもやっぱり、続けるコツですね。それで画像処理を高速化するんや、みたいなね。OSM のマッピングのアカウントを取ったりとか。あれ、チャットって、これどこから出せるんです。データベースが裏でどう動いてるかっていうのは、そんなに知らない。バイブコーディングまでも。そこで投稿されてる Flash 動画を見たりだとか。東大の GSC だっけ。そんなに PR を出した記憶ないんだけどね。あとは、ウェブ関係をやることが多かったので。やっぱり、技術者同士が交流する場はあってほしいと思ってはいるので。で、あ、しかもそれが札幌でも開催されている、と。あと、イベントに出てオフ会やって飲み会やったりとか。鍵の保守性みたいなセキュリティの話は、また別途ありますけど。なんかやってるな、おもろそうだな、なんかやるか、だね。自分が困ってるイシュー、すでに立ってたっていうのもあるけど。そこはそう思いますね。あとは先輩から教えてもらうとか、過去の試算を横展開。でゲートウェイを作る手伝いをしたりとか、そういうことをやってました。であれで、後ろに CD が付いてたでしょう、おまけで。あれかな、俺 Misskey 最初かもしれないね。そういう時代ですよね。
シャアっていうのが当然学生運動側で。これもやっぱり、面白いドリブン。すごいウケましたね。普通に気が向かなくなったら、フェードアウトしてきますよ。結構してますね、やっぱり。理由はね、AI 君のおかげで。そういうのをちょっといろいろやっていきたいなと思ってますね。定量化できないものに頼って何かをやるって、ダメなんですよね。帰っていくねとは思う。そこでプログラミングとかの勉強をしてました。逆に言うと、壊れたパソコンを自由にいじらせてもらえたんですよ。まあ、行政に掛け合ってオープンデータを出してもらうとか。当時は無料で、CD を買うだけで見ることができるって、いう形で。僕、そんなにたくさんデータもってないから。ですから、どこで細かいところを体験するのかという課題は残ります。なんとなくやらないんだよ、いまだに。あれはね、ウィキペディアにも載ってます。気になるんだよね、僕は。SecHack もやらせていただいてますね。そういうわけではない。最初ではないかな。変わってきたところは、はっきり言えます。ちょっと俺、他とは違う感みたいな。分散しちゃうんですよね。みたいなことがあって、楽しいなと思ってますんで。書籍はもっと前から。小江戸らぐは、もう、それは本当に、純粋に、勉強会をやって飲みたい。社会人が長いんで。なぜかって言ったら、自分で手を加えられますから。その優秀な人たちはコンピューターのことを知らない。まず勉強会の方からですね。一九九〇何年ぐらいからやってた。そういったものを保護する技術みたいなものを考えています。そういうのがいっぱい出たときに、バブルがはじけました(笑)。今だから、ほぼ毎月だから、単純に言うと年間十か所以上ですかね。その PR 一件につき一個のコミットになっていたと思うので。ただ、これも、あんまり最先端を突っ走ってる話ではないんですよね。
そういう感じの方が多かった。めんどくさそうだと思う。八ビットのくせにカーネルモードがあったりとかね。だから、場合によっては例外処理は僕が引き受けるんですよ。結局、他に興味があるものがなかったっていうのもあって。そういうのをやってましたね。そんな感じになります。途中が楽しかったね。PC-9801 を使って、文章を書いて、印刷して、みたいな。本当にその辺のコミュニティに入ってたのはね。特に地方とかは、いろいろコネクションを作りたいところもある。だって、ほら、モチベーションって定量化できないじゃないですか。Linux 十周年だ。焼いてて、一人がプリンターでラベルを印刷して、っていう。触ってみようとしたけど、その時はさすがに無理で。最初にパソコンというものを触ったのは、八ビットだから、FM-8。やっぱり、コミュニティをやってると、その。あ、はい、そうです。いろいろやってますね。暴走族みたいに、処理が早いのが好きな、その辺からなんですよね。それと、楽しむね。生命系の話になるけど大丈夫ですか。スターは別に、つけたらいいじゃないですか。それこそ高校の時からの関わりであったり。一一歳の誕生日に、当時 NEC の PC-6001 という、ですね。戻る前にもう一つ、OSS の活動として。それより前にも、二〇〇〇年ぐらいですかね。フォークする分、スターをつける分には、好きにしろですけど。私だったらできるな、っていうのが。一回挫折して復帰するのに、どっちかだったはずだけど。だけど、AI じゃないんだよなぁ。ただ、なんかこれこうやったら改変できるな、であったりだとか。そう、出してないけど結構いっぱいありますよ。それなりに分かってる人間でないと、やっぱり判定できないので。ちょっと本業が忙しくて、なかなかできないなというのもあります。あの監督にすごく影響を受けてた。お仕事では受注しなくて、趣味でやってるんですよね。
そういうのは、うちの実行委員にはないんで。オープンソースソフトウェア事業って。例えば DNS が落ちるとかってなると、障害点が単一になりがちだし。懇親会は一緒にやりましょうとか。なかなか伝わんないっす。そこにつながるからは、ちょっと遠いですね。結構スクリプトとか組んであって、デモみたいな形になってるんですね。そういうのを作って売っていたので。それの方は結構あると思いますね。なんでかっていうと、その、いわゆる機械が必要じゃないですか。ただ、本当はやっぱり一〇〇〇〇人を目指しているので。できると思うんですけどね、正直なところ。昔々なんで、その程度で論文になるんですけどね。ただ、あえて言うと。その Elm の勉強会を主催してみたりとか。コードを書いた、コミット数だったら見えるのかな。それをやるのは実働部隊でやって。あっち行ったりこっち行ったりして。そう思ってたら、技術書典というイベントがあって。こんな幸せなこと、あるのかと思うぐらいですよ。ただ、だいぶ手垢がついちゃった。そんなような構成にしてもらって。だから、もっと緩くやりたい。あるけど、多分ほとんど世には出してないと思うんですよ。その当時教えてもらったんですけど、よく分からないなとか思いながら。そういう人たちが、ちょこちょこ、なんか成果発表で来てくれたりとか。神経系の、海外にもいたりだとか。当時よくリンク集っていうのが個人サイトであったんですけど。いや、本当そうなるか分からないですよ。これが大きいかなと思います。スマ勉っていうんですけど。まあ、一回それは置いといて。そっちの方が楽しかったんですよ。面白そうだから、っていうのが一番ですね。そういう意味では難しさは感じないんですけど。そういう意味で、OS を通して自分を表現するというか。三時間とか四時間、午後取ったらいいですよね、と。
How みたいなとか、Why とか、その辺を思う力。なんか画像を、あれ、BLIP とか CLIP って分かりますかね。コミュニティは、まあ、その OSC への参加は続けていましたし。三年生の時からは、もう今年までずっとスタッフで参加してます。理系の話ばっかしたけど、そうでもないんだよな、というのはある。作ったのはだいぶ古いんですよ。そうなんですけど。熱量というか、やりたいっていう人。そういう意味で言うと、販売元、商用だったらね。クラウドっていうか、仮想環境っていう形は当たり前。最初もそうだったし、今でも変わらず、ちょっとはマイノリティ。そうですね、ちょっとね、というところはありますね。来てから考えればいいじゃん、ぐらいの。そこで勉強会で知って。ああ、えっとですね。ハードウェアもソフトウェアも。でコミュニティに入って。結局その後、六、七年ぐらい別の会社。なんだけど、単純に彼は自分が好きだからやってるっていう。いろいろあるんですよ、面白い。回答になってますかね。えっと、Linux をやってたから仕事変わってた、っていうよりも。これ、ドメインが TOK2 になってますね。その部分はある程度の数は並んでしまいますね。結局、すごく悩ましいのが。独自にはない、というか、そういう概念がほぼなくて。これはいっぱい出したかもしれないけど。オラクルにいていろいろやってわかったことなんですかね。その友達と一緒に、私もちょっと個人サイトを作ってみようと思って。便利な世の中になったなと思いますけど。あれ、自分、結構こういうの向いてるな、と。Linux だったらサクサクいけるんですよ。この前は懇親会でいろいろお話いただいて。最初そうでしたよ。まあ、これを使った製品を作っていた、っていうところですね。そういう話はしてます。やっぱりね、集まる場って、オンラインになったとは言え必要だなって。
泣く泣く投稿した。モーターがつながって。今もうチャットに貼っちゃいますけれど。それが楽しかったっていうのがあります。うちは結構、中堅の会社にガサッと納品するような格好で。それがいいと思っている人たちが集まれば。四年生か五年生かな。そんな時に初めてデータフロープロセッサーとかもね、扱って。Netscape ですね。え、みんなオープンソースって知らないで使ってんの、みたいな。あと、PC-UNIX の連載があって。難しさはあまり感じないかな。ちょっとチャットにリンクを貼りますけど。あの、かみさんに怒られてます。それは、やっぱりそういうイベントをいっぱい見てきたんで。ですから今でも現場を離れていないです。じゃあなんでも仕事として受けるのかというと、そういうわけでもない。ああ、そうですね。で、そういうふうな形で。いくつか僕も生やしてみたりしたんだけど。そういう人たちと話すと、どういうところに困っているのかとかが分かる。ソフトウェアを触るきっかけは。単純に、技術にすごい興味があって。それもやっぱり、きっかけは他の人がやってたっていうのだと。オープンソースって何だ、何だって。二十枚ぐらいで、宅配便で届くんですよ。それで誰かが触ることは、別に今のところ気にしてないですよ。多分ご存知だと思いますけども。またどうぞよろしくお願いします。最初ではないけど、主だったって感じ。エントリーレベルのものが結構少なかったんですね、当時は。二〇〇三年に、小学校のパソコンが新調をされたんですけど。自分が使えたらいいから、公開する意味ないみたいな。現実的にこれだよね、っていうところの話をする人がすごく多いんで。書籍は特にそうですよね。なんか、もっとちゃんと面白いものを作らないとなっていう。で、こうやって個別の名前って出していいの。
そこで初めて Linux カーネルをちゃんと触ってっていう形ですね。でも、やってもらって。逆に私は、そこの鍵の部分が、全然本質。多分これなんだと思うんですよ。だから、最悪、アンカンファレンス状態で。あと多分、ついに前から自宅サーバーをやってたから。一回しかやってないようなところもあるんですけど。まあ、オープンソースをうまく自国の情報政策に活用してるんですよね。ちょっと、これも私、アニメとか映画とかからすごく影響を受けていて。年中、人が足りない。で、申し込みがあったら全力でなんとかする。そういう使い方ですね。あとは、基本的には、好きな世界が広がればいいなというのはあるので。そういう意味では、あまり苦労は実はしてない。そこで済むのは、それでやってます。それで対応して、それで今まで来てる。エコーチェンバーで。例えば会議室が入りきれないってことはないんですよね。そういうことやってました。イベント内イベント、ありですよ、と。A4 の大きさのやつ。軽いやつが、uim の、Anthy っていう。それはね、二十四か五ですね。その中に、ロボット制御の ROS とかもあるのよ。なんかそういうの、逆に自分で見ることもできますから。なんでダメかっていうと、どういうことをするかが分からないからです。ですから、その辺で住み分けています。当然、まだインターネットのない時代ですから。で、それもあるなあ。コードの中に書いてあったりとか、最悪ですよ。なるほど、分かりました。動けばラッキーだもんね。その TOPPERS を使った、ちょっと研究を、え、やってて。中に入っているゲームとかやってまして。そういうのも先駆けて、オラクルにいるときにやってたりとかで。会えるのは、パソコン通信のオフ会ぐらいでした。僕も OSC は面白いから、全国飛び回りたいからやってる。
ちょっとそれが最近の悩みですね。えーと、幕末京都マッピングパーティーっていうのがあって。大学は、情報科学科っていうのが当時あって。私のこういうやり方に全く同じことをしてくれなくてもいいんですけど。二〇〇〇年ぐらいじゃないですか。そういうふうなことがあるかもしれないですね。僕、もじら組の組長だったんですよ。そういったところをやってる部署になります。そういう、どうしたら、なんて言ったらいいのかなあ。たいへんではありますが、開発は面白い経験。日本にエンジニアとして残る人はほとんどいないって言ってましたね。リンク切れしてるやつがいくらでもありますけど。で、結構出ちゃうんですよね。そこはちょっと心配してる。で、それを使ってインストールして、次の人に渡すんですよ。ああいうふうなものって、閉じてなくて、公開されてるものが多くて。別に教えてもらった記憶はないから。そっちをやるか、あるいは。ああ、結構、友達がやってたのの影響ですね。変わらないんじゃないかな。古い社宅を取り壊して住宅地になったんですよ。一番最初に書いた頃って、いつだったかな。これはありなんじゃないの、逆に、っていう。そんなもんでないから。それで、パソコンを開く動機はやっぱりインターネット。その流れで一般社団法人 LOCAL っていうのができるんですけど。その時はもちろん、知識も何もないから。中学、高校の時は、その後、何か買ったりとかはしてなくて。やはり手続き的な書き方といいますか。その人も GitHub にいろいろ上げてた人だったからね。最近インプットするあれもなくなってきたけど。自分がエンジニアになるなら絶対ありますけどね。お仕事的には、あんまり直接オープンソースとは関係なかったんですけど。同人誌を出す人っていうのは憧れがあったんですよ。行番号という概念が分からなかった。二回目は、普通に受験でサーバーを閉じた。これが広まってくだろうっていうふうに思って。
それを手に入れたんですよ。あるだけいいよね、みたいな思想だと思うんだけど。ほとんどオンラインで、実際に会うという機会は、本当になかったです。そういえば羽鳥が、そんな活動なんかもやってて。そっちじゃないんだよなってところで。これも、いきなり五〇〇人の母集団があるわけではなくて。金なくはないけど、そんなに資格自体の興味も、僕自身はないから。使いたいものドリブンっていう感じで、今も割とその感じでやってる。こういう機会は、めったにないチャンスですよね。それが Java 特集だったんですよね。そうそうそうそう。オープンソースだったらプロジェクト、コミュニティ、そこは見ますよ。今もないんですけど。バイブコーディングまで全部を任せるぐらいまでは、覚悟はない。それの室蘭版を作ってメンテナンスしたりとか。その時点では、そんなにだと思う。メインフレームと並行してパソコンを使った、って感じですかね。社会に出たら AI 使うのも大前提じゃないですか。いわゆる義務感とか使命感じゃなくて、面白いからやってると。あの、細いやつも買って。で、その後、今の会社の前身に入るんですけど。まず、その、静的な(スタティックな)ホームページがあって。昔、Macromedia っていうところが Flash を作ってて。ずっと怒られてるんです、それは。何やるんでも怒られるんですよ。そこら辺、結構関わってると思いますね。二年目は北海道とか沖縄とかにみんなで行って。それに関して、なんでしょうね。でも、仕事との繋がりっていうと微妙で。高校生にとっては、やっぱり結構大きい値段じゃないですか。エンタープライズとかに関係ないから、責任とかね。恥ずかしい勘違いですが。Linux みたいな自由な雰囲気はなかったですね。だから、非常にこう、この時はマイナーだったんですよね。低学年で触ってても、正直おかしくないと思う。でも、あれね、いけないのはね。だって、オープンですよね、当たり前じゃないですか、っていう。
人のやつをフォークしたやつ以外は、全部プライベートだと思う。今やってることとしては、音声の保護ですね。もちろん、なんか、いくらでもいますよ、すごい人は。投稿とかは移行されないんだけど、移動でリダイレクトしてくれるから。あそこは絶対発表できるから行けば、って言いたいな。じゃあ C# やるか、みたいな感じで。機能とか変えるにあたっても、探すのは楽だから。ありがとうございます。まあ、そこらへんは友達の一本釣りみたいなのがあるんですよね。一番古いの、どれ。そういうところで知ったんですよね、Git っていう存在を。やっていきますけど。やっぱり、あの、もうあと、確実に、あと五十年は生きられないんで。そういうところで、いかに利用者側の。今思い出しましたけど。やっぱり、発表してなんぼと言いますか。なんか、そういうのは、だいぶ。まあまあまあ、そうですね、本当に言葉が出てこない。ある程度解決されてくるだろうと思うんですけど。査読とか一切ないんで。その時に、IPA でもやりなさいっていうのが経産省から来た時に。すごい大切な個人情報になっていくと思うんですよね。ウディタはいろいろ触ってたけど。そこを扱える研究室の門を叩いたんで。だから、横糸と縦糸なわけですよ。なので、ニュービーな人には、なんていうか、優先権。僕の脳みそは処理しきれねえと思う。また、ちょっと回線が遅いから時間かかってるな、みたいな。二〇〇八年なので、8.04 をインストールして。そんなわけないでしょっていう話をして。自分が立てたのぐらいしかやってない。その数ヶ月後にパソコンを購入しました。あと、最近でもないかな。そうすると、全員が今度は MS Office を使えるんで。今にして思えばね。中一ぐらいの時に C++。初めてコミケに出したのは、二〇〇三年だったかな。
これが日本の DX の現状ですよ。きっかけって言うと、もっと古くてですね。まだ NetBSD とか FreeBSD が出る前の時代ですね。まあ、そうなんですけど。地図に関するジョークアプリみたいなのを作ったりするんですよ。それが FOSS4G っていうイベントがあるんですね。いっちゃん最初は、YouTube。Misskey のソースコードはどうなんだろう、とか。じゃあ、ちょっとみんなで行くか、みたいなのをやりたくて。C++ の入門から、Codex から、なんか急にロシア語が出てくる。すごいって言い方は変かもだけど。後の東大全共闘の映画とか見るとよくわかります。そういうことをずっと続けてて。OSC の参加はなるだけ出ます。一緒の職場で働いていたことがあるんで。なんか嫌なことが走馬灯のように。なんか回した記憶はあります。なんか中身どうなってるんだろう。なので今後、場合によっては、コードは見ない。少しでも役に立てればな、っていう形で残したりとか。一回触った気がする。シンプルでもあるし、そこにフォーカスしてるしね。しかも技術書典は同人誌の書き方まで教えてくれるんで。えっとね、小江戸らぐを作ったのは二〇〇二年なんですけど。おもれー、っていろいろやってるかね。で、それでネットワーク構築が仕事になって。そこのところは、だいぶ、解消されたので。そういうようなことになってますね。で、それをやってくれている人たちがいるから、それでいいと。最近は面白がってもらえるっていうところがあるから。あと二〇〇〇人ぐらいをどうやって増やそうかな、って。その人ができなくなって、モチベーションが下がっちゃったりするから。あまり有名じゃないんですけどね。この辺に関してはマジで、プログラミング関係なくて。喧嘩して、別れるまではやってました。それは、楽しかったから。あと、私、結構あるのが、その言葉を話す速度。